見出し画像

毒親育ち専門セラピストほりごめさきの「こころの履歴書」 後編

こんにちは!
インナーチャイルドセラピストのほりごめさきです。

前回、インナーチャイルドセラピストの「こころの履歴書」前編と題して、
わたしが誕生してから小学生のころまで、
どんな経験をしてきたのか、
どのようにして、こころに傷を負ってきたのか、
そして、その傷をどうやって癒してきたのかをお伝えしました。

今回は、中学校~高校までのできごとを振り返ってみたいと思います。
ちょうど、思春期にあたる時期ですね。

臨床心理家の河合隼雄先生は、この時期を、
「さなぎの時代」と呼んでいます。
いもむし(子ども)から、ちょうちょ(大人)へ
大きく変化し、成長していく大切な時期です。

わたしのさなぎ時代を、振り返ってみましょう。


中学校時代  性暴力を受ける

わたしが中学時代を過ごしたのは、
小学校からまったく顔ぶれの変わらない、
1学年、1クラスの小さな学校でした。

自然はゆたかで、山、川、田んぼ、何でもありましたが、
人間関係はとても限られていて、
それがわたしの傷を深くした原因の
ひとつであったように思います。

このような小さな町、小さな学校では、
いつもと違った事件が起こると、
あっという間にうわさが広がってしまうのです。

わたしの身に起きたことも、
学校中のみんなに、そしておそらく町中の人に、
筒抜けになっていました。

性暴力は、被害者のこころと体をいちじるしく傷つける、
絶対に許されない行為です。
その被害を被ったことで、
わたしはこころも体も、ぼろぼろになりました。

それに加えて、わたしの身に起きたことが、
あっという間に、誰もが知ることとなってしまったこと。
プライバシーが守られなかったこと。
そのことにも、わたしは深く傷ついたのです。

今でこそ、セカンドレイプという言葉が認知され、
二次被害、三次被害に対する支援の必要性が訴えられていますが、
当時は、そのような考えはまだ一般的ではありませんでした。

性暴力だけでなく、殴る・蹴るなどの身体的暴力は、肉体にも、こころにも、大きな傷を残します。暴力を受けた記憶そのものが、肉体にきざみこまれてしまうのです。家庭内で暴力を受けて育った人は、友達や恋人に体を触れられることをいやがることがあります。体に触れられることと、暴力の記憶が結びついてしまっていて、無意識にふれあいを拒否しているのです。
暴力を受けた肉体は、いつも恐怖に震えています。不安でびくびくしています。またいつ、暴力を振るわれるのかと思うと、緊張をとけず、何をしていても安心できません。すると、筋肉がこわばって固くなり、肩こりや腰痛という症状になってあらわれてくることもあります。
この傷を癒すため、不安を安心に変え、緊張をゆるめてリラックスできるよう、体へ直接アプローチしていきます。「よしよし、怖かったね。痛かったね。かわいそうに。もう大丈夫だよ」と、インナーチャイルドをなぐさめるイメージをしながら、自分の体をやさしくなで、さすってあげる。半身浴などをして、体を温める。温かい飲み物をとることを、習慣にする。そして、たくさん、休みました。いつもどこでも何をしていても怯えていたわたしは、くたくたに疲れ切っていました。


余談ですが、中学生から高校生にかけて、
肌ががさがさに荒れ、にきびが顔中にできるようになっていました。
病院にも通いましたが、治りませんでした。

顔中が赤く腫れ、白く粉を吹いた、にきびだらけの自分の顔を、
わたしはどうしても、許すことができませんでした。

わたしは醜い
自分が恥ずかしい
穴があったら飛びこんで
そのまま消えてしまいたい

いつもそんな気持ちを抱えていました。
自分のことが大嫌いで、大嫌いで、仕方がありませんでした。

そんな理由で、当時の写真を、
わたしは一枚も持っていません。


高校生のころ 引っ越しと鬱

高校進学と同時に、家庭の事情で引っ越しをしました。
自然豊かな田舎町から、県庁所在地にあたる大きな町へ。
わたしをとりまく環境が、がらりと変わりました。
それは想像を絶するほどの、大きなストレスでした。

なんとか、新しい環境になじもうと、がんばりました。
クラスで浮かないように、人に合わせてふるまおうとしたり、
部活も勉強も一生懸命がんばったり、
充実した高校生活を送ろうと、必死でした。

けれど、それは本来のわたしらしくない行動でした。
本心とはちがう、無茶な行動は、長続きするわけがありません。
半年ほどたったある日、プツンッ、と何かが切れてしまいました。

