その罪と、私ならどう向き合うか『氷点』

人間は結局自分のことばっかりだ。
他人の行った悪事は許せなくとも、
それが自分なら仕方ないと思う。

罪を犯した人間を許す、許さない。
その思考がもうすでに傲慢だ。

名作とされ、何度もドラマ化などもされていた
三浦綾子さんの「氷点」。

内容を詳しく知らずに読み始めたが
想像よりもずっと重たいテーマだった。

これは、自分の娘を殺した殺人犯の子・陽子を
本当の娘の代わりとして迎え入れ育てる家族の物語。

物語は、娘のルリ子が、
妻・夏枝の不貞の最中に亡くなったことへ
恨みを持った夫の啓造が、
復讐のために犯人の子どもを引き取り、
妻には内緒で育て始めるところから始まる。

後に、夏枝は事実に気付き、
陽子に愛情を注げなくなるばかりか
恨み、憎しみを持ったり、
一人の女性として嫉妬したりする。

陽子は数々の悲劇に直面するわけだけれど
これらは全て、身勝手な大人の
「自分かわいさ」によるものだと思う。

夫婦に強く感じられたのは、
自分に向けられた被害者意識だ。
一番かわいそうなのは自分で
傷つけた相手が全て悪いという思考。

この小説は、かっこ書きで
心の声が挿入されているから
心情の変化がとてもわかりやすい。

事実を知り、どんどん堕ちていく夏枝の一方で
船の事故で自分の命を投げ打ってでも
他人の命を守った宣教師と出会った啓造は
少しずつ心を入れ替えているように感じる。

入れ替えている、というより
自分の言動を冷静に顧みるようになった。

啓造は上巻の時点で、夏枝よりも
生来物事を熟考するタイプとして
描かれていたように思うが
その思考が的確になってきた感じだ。

そんな啓造の心の声にこんな一文がある。

人のことなら、返事の悪いことでも、あいさつの悪いことでも腹が立つくせに、なぜ自分のことなら許せるのだろう、と啓造は人間というものの自己中心なのにおどろいた。(自己中心とは何だろう。これが罪のもとではないか)

氷点(下) 

私たちは、他人のことにはすぐに腹を立て
許す許さないを偉そうに考える。
でも、自分のこととなると一変、
そのジャッジをくだしさえせず
何事もなかったかのように
水に流しているということがきっとある。

本作の登場人物は時代背景を考慮しても
共感できる部分が非常に少ないと思う。

あまりにも自己中心的な大人。
その一方で正義感の強すぎる子どもたち。

露骨に対比するように描かれる
子どもたちのまっすぐでたくましい姿は
あまりにも眩しく、素敵とは思いつつも
大人になってから読んでしまうと
親近感を持てない部分がある。

でも、彼らの瞬間を切り取ったとき
その感情、その行為、その選択が
理解できないこともないと思うことがある。

小説を読んでいて感じるのは
どんなに嫌だと思う登場人物にも
自分が垣間見えるときがあり、
その度に物語と向き合いながら
自分と向き合う機会をもらっているということだ。

この本を読んで、私は自分自身に対して
甘すぎる部分はないかと考えた。
そして何より、人に厳しすぎる部分はないかと。

人間は生きている限り絶対に罪を背負ってしまう。
相手の罪をどこまで許せるか、
自分の罪とどこまで向き合えるか。
そんなことを考えさせられた。

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