“ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観” 第13章
今日のおすすめは!
D・L・エヴェレット “ピダハン
「言語本能」を超える文化と世界観”
屋代通子訳
*本との出逢い
堀元見さんと水野太貴さんのYouTubeチャンネル”ゆる言語ラジオ”で話題となったこちらの1冊。
イビピーオってなんだろう、水野さんが語らなかった箇所について自ら読みたいという想いで手に取りました。
学びがあった記述やピダハンの情報などを、これから各章毎に分けて読書記録を残そうと思います。
ゆる言語ラジオリスナー(ゆるげんがー?用例?)に楽しんで頂けたらと思います。
今回はピダハンの文法について読み解いていきます!
それでは第12章からどうぞ!
*文法は文化から成り立つ
正しい文法で話さなくても、文化的背景を共有していれば意味が通じる。
例:ロビンウィリアムズの代表作映画『ミセス・ダウト』の「わたしは…その…仕事」と電話をするが、文法的には間違っていても、文脈や、映画の状況や日頃の経験から求人を探している事が伝わる。
何をどのように言語化するかは文化的価値や文化的経験に影響を受けている。
(=「談話空間」という。)
その為、母語以外を学ぶ際は文化的背景も学ぶ必要がある。
*文化による思考の制限の例
以前のアメリカ人は、自分達が目撃した超自然現象をしばしば口にしていたが、時代が進むに連れて信じる人が少なくなり、架空のものとして会話をするように変化した。
例:魔女裁判、心霊現象
ピダハンは外部の事物を会話に取り入れない。
例:
・ピダハンは煉瓦の家を造らないため、質問されない限り自ら話題にしない。
・魚を手に入れる際は槍で突くか、手で掬う方法の為、釣り竿は受け入れず、使い方についての会話にならない。例外もあり。ピダハンは何世紀もカボロクから、カボロクの信仰について聞かされ続けた為、信仰はしないものの、話題には上がるように変化した。
*exotericとesoteric
言語学におけるexotericコミュニケーションとesotericコミュニケーションは、キャロル・サーストンやジョージ・グレイスとアリソン・レイらの研究からきている。
ジャネット・セイケルとユージェニー・ステパートがピダハン語分析に用いる事を最初に提唱した。
例:概念,論理に収まらない人間の霊的衝動のもとに世界を把握しようとする密教など、限られた内輪ないでのみ行われるコミュニケーション。
論理的に分析する事ができるコミュニケーションで、大抵の文化はエソテリックに分類される。
話し方や話題にされる事が文化によって比較的狭く限定されるところから生じる為、境界のはっきりした集団における属性を明らかにするのに一役買う。
そのなかでも、保守的なピダハンは顕著に表れる。
*ピダハンの認知能力はちっとも原始的ではない
ピダハンが転位などの複雑な文法を使用しないのは、原始的な認知能力だからなのではなく、エソテリックな文化にぴったり当てはまっているから簡素な文法になっているだけであるとエヴェレットは主張する。
この考えはチョムスキーの、本能から文法が生じるという生成文法を否定している。
エヴェレットは、ロバート・ヴァン・ヴァリンの「役割と参照文法」を支持している。
また、文化が文法に影響を与えるという事は、つまり、人間の共通の文法とは、人間の認知の共通性の表れなのだとするウィリアム・クロフトの「急進的構文文法」の考えにも共感している。
*それでまた次回お会いしましょう!
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