舞台裏から変わる生き方


私には、中身がない。

私は、どこにでもいる40代の独女だ。
しかし、たった一つ誰にも言えない、過去がある。

20代の貴重な時期をある活動に費やし、生活のため日銭を稼ぐこと以外に、社会的な活動はほとんど何もしてこなかった。
友人と遊びに行くとか、親戚付き合い、映画を観たりカラオケに行ったり、CDを聴く、本を読むといったことまで、あらゆる娯楽を捨ててきた。もちろん芸術も恋愛も。

洗脳から覚め始めたのは35歳を過ぎたころで、今は悔やんでも悔やみきれない。時間は取り戻せない。

それからは婚活をやってみたりもしたけれど、自分の焦点のズレ具合からか、まぁ〜上手くいかなかった。
それまで常識が全く違う世界で生きていたのだから、普通の人とどうしても焦点が合わなくてチグハグしてしまうのだ。フラレまくって、散々な30代だったのを覚えている。

あるときは私が重過ぎてフラれてしまったこともある。
そこから、自分は自信がないから、いわゆる自己愛が足りないからそうなるのだと知って、自己肯定感を高める実践が始まる。

カウンセリングを受けたり、ヒーリングを受けたり、浄化グッズを買ったり、自己啓発のセミナーに出たり、まぁ色んなことをした。

けど、一番参考になったのはYouTubeの動画だ。
有料級の情報や手法が惜しげもなく語られているのだ。
心理学や自己啓発系の動画は、見まくったと思う。


ところで私は、高校生の頃から飲食店の接客の仕事をずっとしてきた。
好きだったわけではないが、特にやりたい仕事もなかったので、ただなんとなくずっと。

中身に自信がないのを埋めるためかわからないが、見た目には気を遣ってきた。
若い頃は爽やかだったし、自分で言うのもなんだが、見た目はよい方だ。

自分には20代の時に行き着いた接客のキャラというのがあって、
「礼儀正しく、元気よく!」というのがそれだ。絶対このキャラが一番、日本人にはウケると思う。

とにかく礼儀正しく元気のいい接客をしていれば、「若い人ががんばってるわね〜!」と少々のことは許してもらえるのだ。
そして飲食店の接客はお客さんと深く話し込むことはないため、表面的なコミュニケーションで事足りる。

そう、私は第一印象が一番いい人間だった。これが、恋愛が長続きしなかった理由でもある。すぐに彼氏はできるが、長続きしないのだ。

 

話は戻るが、35歳頃に洗脳から覚めて、少しづつ自分の社会生活に意識を戻すようにしていった時、自分の中身のなさに茫然自失になった。
それはほとんど、そこに心が向いてなかったからだ。
社会に生きるひとりの人間としての私、を私はほとんど、育てられていなかったのだ。

しかし、過ぎたことを悔やんでばかりもいられない。

私がYouTubeで得た、自己肯定感を高める方法の概要は、こうだ。

毎日、自分の気分がアガる事をして自分を喜ばせる。
例えば、マッサージが好きだったら意識的にいく様にするとか、お風呂が好きだったらその時間を意識的に楽しむ。オシャレでも料理でも、1人カフェでもなんでもいいから、自分が喜ぶことをしなさい。
そしてやりたくない事は極力しない。常に自分がゴキゲンでいることに注力すること。

今まで無意識にやっていた事を、改めて自分は何をすれば気分が良くなり、何をしている時が気分が悪くなるのか、ノートに書き出して考えてみた。

すると今まで、飲食店の接客業は全て好きではないと思っていたけれど、お店によっては楽しく感じられていることに気づいた。

私は、料亭での中居さんの仕事も長らくしてきたが、実はこれが好きではない。
着物を着るのは好きだが、中居の仕事は好きではないのだ。

でもカフェや蕎麦屋などのカジュアルなところなら、自分のキャラに合っていて素のままで楽しく働けるのだ。

だから、なるべく中居の仕事をしない様にして、カフェの仕事を増やす様にしてみた。

すると、毎日がとても楽しく過ごせるようになった。
ありのままの自分でいられるし、身体も動かせるし、お客さんと接するのもアッサリでいいから、ストレスが溜まらない(笑)。

また、私は物が多くてゴチャゴチャした職場はストレスが溜まるので、そういう職場にはなるべく行かないようにしたり。
我慢せず思ったことはなるべく率直に言うようにするとか、自分に正直になるようにして過ごした。


そして、私のお気に入りはこちら。



・・・・カベに穴が?!


いえいえ、そうじゃありません(笑)。
3Dウォールステッカーと言うやつです。

元々、芸術的なものが好きなので、こんな、クリエイティビティを刺激してくれるものを部屋に飾る、ということをしてたりする。

・・・そうやって自分を喜ばせることに注力していたら。
平凡な毎日だけど、心が満たされて、以前より幸せを感じられる様になってきたではないか!
以前の様に、自分に中身がないとも思わなくなった。

話は唐突だが、日本のあらゆる「インテリア」に対しても、思うことがある。

高校生時代、オーストラリアにホームステイに行った時に、与えられた部屋がメルヘンに可愛くって高校生の私はめちゃくちゃトキめいた。

壁はピンク色で、窓枠とフリルのカーテンは白、家具は薄茶で統一されていて、ぬいぐるみが沢山あって・・・あんなに可愛い部屋、日本でお目にかかったことはなかった。
映画の物語のような世界が、こんな一般家庭にあるなんて衝撃的だった。

一方で、日本のインテリアは、機能性を一番に重視されているように思う。

壁は基本的に白だし、窓もドアも、ほとんど全てデザイン性はなくて基本的にシンプルだ。ムダがない、と言ってもいい。

飲食店もそうで、例えばホテルなどは、絨毯やシャンデリアやデザイン性のあるソファがあったりもして煌びやかなのだが、打って変わってバックヤードになると、、ひじょ〜に殺風景だった。

煌びやかな表舞台と、殺風景なバックヤード・・・この落差に私は、かなり違和感を感じていた。

壁紙はもちろん柄なし、置いてある物も装飾品は皆無で、仕事に使う物しかない。
働いている礼儀正しいホテルマンも、裏での振る舞いはなぜか体育会系で粗暴だった。

他の飲食店もそうだ。
特に古い店のバックヤード、更衣室や休憩室などは、いつも手入れされていなくて着替えるだけの無機質な空間。
そこからは、ただ着替える、体を休めることが出来ればいい、と言いたいのが伝わってくる。

花が生けられているなんてことは滅多にない。当然のように、掃除も満足にはされていない。
誰も気にも留めない、気をかけられていない空間。なんだか…潤いがなくて、カラカラに乾いているような気がする。

しかし、そんな空間を誰かが綺麗に掃除して、壊れた所を丁寧に補修して、美しいオブジェでも飾ったら、どうだろう?
場の空気が変わって、そこを使う人たちの心も潤っていくのではないだろうか。

現代の日本では、一日の大半を過ごす仕事環境においても、見えない部分は蔑ろにされがちだ。
合理的にムダを省く物理的合理主義で、今までやってきたのだ。

その結果、現代はストレスまみれで心が壊れている日本人が本当に多い。

物が有り余って飽和状態の現代。
これからは心の時代と言われているが、
見えない部分にこそ、気をかけて、いかに心がゴキゲンでいられるようにするか。見えない舞台裏を、いかに心地よい空間にするか。

皆んながそういう方向に心が向かえば、仕事のパフォーマンスも、爆上がりするんではないだろうか。

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