そのとき、頭の中に浮かんだ言葉は、
「あ、わたし、このまま、死んでしまう」でした。
もう、本当に、限界だったのですね。

そこから、わたしに起きたこと
・いつも気持ちが重く、つらい
・突然、涙があふれる
・何も楽しくない、おもしろくない
・食べ物の味がしない
・体を引きずって、歩いているような気がする

今になって振り返ってみると、ひどい鬱状態だったとわかります。

死にたい、という気持ちがいつもこころにあって、
自分の体を傷つけるようなことも、たくさんしました。

学校にいけなくなってしまったことも、ありましたが、
親は、わたしを無視・放置していて、
話を聞いてくれませんでした。

誰にも頼ることはできない、助けてもらえない。
ならば、ひとりでなんとか耐えなくてはいけない。

死ねないから、生きている。
そうするしかないから、息をしている。

そんな日々が、半年ほど続きました。


強烈な眠気に襲われる

このひどい鬱状態からは、翌年の春になるころに抜け出したのですが、
次にやってきたのは、強い眠気でした。

何をしていても、眠いのです。
夜は、しっかり8時間寝ていました。
が、授業中も、部活中も、強い眠気に襲われていました。
通学中、自転車をこいでいるときも、
ふいに意識が遠くなることがあって、
何度か、危ない目にもあいました。

当時の友達からは「ねむり姫みたい」とからかわれていましたが、
内心ではきっと、呆れているんだろうな、と思えて、
こんなわたしはなんてダメな人間なんだろうと、
ますます自分に絶望し、自己嫌悪にさいなまれるようになっていきました。

死をたとえて、「永遠の眠りにつく」という
言葉を使うことがあります。

私の場合、「死にたい」という気持ちが、
こころに浮かばなくなったかわりに、
「強い眠気」という症状にとって代わったのだと思います。

日常に支障をきたすほどの眠気を感じていたのだから、
親に正直に話して、病院へ連れて行ってもらえばよかったかもしれません。

けれど、当時のわたしは、親に怒られることが怖くて、とても言えませんでした。
「授業中に寝てしまうなんて、やる気と根性が足りない」
「お前は救いようのないダメ人間だ!」
そう、ののしられ、見捨てられるのが怖かったのです。

わたしは、中学・高校を通じて、
どんどん、自分を大切にできなくなりました。
どんどん、自分を嫌いになっていきました。


当時の自分を癒すためにしたことは、イメージの中で、共感となぐさめの声をかけてあげることです。「辛かったね」「すごく苦しかったね」「誰にも助けてって言えなくて、孤独だったよね」「あなたが自分を嫌いでも、わたしはあなたのことが好きだよ」「あなたが死なないで生きていてくれたから、今のわたしがあるよ」「ありがとうね」などなど…。
自己嫌悪・自己卑下の気持ちは、ひとまず横に置いておいて、子ども時代の自分を、今の自分が肯定し、なぐさめ、愛し、許してあげる。気持ちに共感してあげる。あの時、助けてくれるひとが誰もいなかったのなら、今の自分が彼女を助けにいく。
イメージの癒しは、時間も場所も超えて、インナーチャイルドに届きます。魔法のように、パッと消してしまうことはできないけれど、じっくり、こつこつ、続けていけば、必ず傷は癒されます。

まとめ

中学校~高校まで、わたしのさなぎ時代を、振り返ってみました。
前回の記事(誕生から小学生まで)と合わせて、
これがわたしの子ども時代、インナーチャイルドの時代です。

たくさんの傷を負い、苦しさに耐えてきました。

今でもときどき、こんなことを思います。
「あの時、消えていた方が、楽だったんじゃないかな」と。

でも、あらゆる困難をくぐり抜けて、生き延びたことには、
きっと何か意味があるのだとも思っています。

現在、心配や不安がまったくなくなったわけではありません。
けれど、子どもの頃に感じていた絶望感と比べれば、なんてことはありません。

こころの中にいる、小さな自分を抱きしめて、愛し、癒していく。
そうすることで、本来の自分らしさを、少しずつ取り戻すことができました。

今は、こころも体も軽やかで、毎日が楽しく、しあわせを感じます。
自分の性格や特徴がわかったことで、とても生きやすくなりました。

今は、自分らしさを表現するために、試行錯誤の真っ最中! といった感じです。


お読みいただいて、ありがとうございました。
わたしと同じような経験をした方や、
インナーチャイルドを癒したいという方の
参考になったなら、幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?