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死にたいときに読むnote

 小学生や中学生、高校生の死にたいあなたに向けてこの記事を書いています。

 あなたの「死にたい」はどれぐらいのレベルでしょう。
 なんとなくぼんやり思うレベルでしょうか。
 それとも今まさに死へと踏み出そうとしているレベルでしょうか。

 このnoteを開いていただきありがとうございます。
 「死にたい」という思いをかかえながらで良いので、ぜひ最後まで読んでいただきたいです。
 あなたの「死にたい」はあなただけのものなので、このnoteを読み終わっても「死にたい」ままかも知れません。
 「死にたい」ままでもあなたが死ななければ、ぼくはとてもうれしいです。
 「死にたい」まま死なないで生きるには。
 それをこれからいっしょに考えていきましょう。

(短い文章では伝えきれないので長い文章になります。全部読まなくてもいいです。気になるところだけでも読んでみてください)


■死にたい理由から離れる

 あなたのまわりの人たちは、あなたのように「死にたい」と思っていないように見える。なぜでしょう。

 あなたの苦しみ。あなたの悲しみ。あなたが感じているそれらのレベルは、どうやらまわりの人たちとはちがうみたいです。

 たとえると、激辛好きな人が食べる辛さ10倍カレーと、辛いのが苦手な人が食べる辛さ10倍カレーとでは、大変さが全然ちがうのと似ています。

 どうやら、学校生活を過ごすのが得意な人と苦手な人がいるようなのです。

 誰かと一緒にいるのが得意な人と苦手な人もいます。

 先生や親が言っていることを受け入れるのが得意な人と苦手な人もいます。

 将来に対して不安になる人とならない人もいます。

 生きるのが得意な人は、あなたの「死にたい」に対して「気にするな」とでも言うでしょう。でもあなたにとってそれは苦手な激辛カレーを食べるようなもので、無理なものは無理と感じるでしょう。

 ぼくが言いたいことはとても簡単です。
 「激辛10倍カレーを食べないで、好きなものを食べよう」

 激辛10倍カレーが苦手だと言っているのに食べさせようとしてくるのは、食べさせようとする人の方がおかしいです。
 激辛10倍カレーが得意な人は、「これをすれば将来のためになる」とか「みんなやれてるんだからあなたもやりなさい」とか言ってきます。
 さらに「無理してしなくてもいいよ」と口で言っておきながら、「いつかやってくれるはず」という期待感を隠せていません。自分ができたからあなたもいつかできると期待しているのでしょう。
 それを感じ取ったあなたは、「この人は味方のフリをしながら、いつか激辛10倍カレーを食べさせようとしているんだ。それが正しいと思ってるんだ」と思い、さらに「死にたさ」を強めてしまうでしょう。

 だから、死ぬくらいだったら好きなことをしましょう。
 学校に行って自殺するくらいなら、学校に行かない。
 親が嫌いなら親から離れる。

 あなたの「死にたい」がなんなのか。まずそれを突き止めて、そしてそこから離れましょう。
 あなたの味方はいます。話を聞いてくれる人を見つけて、そして「死にたい」を発生させる物事から離れましょう。

 僕のnoteにあるような内容の話でしたらいくらでも聞きます。ぜひコメントを残してください。

■道徳 倫理 哲学

 この項目では「生きたい」を大きくするためにできることを考えてみたいと思います。

 「死にたい」が軽くなっても、「生きたい」が無いままではなかなか生きにくい。
 「生きたい」が大きくなると「死にたい」が小さくなるかもしれない。

 「生きたい」を大きくするために、ぼくは「哲学」が必要だと思っています。

 「哲学」をひとことで説明するとしたら、「答えがない問いについて考える学問」です。
 以前書いた記事ものせておきます。

 「何のために生きるのか」
 「なぜ自殺してはいけないのか」
 「なぜ人を傷つけてはいけないのか」
 「なぜ牛とか豚は殺しても良いのか」

 みんな、毎日いろんなぎもんが浮かんでいることでしょう。
 「なんでぼくはいじめられるんだろう」
 こんな悩みをもつ人もいるでしょう。

 「哲学」はいろんな問いや悩みをあつかいます。
 その中には「道徳」と「倫理」もふくまれます。

 「道徳」はみんなのためのルール。
 「倫理」はあなただけのルール。

 たとえば「いじめ」はどうでしょう。
 「いじめ」をしないのはみんなのためのルールでしょうか。それともあなたのルールでしょうか。
 もしみんなのためのルールとして「いじめ」をしないとしたら、状況がかわったら「みんなのためにいじめる」可能性もあると思いませんか?
 人をいじめないことよりも、みんなのためというルールを大事にしてしまうと、「みんなのために」なんでもしてしまう人間になってしまいます。

 いじめをしないのが「あなたのため」だったら、あなたはどんなことがあってもいじめをしないでしょう。
 あなたの中にある絶対的な教えがあって、それを守ることが大事だからです。
 その教えは誰かから学ぶものだったり、神様の教えだったりします。「誰も見ていなくてもお天道様が見てる」というような。

