小説:雷の道(火曜日) #02
故郷を捨てたことがある人ならわかると思うんだけどさ、その中にもう一度入るには勇気が必要なんだよね。
一度辞めた部活にまた入るみたいなね。
電車の窓から工場の大きな煙突が見えてきてさ、帰ってきたという実感が沸いてきて、最初に感じたのは、どうしようもない懐かしさだったんだけどね。
だけど駅のホームに足を一歩踏み入れると、さっきの懐かしさはどこかに消えて、目に映るもの全てが敵意に満ちて、だから分厚い壁を両側に建てて、ずっと誰かの気配を気にしていたな。キミならわかるだろう?
駅前で車を借りたんだ。
期間は二週間と記入した。
車を走らせると古い時計のネジを巻いたみたいな時間が動き始めた。
十五年ぶりの故郷。
人口十万人の過疎の町。
何もかも変わっているんだろうなと思っていたけど、案外そうでもなかった。
市役所、消防署、映画館。
古いものは古いままだった。
道路が拡張され、新しい橋が出来ていたけど。
高校生の頃よく通ったデパートに入ったんだ。
ここもまた不思議なくらい何も変わっていなかった。
入り口から内装から棚の位置に至るまで何もかも。
目的のものは直ぐに見つかった。
A3の方眼ノート。
それは新しく何かを始める時にどうしても必要なものなんだ。
僕の唯一の流儀というやつさ。
レジも同じ位置にあった。
変わっていたのはレジに立つメンバーだった。
いや、よく見るとメンバーも同じだ。
十五年後の姿があるだけだった。
でも一人、かつては居なかった、懐かしい人が立っていた。
美沙岐だ。
僕は空いているレジには並ばずに美沙岐のレジに並んだ。
「お次の方、こちらへどうぞ」という声がしたけど聞こえないふりをした。
ちょっとだけ気まずい空気が流れた。
後ろに並んでいた高齢の男性が軽く頭を下げて、空いてるレジに進んだ。
辺りは静かになった。
僕は美沙岐の前に立った。
彼女はノートを手に取った。
細くて爪先まで真っすぐな白い手だった。
指輪は無かった。
無機質な音が鳴り金額が表示された。
僕はクレジットカードを差し出した。
美沙岐は顔を上げた。
目が合った。
「覚えてる?」
彼女は無表情のまま「もちろん」と答えた。
後ろに客が並んでいる。
商品を受け取ると僕はその場を離れた。
振り返って見たけど美沙岐が僕の方を見ることは無かった。
デパートを出ると、遠くで雷の鳴る音がした。
見上げると暗い雲が立ち込めていた。
でも暗い気持ちにはならなかった。
むしろ気持ちが高ぶっていた。
まるで初恋。
いや、そうだ。
美沙岐は僕が初めて好きになった女の子だったんだ。
まだ恋が何なのか、わからない時分に迷い込んでしまった真っ暗な部屋。
結局それが何なのか確かめもせずに部屋から出て行ってしまった。
何をすれば良かったのかもわからず。
今ならわかる。今、どうすればいいのか。
雷鳴が近くなりつつある。
僕は車から飛び降りて再び美沙岐のレジに並んだ。
「あと二時間で終わるから」というのが答えだった。
成長。
僕は中学の時、彼女を映画にさえ誘えなかったんだから。
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