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前進 自由の身に
最近は少し落ち着いてきたように思う。
半世紀耐えてきた母と距離を置き一切の連絡を断ってきた。精神科の先生、地域包括支援センターの担当者、ネットで相談した医師、皆『距離を置きなさい』という答えだった。
でも依存が強い母を突き放すのは正直怖かった。なぜだか見殺しにするぐらいの情けを感じていたのだ。母はそんなか弱い人間じゃないのに。実際着拒をして居留守を使っている期間に骨折をしているのだけど、自分で救急車呼んだぐらいだから。最初は私と連絡を取るためにやった人為的な物じゃないかと思ったぐらい。病院から呼び出された私に怒鳴りつけ入院中も看護師さんの手を煩わせて電話してきたり…。
退院後の見守りが必要だと言われ第三者の身元保証をつける決意をした。気持ち的に楽になるはずが、世間の目が怖くて自責の念に駆られたり後ろめたくて苦しかった。
契約をして2週間ほどしか経っていないが、母が大人しくなっている。多分母にとって悪い話じゃないと気がついたのかもしれない。
私はずっと道具でしかなかった。母の事で体調を崩す毎日だった。母の言った言葉は私が先に死んだら困ると。便秘の薬をもらいに行けない、買い物も頼めなくなる。と言ったのだ。
こういう時って本音が出る。私は単なる道具。なので、私の体調を気遣うのは自分のため。
不思議と全然悲しくない。子供の頃運動会に来なかったり、私が検査で1週間入院した時もお見舞いに来なかった時の方が悲しかった。持ってきて欲しい物とかも父が会社の帰りに買って持ってきたり…。
挙げ句の果て検査入院中に生理になったら退院してから「生理痛ぐらいで入院して大袈裟なんだよ!入院の病院いくらかかったと思う!」と言われた。私もう、高校生だったけどいろんな過去の辛いこともひっくるめ悲しかった。しゃくり上げて泣いたっけ。
なので私は母の道具だと言われてももう悲しくなかった。
最近アクションを起こさなくなったのは新しい道具が見つかったからかも。夜中でも駆けつけてくれるし病院にも連れて行ってくれる。となれば私と連絡が取れなくてももう関係ない。
今、私はやっと解放された喜びに満ちている。相変わらずインターホンの音にビクつくけど。
あとは身元保証の人と揉め事を起こさない事を祈る。