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夢は続く、人生も続く

 

 結婚式の2週間前に、彼から「行きたいところがある」と言われて連れていかれた場所。

 それは、この都市のはずれにある、西地区と呼ばれている場所だった。
かつて人が住んでいた建物が廃墟のようになっていて、建物は崩れかけていた。
「この地区は、先の地震で建物が倒壊して、地区そのものが崩壊した場所だ」
 車を降りて、高台を歩きながら、彼が廃墟を指さした。
「8年前の地震ね」
「そうだ。残った人たちは少しずつ日常生活を送り始めている。だが、失われたものは大きい。
 俺は、来年から始まるここの再開発プロジェクトの責任者になる」
険しい彼の横顔を見て、私も気が引き締まった。
「少し早いかと思ったが、お前に結婚を申し込んだのは」
「プロジェクトのことがあったからなのね」
「理由の一つだがな。付き合いが長くなって、二人とも大人だし、一緒に暮らすのが自然だと思ったのも事実だ」
「私に、この景色を見せたのは」
「今迄あまり話してこなかった、俺の仕事の一部を見てほしかった」
 精悍な彼の横顔を見つめると、ふわりと風が吹いた。今までは風が吹くとなびいていた彼の髪は、短く刈られている。

 初めて出会った日。まだ今の私たちを想像することなんてできなかった頃。まだ少年らしい眼差しが残っていた彼の姿を脳裏に思い浮かべた。
西地区で大地震があった年の夏の終わり。
 もし彼が、あの地震のあと自分の進路を固めたのだとしたら。
 この場所は、夢が始まった場所なのかもしれない。

「俺が子どもだった頃の友達が、ここで死んでる」
彼の呟く声に、私は思わず頭を上げた。
「建物の下敷きになって、一家全員、だそうだ」
淡々と話す彼の声。
「よく一緒に悪戯ばかりしていた。俺が中学から地元じゃない学校に入って、そいつも知らない間に引越しをしていた。大学に入ってから偶然、小学校時代の友人にあって初めて知った」
彼は遠くの瓦礫の山を指差した。
「あのあたりに埋まっていたらしい」
私の沈んだ顔を見て、彼は言った、
「済まない、こんな話をきかせてしまって。だが、お前には知っていて欲しかった。俺がなぜこの仕事を選んだのか」
 彼の、今迄一度も見たことがない真剣なまなざしだった。
「そういえば、理由を話してくれたのははじめて、でしたね」
「お前の仕事の話は聞いていて、俺が話さないのは不公平だと思ってな。
  だが、そう心配することもない。死んでしまったあいつの分も、とか、そんな気持ちで仕事をしているわけじゃないし、もしそんな気持ちで俺が仕事をしてたら、あいつも重いって言うだろう。そういうやつだ」
「仲が、よかったんですか」
「なに、腐れ縁さ。なんとなく一緒にツルんでた。先のことなんてな~んにも考えずに。ガキだったんだ。今じゃ、思い出になっちまった」
 彼は懐かしむように遠くを見つめた。
 式の介添えをしてくれる、彼が一番信頼している男性と私は顔合わせをしているが、きっと亡くなった少年は彼にとっては、その男性とは別のところでつながっていたのだな、と私は思った。

 彼は、私を抱き寄せて囁いた。
「俺は、お前と人生を共にしていこうと決めた時に、思ったことがある」
「なんですか」
「振り返ったとき、やり残したことで後悔しないことだ」
「…」
私は思わず息を呑んだ。それは、言葉にすれば簡単かもしれないが実際に出来ているかどうかは別の問題だ。

「それは…」
「こう見えて、俺だって後悔してきたことなんざ山ほどある。それが人生っちゃ人生なのかもしれない。だけど」

 彼は不意に私を抱き寄せた手を離し、また遠くを見つめた。
「行動を起こして失敗して失うか。行動しないで、何も得られないか。
  なあ、お前ならどっちの人生を選ぶ」
答えにくい、難しい問いだと私は思った。遠くにある瓦礫の山と、廃墟を見つめ、それから目を閉じて考えた。彼は私に即答を求めていないのか、私が黙り込んで考えている時間、ずっと腕組みをして待っていてくれた。
随分時間が経ったのか。それとも、ほんの数分かもしれない。私は目を開けてもう一度瓦礫の山を見つめて、言った。
「ね、思うんだけど。行動を起こしたところで、成功するか失敗するかなんて結果論なんじゃないのかな」
「ほう」
彼はまだ、険しい顔をして腕組みをしている。
「だとすれば。失敗を恐れてその場を動かないよりは、たとえ失敗したとしても行動を起こした方がいいんじゃないか、って私は思う」
私の導き出した答えに、ふっと彼の表情が緩んだ。
「それでこそ、俺の女だ」
「あら、試したの?」
「そういうわけじゃねえ。ただ、確認したかった。俺とお前が…これから同じ道を歩いていくのに、全然反対の方向を見てたら、上手く進めないんじゃないかと思ってな」
私の表情も、きっと緩んだのだと思う。私は彼の方へ向かって歩き、そっと彼を抱きしめた。いつも私が不安を抱えているとき、彼がそうしてくれるのと同じやり方で。
「そんなことにはならないわ。きっとね」
「そうだな」
彼の頬が私の頬に触れ、自然と私たちは唇を重ねた。まるで、ふたつの人生が重なるように。たとえどんなことがあっても、二人で進むのだ。

BGM:レ・フレール「空へ」

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