さくら
君の美しさに 心震えても 優しい笑顔に 癒されても もう一度 会えなくても たとえ忘れて しまっても 冷たいほどに 怖くても この身が 切り裂かれようとも みずからの残虐性に 出逢っても 世界を悲しいと 思っても それでも、今日も
大丈夫じゃないけど 「大丈夫」 本当はつらいけど 「大丈夫」 「大丈夫じゃない」なんて言ってしまったら、どこまでも崩れ落ちてしまいそうで。 あなたにそんな姿をみせるのは、とてもとても怖いから。 どうしてかな。 こうして『大丈夫じゃない』って書くのと、実際に「大丈夫じゃない」って伝えるのは、全然違う。 書く言葉は自分に響く。 誰かを求めたり、期待することはない。 自己表現の世界。 一方、吐き出した言葉は自分から離れていく。 伝える言葉を音にした瞬間、「だいじょうぶじ
22歳で起業した幼馴染と会って話をしました。 彼とは小学生時代からの付き合いで、中学まで同じ学校に通っていた同級生。 中学時代はかなり荒れていて、たばこにピアス、金髪で、目つきは最悪、警察沙汰も日常茶飯事。 そんな彼も、今では社長となって、社員のためにと仕事詰めの毎日。 『中学のメンバーは、もうほとんど覚えてないよ。あんな黒歴史、思い出したくないし、なかったことにしてるんだ』 悩みだらけの日々 「なにか最近悩んでることとかないの?」 私が聞くと、彼は即答しました
職場で働いている78歳のおばあちゃんが言いました。 「毎日寝巻きと下着、変えるじゃんねぇ。今日もありがとうございました、って言うじゃんねぇ。そのままこっくり寝ながら逝けるといいなぁってねぇ。」 そこに寂しさはないのかな。 「もうやりたいことなんてないからねぇ。だって、毎日、五木さんと海老蔵さんのYouTube見てるがね。」 78年生きて思うこと、どんなだろう。 78年生きて考えること、どんなだろう。 この世界から去る準備をする、なんて悲しいと思うのは、幼稚でしょうか
どこにもいない。 連絡先も知らない彼との再会を、心待ちにしている自分に気がつきました。 式場を見渡してもやっぱり見つからない。 外の広場には写真を撮り合う新成人たち。 そこにも彼はいませんでした。 夜の同窓会に、彼は姿を現した。 スーツ姿をまったく直視できるはずもなく、横目でさりげなく彼の輪郭を捉えていました。 男女で真っ二つに分かれてしまった会場で、話しかける勇気はありませんでした。 友達と喋って、ただただ時間が過ぎるだけ。 烏龍茶は3杯目。 でも、ここでも
職員さんが施設を辞めてしまうのはやっぱり悲しかった。 特に産休・育休をとってそのまま戻って来ない方が多いんです。 友だちのような親のような、親密な関係になった人の喪失は、子どもにとってつらいものです。 そして、そういった別れが多いと大人を信頼できなくなったりします。 「どうせまたあなたもいなくなってしまうんでしょう?」って。 でも大人のほうに悪気はないし、ましてや子どもを悲しませようとは思っていません。 むしろ、罪悪感を感じながら離職する場合が多いのではないでしょ
先日、友人に告白されました。 「恋愛として、好きってこと?」 『うん。付き合いたい』 私は恋愛感情というものがよくわからないので、真面目に聞き返してしまいました。 「付き合うって何?」 「付き合ったら、何が変わるの?」 「その恋愛感情って、他の友達に対する気持ちと、何がどう違うの?」 「私のすべてを知ることはできないと思うけど、私のどんなところを好きになったの?」 自分って、ほんとうに面倒くさい人間だと思います。 相手からしたら、YESかNOかはっきりしてく
頼み事をされたら嬉しいですか? それとも厄介?面倒? 逆に頼み事をする時、迷惑かなって思ったりしますか? こんな言葉があります。 「人から頼まれることに自分の才能・得意なことが隠れている」 言われてみれば当然です。 字が上手な子に書記を頼みたくなります。 勉強が得意な子に、ノート見せて!って頼みたくなります。 誰とでも仲良くできる人にはイベントの集客を頼みたくなります。 自己管理がしっかりしている人には幹事やってくれない?って頼みたくなります。 話し上手で起点が利く
月が好きです。 たくさんの星より月が好きです。 自分で光るわけでもなく、太陽に照らしてもらうちょっと傲慢な月が好きです。 形も色も大きさも、同じ月のはずなのにいつも見え方が違います。 見えない時にもそこにあると思えてしまうのが不思議です。 「そこにいるんでしよう?」 🌙『当たり前じゃない』 わたしは寂しいときほど人と会いたくないタチなので、一生ひとりのままかなのかなぁなんてもの思いにふけることがあります。 人に依存してしまいそうで、とても怖くなるのです。 そん
「ディズニー大好き!」 そう信じ込んでいました。 しかし好きでも嫌いでもなくなってしまいました。ある気づきをきっかけに。 ---------------------------- 6歳のときに母を亡くしました。 「会いたい」 言っても戻ってこないんだから、仕方ないんだからと思って、寂しさをまわりに打ち明けることをしませんでした。 「お母さん大好き」 素直になれなくて、他人を信じられなくて、言葉になりませんでした。 素直になれない代わりに、母が大好きだったものを
これまでの人生で、最も喜びを感じた瞬間はどんな時ですか? 一番幸せを感じた瞬間はいつですか? 私にとって一番の喜びは、児童養護施設の小学生や中学生が「さくちーはすごいんだよ!」「さくちみたいになりたい」と言ってくれることでした。(当時、さくちーとか、さくちと呼ばれていました) きっと、中学時代・高校時代に夢に向かってたくさん勉強をしている私の姿を見てくれていたのだと思います。 私にとって、涙が出るほどほど嬉しいことでした。 でも、何がそんなに嬉しかったのだろう。