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【ミステリーレビュー】隻眼の少女/麻耶雄嵩(2010)

隻眼の少女/麻耶雄嵩

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2011年に日本推理作家協会賞と本格ミステリ大賞を受賞した、麻耶雄嵩の長編ミステリー。


あらすじ


村の"神"であるスガル様の後継者となる少女が首を切られて殺されるという殺人事件が発生した。
自殺する場所を求めて村を訪れていた大学生・種田静馬は、犯人として疑われてしまうが、水干姿の隻眼の少女、御陵みかげの推理により救われ、以降、助手見習いとして事件に関わっていく。
事件は解決するが、18年後、同じ村で再び悲劇が訪れて……



概要/感想(ネタバレなし)


本作は、二部構成となっており、それぞれが単品としても重厚な本格ミステリーとなっている。
第一部の舞台は、1985年の冬。
スガル様の後継者となる少女たちが次々と殺される連続殺人事件が発生。
御陵みかげは、助手見習いの静馬とともに、父を失いながらも事件を難事件の真相を導き出した。
第二部は、事件解決から18年後の2003年。
再び村を訪れた静馬は、再び当時の事件をなぞるような連続殺人に遭遇し、みかげの推理は間違っていたのか、何故また後継者が殺されなければならないのか、という謎に迫っていくことになる。

第一部は、ある意味で正当派。
横溝正史作品を彷彿とさせる、村の有力者一族の中で繰り広げられる権力争いと、伝承に見立てられた猟奇的な連続殺人。
探偵や警察が張り付いているにも関わらず、殺人の連鎖が止められないところも、もしかしたら皮肉を込めたオマージュなのかもしれない。
真犯人に翻弄され、推理ミスを繰り返しながら真相に辿り着く、多重解決モノ的な要素も含んでおり、これだけでもひとつの長編として発表できそうなものだが、冷静に見つめてみると、いくつか未回収の手掛かりが残っていることに気付かされるはずだ。

そして、わかっていても驚かされる、麻耶雄嵩節全開の第二部。
一度辿り着いた真相すら足元がぐらついてしまうという景色の変化が痛快。
作品の性質上、多くは語れないのだが、18年という歳月の必然性や、細かい違和感の意味を、こういう形で回収してくるか、と。
強引な部分も多々あるし、作風が作風だけに、言いたいことはたくさん出てくるものの、面白いか面白くないか、と問われたら面白いと返すほかないのである。



総評(ネタバレ強め)


祖母、母、娘と受け継がれる"御陵みかげ"という名前。
世襲制であるとして、本名が他にあるのでは、という観点で叙述トリックも疑ったのだが、結局、みかげはみかげであったようだ。
母みかげと、娘みかげで対象がコロコロと切り替わる終盤のやりとりは、さすがに脳が混乱してきた。

本作の裏にあるのは、ノックスの十戒的に言えば、「変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。」に挑戦するアンチテーゼ。
第一部のまま、例えば静馬が急に真相に気付いて真犯人を指摘していたら、この作品は一気に駄作となっていたに違いない。
「隻眼の少女」が優れていたのは、第二部に至るまでに18年の時間を経過させたことで、探偵役を代替わりさせたこと。
あくまで、探偵が真犯人を突き止める、というセオリーは崩さずに、ミステリー界のタブーを踏み越えたのである。
賛否両論巻き起こったのも事実だろうが、議論になるほど"賛"の声が集まった背景としては、この魔法のような設定が見事だったからに他ならない。

とばっちりで女子供ばかり6人も殺されることになった琴折家の心情を思うといたたまれないが、事件を解決したものの、その責を負わざるを得ない娘みかげの方も、なかなか悲惨である。
結果的に、すべての発端となったのが、初代"御陵みかげ"のカリスマ性。
ともすればスルガ様の比ではないのかもしれないな。


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