【ミステリーレビュー】その可能性はすでに考えた/井上真偽(2015)
その可能性はすでに考えた/井上真偽
井上真偽による、捻りを効かせた多重解決ミステリー。
デビュー作「恋と禁忌の述語論理」で登場した青髪の探偵、上苙丞のスピンオフ作品となるのだろうか。
多額の借金を抱える上苙の債権者である中国人美女・フーリンを視点人物として、奇蹟を信じる上苙と、あくまで人間に実現可能である可能性を提示する刺客たちとの推理合戦を見届けるという一風変わったミステリー。
奇蹟に見せかけたペテンを探偵役が暴く、というミステリーは数多くあれど、その逆というのは珍しい。
その斬新な切り口が評判を集め、2016年には続編「聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた」も刊行されており、シリーズ化を果たしている。
自給自足の生活を教義とする新興宗教団体で起こった集団自殺。
唯一生き残った少女は、好意を寄せる少年とともに脱出するが、翌朝、少年は首を切られて死んでいた。
クローズドサークル的な状況で、犯行が出来るとすれば少女だけ。
しかし、怪我を負った少女に、凶器となったギロチンまで少年を運ぶことはできず、不可能殺人の様相。
事件前後の記憶が曖昧な少女の依頼で事件を調査した上苙は、これを"奇蹟"であると断定する。
元検察官の老人・大門、フーリンのかつての裏社会における仕事仲間・リーシー、上苙の元助手である小学生・八ツ星と、主人公バディと因縁のある好敵手が次々と登場しては、推理を披露。
相手は可能性だけでも認めさせれば良いのに対して、上苙は証拠をもって否定しなければいけないという不利な推理ゲームに追い込まれるのだが、「その可能性はすでに考えた」の決め台詞とともに、鮮やかに反証していくというのが大まかな流れである。
通常であれば、推理をする側が不利であるのだが、可能性をすべて潰し込まなければいけない反証側が不利になるゲーム性にしているのが肝と言え、よくもまぁ、この設定を思いついた、そして長編小説として成立させたといったところだ。
ひとつの結論から、あらゆる仮説を導き出すという多重解決モノの亜種と言えるが、すべてに反証して奇蹟を認めさせることを目的に置いたことで、随分と新鮮な作風になるものだな、と。
さすがに設定にはリアリティには欠け、キャラクター重視の側面があるものの、パズラー要素が強い論理バトルは、素直に面白かったと認めよう。
なお、やや衒学主義的なきらいもないわけではないが、「恋と禁忌の述語論理」のように、理解が追い付かない読み飛ばしページが出てくるわけではないのでご安心を。
【注意】ここから、ネタバレ強め。
探偵側が声高に主張したらバカミスの烙印を押されるような推理でも、完全に否定しようと思うと難しい。
可能性が完全に否定できないのであれば、それがいかに現実離れしていても良いではないか、というミステリーからファンタジー性を排除しようとする読者へのアンチテーゼの側面もあったりするのだろうか。
もちろん、最後には主人公にひっくり返されてはしまうのだが。
最後に否定されることがわかっている、という点では、倒叙モノ的な側面もあるのかもしれない。
とにかく設定の面白さは否定しようがない。
強いて言うならば、黒幕だけがキャラが立っておらず、もったいないか。
上苙が奇蹟に執着する理由は終盤に語られるが、黒幕が上苙を陥れようとする理由については、動機付けが極めて弱い。
手の込んだ推理合戦を煽ったわりには、撤収も早く、手の込んだトリックで挑んだ刺客たちに対して、揚げ足取りをしただけというのは、印象が薄くなっても仕方あるまい。
もっとも、このあたりは続編まで引っ張る意図があるのかもしれないが、一旦は本作固有の評価として。
一番難しいのは、オチだよな。
仮説への否定を続けて、奇蹟でした、と言ったところで、読者は納得するまい。
その点で、試合に勝って勝負に負けた、という結末は、妥当だとは思うが、トリックがわからずとも、先の展開が読めてしまったとも捉えられる。
この作品があくまでミステリーである、という前提に立つと、上苙の悲願が達成される見込みは極めて少なくなってしまうのが気の毒だ。