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今年も1年寄付をしました。

2年前から、NPO法人カタリバに毎月定額の寄付をしています。

カタリバは、すべての10代の子供たちが産まれ育った環境や受けた教育に左右されずに、意欲と創造性を手に出来る未来を実現しようと活動しているNPO法人です。
(NPOカタリバの理念を参照)

私がカタリバに寄付を始めたのは、善意等の優しい感情ではなく、学生時代から燻り続ける怒りや苦しみの感情があるからでした。

10代の頃の私はどうしようも出来ない生きづらさを抱えて生きていました。

それは転校した小学校で感じた疎外感や、同級生たちの「普通」から少しはみ出た家庭環境を理解されなかったこと、学歴至上主義がいきすぎ嫉妬と不満が渦巻く校内で大人を信じれなくなったこと、勉強をしたくても勉強が出来なかった家庭の事情など。

今考えればどうしようもないと思えることも、全部自分のせいなんだ、努力がたりないんだと抱え混んだ結果、心を壊してしまい、しかしその事すら誰にも気付いてもらえませんでした。

とにかく生きていることが辛くて、でもその環境に立ち向かうことも逃げることも出来なくて、苦しくてどうしようもなかったことを今でも覚えています。

世間は努力して這い上がることや頑張りによって成果を残すことだけをしきりに称賛し、それを無言の圧力で私たちに要求してきます。
けれど、この世界には努力や才能だけでは、どうしようもできないことも数多く存在しています。

10代の時は、親や学校、家庭、経済的な事情など、本人の力ではどうしようも出来ないことばかりで、置かれた環境によって人生ごとねじ曲げられてしまうことだってあるのです。

苦しい10代を少し俯瞰して見れらるようになった今、環境によって学ぶこと、選ぶこと、安心して生きること、そして未来を夢見ることを奪われてしまった子供に何かしたいという衝動に似た思いがありました。

それは、当時どうしようも出来なかった環境や大人への怒りであり、未来への祈りでもありました。

年末、カタリバから寄付金の控除申請のハガキが送られてきます。

そのハガキに並ぶ、毎月の金額を見ると、当時苦しかった思いが少しだけ救われ、もっと良い世の中にしたいという、私自身が明日を生きるための勇気をもらうのです。

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