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離れていく大切な人|回避性パーソナリティ障害

自己嫌悪

いつもいつもうわの空。表面上の関係に甘えていた。楽しいことには楽しい。けど、楽しい自分を俯瞰しているもうひとりの自分がいる。

たぶん、人と深く関わることが、何よりも怖かった。

友達の話に合わせた。合わせている自覚無しに合わせていたんだと思う。相手が欲しがっている言葉を探りながら場を温めて、笑っていいところと、真剣に聞くべきところを見極めた。

大人の目を気にしていた。決して心配されないように迷惑をかけないように。「この子なら一人で生きていける」そう思ってもらえるように振る舞った。

「会いたい」って言えなかった。忙しくないかな。困ったりしないかな。「きっとやさしく受け止めてくれる」って信じられたら、どんなに楽だっただろう。愛する人とのやさしい未来を描けない自分を嫌悪した。



大切な人が離れていく

人とのあいだには、透明な厚い壁がある。本当は近づきたい。心の奥深い部分で手を取り合いたい。けれど、築かれたその壁は、あまりに綺麗で頑丈で。

大切な存在であればあるほど壁は厚く、いっそのこと外から壊してほしいと願った。それなのに、いざ壊されたとき、何者でもない自分という人間を見られるのかと思うと怖くて仕方がなかった。どちらにせよ苦痛でしかなくて、壁を壊すことは叶わなかった。

だから、一人になった。
20歳になったばかりの頃、すべてのSNSを消した。

解放感と達成感、虚無感と脱力感が、からだじゅうに広がった。

今、こうやっている「生きる」って、いったい何なんだろう。なんのために生きているんだろう。「幸せ」ってなんだろう。

ようやく本格的に手をつけ始めた、単純で本質的な問い。たどりついたのは、大切な人を大切にできる自分でいたいということ。これこそが自分にとっての幸せだということ。気づいた瞬間、涙が溢れてこう思った。

「自分で幸せを遠ざけていたんだ。」



回避性パーソナリティ障害

望んでいる幸せをみずから遠ざける、なんて馬鹿らしい。こうしか生きられない自分に嫌気がさしたから、YouTubeの検索欄に、「人間関係リセット」「面倒くさい」「人と関わるのが怖い」を入れて調べてみた。そうして、回避性パーソナリティ障害という言葉に出会った。

これだ、と思って3年が経つ。
原因は理解できたものの、これを改善していくためには、自分と向き合っていく必要があり、相応の覚悟をともなうことを強いられた。



生きるのが面倒くさい人

昨年、転職のおかげで環境が変わったが、それでもやっぱり変われていない自分がいた。

やりたい仕事のはずなのに、面倒くさいと感じてしまう。

しかも、仕事うんぬんの前に、シャワーも歯磨きも、着替えもご飯を食べるのも、スマホを見ることさえ面倒くさい。

こんなの、絶対おかしいと思ったし、なんなら恐怖も感じた。

そんな時に出会った本が「生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害」だった。

村上春樹や星新一など、著名人の例が挙げられているから、自分だけじゃないんだなと思えた。

求めてもどうにもならないと悟ったがゆえに、求めるのを諦めるということが、執着を断つということだとすれば、それは、きれいごとなどではなく、本当に悲しい選択ではなかったのか。

岡田尊司(2016)『生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害』朝日新聞出版,p113.

24年間の人生で、沢山のことを諦めてきた。

どうせわかってもらえない。
理解してもらえない。
受け入れてもらえない。

そのうち、「諦める」という過程が、煩わしく感じるようになった。

求めて諦める。
期待して諦める。
信じて諦める。

どうせ諦めるなら、欲すること自体が無意味じゃないか。感情に振り回されて疲れるだけじゃないか。

そうして求めることを辞め、期待せず、信じない生き方を選んだ。自分の望みには気づかないように生きていこう。本音がちらついたら、見て見ぬふりをしよう。

自分を守るために選択したこの生き方は、苦しく険しい道でした。

さてこれから、私はどうしていこうか。

実は、この本の後半には、回避性パーソナリティ障害の人が、自由に生きるための方法や、向いている職業などが書かれている。

少しずつ実践しながら、取り入れていきたいと思っている。

だけれども、一人で続けていくのは難しい。

だから、こうして書く文章が、いつか誰かの背中を押してくれると信じて、生きて、残していきたい。


さくら

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さくら
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