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私が富士登山をリベンジした意味Part3
真夜中に起こる父と母の激しい喧嘩に、過呼吸になり大泣きしていた幼少期、
父の暴力、姉の暴力に震えては過呼吸になり、いつしか感情を殺すことで感じないようにして、生き抜くために自分を守っていました。
息を吐いても吐いても、苦しくて吸い切ることができない。呼吸が苦しくなって、気持ちも弱くなり諦める。八合目を超えて感じる幼い頃からの胸の締付けや、今までの在り方。
「はい、呼吸を整えて〜。息を口から吐いて、胸を張って顎を上げて鼻から息を吸って(複式呼吸)」
ガイドさんの言葉に反するように、気分が悪くて胸も張れず顎も上げられない。身体面と精神面の繋がりに気付かされます。
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【暴力や暴言に、やられてきたことに負けてきた自分(やられる自分がダメなんだとさえ思い込んでいた過去の記憶)】
【生きてるだけで素晴らしい、尊い自分を守ることや大事にする事ができなかったこと】
父や姉との間で起こった出来事だけではなく、人生のあらゆる場面で同じことを繰り返してきていた事にも気付かされました。
幼少期の家庭環境という影響は人生にとって、とても大きなものであるけれど、
自分自身が「選択」して「決める」ことで、その影響という枠を外れ、超えていくことができる。
「全部自分で選択している。」富士登山に来る一週間前まて働いていたペンションのご主人が言っていた言葉です。
どこかで分かっていながら、いつも何かのせいにして、最後の最後は逃げていた。
何が良い悪いではなく、一つ一つが大切な経験であり、経験するから気付ける。故に何一つとして無駄はない。
自分自身で「選択」して「決める」力。
山を登り頂上に行くことができるのは、自分自身でしかできないように、人生を切り開いていくのも、また自分でしかできない。
新たに見たい景色があるからこそ、私は超えていきたいと思った。自分を信じること。
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キツくなり続ける体調に不安を感じた私は、自らガイドさんに伝えにいき、なんと自ら前を歩いた方が良いですか?と聞きました。
十数年前は、「無理です。」と頑なに前を歩かなかった私が・・。時を経て成長しましたとカッコよく言いたい所ですが、
限界すぎたこと、絶対に登りたかった気持ちが、アクションを起こしたのだと思います。
「自分で言えてるし、笑顔があるから大丈夫!本当に、ヤバい人は言えないから!後ろを歩くと人の圧で、苦しくなりやすいし、前の方が開けていて苦しくなりにくいので、前を歩きましょう!」
爽やかに力強いガイドさんの姿勢と言葉に力をもらい、先頭を歩かせてもらう事になりました。
一歩一歩、吐く呼吸と共に前に進みます。吐いても吐いても吸う息が入りづらくて、姿勢を正そうとすると、もっと気分が悪くなる。
もう、きっと、お婆さんのような姿勢で登っていました。金剛杖を片手に。
なんとか八、五勺合目の御来光館に辿り着いたものの体調は最悪。ご飯は、ほぼ食べれず、吐き気に襲われ続けました。
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ガイドさんにアドバイスをもらい防寒して外に出て、半分うずくまるような姿勢で呼吸を整える私。
「うわぁ〜星が綺麗!」「最高!」だなんて楽しそうな声が聞こえてきては、空を見上げて、また気持ち悪くなる波に襲われの繰り返し。
あぁもう無理だな。深夜頂上に行く体力も気力も限界だ。悔しいけれど、前回よりは高い場所に来れた。ここまで来れただけでも十分だ。
もう良しとしよう。ほぼ頂上に行くことは諦めた気持ちを夫さんにメッセージを入れて、山小屋の寝袋に入りました。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。Part4、次でラストになります。どうぞ、最後までお付き合い下さい。感謝です。
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