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【エッセイ】表現は自由


法律の話じゃないんで

  私の言いたいことは「表現は自由」であって「表現の自由」ではない。

 なんか似たような事を以前も投稿したような気もするし、ボツにしたような気もするしでも自分の投稿を遡って確認するのは難儀なのでしない。

 よくね、文章の書き方講座みたいなものがあってこれはいわゆるガッコで教えるような事をやや拡大して、例えば小説を書くなりエッセイを書くなり詩を書くなりという文章表現のセオリー、あるいはそういった作品を売れる作品として作るためのセオリーみたいなことを教えてくれる講座なのではないかと推察していて私は。
 こういう講座の先生なんかの理屈だと、まず基礎ができていると自分の個性を打ち出すためのアレンジをする段階に至った場合に、それが楽ちんだし、幅も広がりますよということがあるようで以前、似たような議論が音楽版と絵画版で次々に起きたことがあって、私等のようなロック、パンク、スカム系統の人間は始めっからそんなもの無くたって音は鳴らせるし鉛筆がありゃ絵は描けるみたいなイキった意見を言い、実際にガッコに通って学習してきた人達は、基礎ができていればまず自分がやりたいことを具現化するために時間が省ける例えば、人間の形を描こうと思えば人の形をバランス良く描くという下描きまでのスピードがまったく違う、そこから先のアレンジをする場合にもどう崩せばどうなるかという結果があらかじめ予測できるので、結果としてイメージの具現化がスムーズにいくと、こういう冷静な意見であり、これについては音楽の勉強をしてきた人たちも似たような意見である。
 で、あればやはり、自分のしたい表現を結実させるためには基礎の勉強をしたほうが有益なのではないかとも思われるのだが、実はこの対立する2派の意見がいつまで経っても平行線で全然交わらないというのは、そもそもの根本的な考え方に違いがあるからだということに、私は気づいてしまった、
だいぶ以前に。
 だから私は普段、この類の論争には参加しないのだ無駄だから。

なにせスカムだからさ

 基礎派の言うように「自分が表現したいことを自由に表現する」という目的がある場合というのは確かに彼らの言うことは最もだと感じる。
 ただしそれには、目的がはっきりしているという前提が必要なのである。

だがしかし。

悲しいことに。

 自分が何をしたいのかわかってないのである、スカム派は。
【絵を描きたい】
【音を出したい】
【文章を書きたい】
 そういった漠然としたイメージと言うか妄想みたいなものがぼんやりとあるにはあるのだが、あまりにもぼんやりしすぎていて自分でもなにをしたいのかわかってないのである。
 もうこの段階で基礎派が打ち立てた前提が崩れてしまっている要するに。
 「自分が表現したいことを自由に表現する」の中の「自分が表現したいこと」がわからないので「自由に表現する」しか残らないわけ。
 スカム派の人というのは基本的にバカなのでこの「わからない」という部分を深堀りせず、そのまま突進するので当然すぐに壁にぶつかってしまう。 そうするとその都度極めて非効率なやり方で例えば自分の好きな画家の絵を模写してみようとか自分の好きなバンドの真似をしてみようとかいう短絡的な発想に走るのだけど、技術もへったくれもないので似ても似つかない悲惨な、模写したのにまったく別の異形の作品が出来上がってしまうわけである。
 で、ここから先がバカなスカム派の真骨頂なのだが、似ても似つかない模写を自分のオリジナルだと錯覚して根拠のない自信をもってしまい、同様のバカ集団の中で評価が上がってきてしまうという珍妙な現象が起きてくるのだ。

蛙が飛び出る

 しかしバカ集団の中で評価が上がったところで井の中の蛙、屁のようなスカムなのでそんなものは世間的にはクズであり、誰にも相手にされるわけがない。
 はずなのだが、ここで登場するのがやはりバカの、スカムな画商とかスカムなプロデューサーみたいな、いわゆる似非文化人である。
 こいつらも「なんかアートってかっこいいじゃん」「なんかプロデューサーってイカすじゃん」程度のぼんやりした妄想から始まって勝手に名刺なんか作ってそこにわけもわからず「プロデューサー」とかって印刷して悦に入るという甚だインチキくさい存在であって、これもまた正真正銘のスカム派である。
 で、厄介なことにこういうスカム派というのが、案外どの世界にも一定数存在しているわけでスカムアーティスト→スカムプロデューサー→スカムエンジニア→スカムプロモーター→スカムセールスマン→スカムユーザーという具合で末端まで広がり、ぼんやりと「新しい文化」みたいな扱いになって一時的に流行するという構図が成立してしまうのである。
 こうなるともう、井の中の蛙が調子に乗って外界に飛び出してしまった状況となり、今度はこの蛙を真似た別のスカム派が腐った文化を作るという循環が起きていく。
 これがピラミッド最下層で大量に蠢く底辺の恐ろしさである。

結論

 何でもアリである。

 本当に芸術性の高い作品づくりを目的として基礎から勉強し、世界的にもメジャーになっていく表現者に対して批判などできるわけがない。努力の上に成り立った成功を貶めるような行為は単なる僻み嫉みで見苦しい。

 何をしていいのかわからず、とりあえずやってみたらうまく時流にのっちゃったという結果オーライの表現だっていいじゃない。考えないことの力ってのは偉大だと思う。

 何をして良いのかわからないしやってみたけど全然時流に乗れない、でも自分は面白いからやり続けようという人は一生それに没頭できるだけで幸せだろう。

 どんな形であろうと、どんな思考どんな思想であろうと、創るという行為はどこまでも、絶対の自由を以て人を幸福に導くのである。

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