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人間としての尊厳

無理矢理とは言わずとも"やらなければならない"状況は山程あると思う。
使命感とは違う、それを選択しなければさらに危険な方に進むというもの。
威圧感、恐喝、トラウマ、強迫観念
色んな理由はあるけれどそれはあくまでも自分の選択。
そしてここでの話は主に私が水商売をしていたから起きたこと。
(さらに深掘りすれば幼少期の問題にはなるけれど)

結果どんな目に遭ったとて
「その時点でなぜ逃げなかった、対策しなかった」それが一般論。
私だって私自身の経験にそう思う。

私自身10代20代の頃はそんな経験が殆どだった。
きっともうずっと淋しかったんだけど淋しさの原因も表現の仕方もその頃は分からなかった。
一緒に居てもらえるならと脱法物にも手を出していた。
19歳の頃には手術をして私はまた一人ぼっちになった。その間"彼氏"に300万円を盗られどこかに行方を晦まされた。

色々あった中で特に記憶にこびり付いて離れないものの一つがある。

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暗い部屋の中。粘膜が麻痺していた。身体、内臓が壊れるかと思った。事前に度のきついアルコールも大量に摂取させられもう何をされているのかさえ分からなかった。
いつまでこの時間が続くのかも分からなかったし早く終われとしか思わなかった。ただただ感情を持つことを許されない、笑顔を崩してはならない、機械のようになっていた。
逆らえば殺される。

何時間か覚えていない。終わった後はずっと震えが止まらなかった。
同居人に悟られる訳にはいかないので家にも帰らず明け方外でしばらくぼうっとしていた。震えながら、時に過呼吸を起こしながら。
今でもあの出来事は映像で脳内再生される。しばらくトラウマだったし詳細は誰にも話した事がない、とても話せない。
黒服は状況把握のみ。相手は権力者なのだろう、何もしてくれる訳が無い。送迎さんだけがずっと心配してくれていた
身体は無事だったけど多分心が壊れた。


長い間、身体は交渉に使う道具としてしか思ってなかった。けれどもそれは改善されたと思う。
私のその部分を利用しようとする人に世代は関係なかった。利用した人にも色々闇があったかもしれない。それでもそれは許されない事だと今は認識している。

仕事もやり甲斐はあったけれど居場所をずっと探していた気がする。
いつでも部屋に来ていいよ、と言われると泣きそうな位嬉しかった。
うたた寝している時に布団をかけられるのはとても好きで感情が溢れ出る。
彼の部屋のキッチンの引き出しの一部を 「咲が好きそうな食べ物のコーナー」とお菓子やらが沢山詰まっていた事も、とにかく嬉しかった。

私は人としての尊厳を自ら壊して行っていたのだろうか。
だからこそ20代のうちに死のうと思ったしある人に出逢わなければ実行していたと思う。
その人が根気強く私を支え続けてくれた。

私は支援を拒否を続けたもののその事が安定するようになってからは、よく知りもしない人に気安く触られるととてつもない嫌悪感を覚えるようになった。これが本来の私なのだろう。
愛着が安定している人ならば自分で立て直せたのだろうか。

なんてとりとめのない文章になってしまったんだろう、思ったままの事を書く場所だからいいか。


そばに居たかっただけなのにまた失敗しちゃった。


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