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【ミステリーレビュー】叙述トリック短編集/似鳥鶏(2018)

叙述トリック短編集/似鳥鶏

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収録されたすべての短編に叙述トリックが用いられていると明言された、似鳥鶏による挑戦的な短編集。


あらすじ


"この短編集はすべての短編に叙述トリックが含まれています。騙されないよう、気をつけてお読みください。"
妙な愛好癖を持つ別紙を探偵役に、あの手、この手を使っての叙述トリックの見本市。
ここまでアンフェア性を排除した叙述トリックが、これまでにあっただろうか。



概要/感想(ネタバレなし)


エラリー・クイーンに倣い、読者への挑戦状が差し込まれるミステリーは古今東西数多くあれど、1ページ目にそれがある作品となると、極めて稀と言えるだろう。
もちろん、その段階で事件を解決しろ、というのは無理な話なのだが、これから叙述トリックを使うから見破ってみろ、という挑戦であれば、筋が通っているというか、潔すぎるというか、なんだか挑戦する意欲が湧いてくるのである。

叙述トリックが使われている作品は、その性質から、ネタバレなしで魅力を語ることが難しい。
それを事前に語ってしまうことは、ともすれば興ざめなのだが、こうも真っ向から断言されると、それでも騙してやるという究極のトリックがそこにある気がして、かえってワクワクしてしまったのは、僕だけではないはず。
なんなら、冒頭に各章における見破り方のヒントまでが堂々と掲載。
叙述トリックがアンフェアだなんて言わせないぞ、という著者の並々ならない強いメッセージが感じられる。

短編のスタンスとしては、極めてライト。
妙な愛好癖を持つ別紙を探偵役に、全編的にコミカルなタッチで描かれており、扱う事件も、一部を除いてコージーミステリー風だ。
しかし、「騙す文章」ということがわかっている読者としては、このライトな雰囲気に飲まれてはいけないぞ、という疑心暗鬼。
軽い文体が、読者を煽っているように感じてくれば著者の思うつぼ、といったところか。
ここまで煽るのなら、よほどトリッキーなものが待っているのだろう、と身構えていたものの、案外、王道的な手法も用いていて、叙述トリックの教科書な内容。
言ってしまえば、「必ず最後に騙される!」みたいなキャッチコピーが帯に踊り、ネタバレを踏まないようにネタバレしているなんてことは、叙述トリック作品においては日常茶飯事。
だったら、事前に伝えていても、実はそんなに影響はないのでは。
なんてアンチテーゼを含んでいるのであれば、恐れ入るな。

帯の有無や位置によって絵柄が変わる表紙の工夫もトリック仕立て。
この作品に、この表紙あり、というギミックも気が利いていた。



総評(ネタバレ注意)


内容的に、何をどこまで書いていいのやら、ではあるのだけれど、企画としては、とても面白い。
正直なところ、冒頭の「読者への挑戦」を読んだ時点で、大ネタは予想できたし、最後の仕掛けの存在も気付いてしまったが、個々の短編を楽しむ余地は残っていたし、こちらとしては"勝負に勝ったぞ"という心の余裕も得られ、ネタバレした小説を数百ページ読むような苦痛は一切なかった。
この構成にした狙いは、ネタバレしても面白さが損なわれない、というところにあったのかもしれない。

有名なあのミステリーのオマージュだったりするのかなと推測される「ちゃんと流す神様」、カットバック形式での叙述トリックのお作法を忠実に守った「背中合わせの恋人」、作中唯一スリリングな空気を楽しめる「閉じられた三人と二人」、劇中劇という設定で殺人事件の犯人当てをする「なんとなく買った本の結末」、国際色豊かな貧乏寮での盗難事件をコミカルに切り取った「貧乏荘の怪事件」、ここまで張ってきた伏線が回収される「ニッポンを背負うこけし」。
それに、「あとがき」も忘れずに読んでおくべきだろう。
「貧乏荘の怪事件」にはマクガフィン的な要素もあって、読後、ついついググってしまった。

さて、大ネタについて。
作中にひとりだけ共通して登場する人物がいる、という前置きがある時点で、ここにブラフがあるのは気付くことができた。
とすると、彼以外で共通して登場していたのは、と逆算。
3話目ぐらいで叙述トリックの正体が見えてくる。
とはいえ、そこにネタがあるとわかっていても、最後の「ニッポンを背負うこけし」の(物理的な)トリックは、あまりにバカミス的で思いつくはずもない。
ミステリーを読み慣れていない人のほうが出てきそうな発想ではあるが、そういう人は叙述トリックのほうに騙されるだろうし、この組み合わせは、ある意味で究極。
大ネタがわかって勝った気でいたが、最後の最後で著者にしてやられた、という気分である。

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