 「道徳」も「倫理」もどちらも大事です。
 「道徳」がいつでも正しいかどうかは、「倫理」の心でいつも気にしている必要があります。
 「道徳」も「倫理」もどちらも育てましょう。

 そして、これらのさらに上位に「哲学」があります。
 哲学は、道徳についてや倫理について考える学問でもあるからです。

 哲学についての記事を2つのせておきます。
(宣伝しがちなぼく。哲学についてさらに知りたいときは読んでみてください)

■ゲームを替える

 「死にたい理由から離れる」の項目でも書いたように、苦手なものはいくらがんばっても苦手なことに変わりはありません。
 激辛10倍カレーが苦手な人。
 恋愛シミュレーションゲームが苦手な人。
 いろんな人がいます。

 「死にたい」と思う人は、もしかしたら今のゲームが合わないのかも知れません。
 この「社会を上手く生きた者が勝者」というゲームはとても大変だしむずかしいです。そして敗者をいっぱい生み出します。
 しかも「小学校ゲーム」をクリアしても「中学校ゲーム」があり、それをクリアしても「高校ゲーム」があります。その先には「大学ゲーム」も「社会人ゲーム」もあります。
 高難度過ぎる!しかも一部の人たちだけがおもしろく、ほかの人たちにはものすごくつまらない。クソゲーです。

 クソゲーを10年も続けるのってつかれますよね。
 じゃあゲームを替えましょう。
 というのがこの項目で言いたいことです。

 得意なゲームを上達させたほうが良いですよね。
 苦手なゲームを延々とプレイして、そのゲームが嫌いになったりぶち壊したりするくらいなら、別のゲームをプレイした方が良いです。

 得意なゲームが上達すると、その仲間が増えるかもしれません。
 そしてそのゲームが社会にもつながっていたら、あなたは学校というクソゲーをやらなくても、しっかり社会に必要とされる人物になるのです。

 「死にたい」と思ったらゲームを替える。
 クソゲーでミスをしたらイライラするけど、得意な分野でミスをしても次の成功のためにやり直せるはずです。

 たとえで「ゲーム」を出しましたが、実際に「プロゲーマー」を目指すのも良いかも知れません。
 プロスポーツ選手でも、漫画家でも、ゲームプログラマーでも。
 成功するのはほんの一部の人間ですが、それで「生きたい」と思えるのなら、自殺するよりずっと良いです。

■あなたへの言葉

 あなたをこの社会に引き止めてくれるものはなんでしょうか。
 音楽だったり、マンガやアニメだったり、いろいろあると思います。
 友達のふとした言葉の場合もあるでしょう。

 ここではぼくが出会った言葉をご紹介いたします。

こうして生きてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。

『僕に踏まれた町と僕に踏まれた町』中島らも著より


 作家の中島らもさんの言葉です。
 ぼくは10代でこの言葉に出会えました。
 そしたら本当に「生きてて良かったと思える夜」がありました。何度も。
 絶対と言い切ることはなかなかむずかしいですが、この言葉に関しては絶対と言い切ります。
 ぜひその夜が来るまで楽しみにしていてください。

 あなたが出会った「死にたい」を小さくしてくれた言葉を教えてください。
 みんなが言葉を持ち寄ったり、いろんな人たちが声をかけ合うことでこのnoteが「死にたい」を小さくする場になったらとても嬉しいです。

 もし分かりにくいところがあったらいくらでも説明するので教えてください。
 あなたの「生きたい」が大きくなりますように。



■かつて中学生だったあなたへ

 そして、ここまでお読みくださった、かつて中学生だったあなたへ。
 「死にたい」という感情を抱きながらもずっと生きていてくれたあなたにも向けて、この記事を書きました。
 もしあなたが中学生だったころに、この記事と出会えていたら、あなたの「死にたさ」は軽くなったでしょうか。「生きたさ」は大きくなったでしょうか。
 もしそう感じてもらえたのなら望外の喜びです。

 僕は誰にも自殺を選んで欲しくありません。
 宗教的理由なんかじゃなく、ただ、単純に、あなたに生きていて欲しい。自殺しないで欲しいんです。
 自殺は社会からの殺人です。社会に殺されるということです。社会はあなたの手を使って殺してきます。そんなのむかつくじゃないですか。ふざけんなって感じじゃないですか。
 僕はクズな社会が嫌いです。クズな社会ごときに自殺を選ばせない。
 それが僕の矜持です。

 このクズ社会は生きる価値がありません。
 ですがこの世界は生きる価値があります。
 世界とは。銀河も宇宙も、日光も、たき火も、愛も、ありとあらゆるものすべてを含むこの世界のことです。
 社会のためには生きる気が湧き上がってきません。世界のためになら生きる気力がいくらでも湧き上がってきます。

 この記事は、というか僕のnoteはそういった、「社会ではなく世界のために生きる」というのを実践して欲しい、という願いが込められています。

 社会をまともに生きようとすると疲れます。時には気が狂いそうになるでしょう。
 なぜなら社会が狂っていて、まともに生きることを阻害してくるからです。

 だけど世界は揺るがない。
 世界の美しさは社会がどうあれ変わらないのです。
 そしてその世界の美しさに気付けるあなたも変わってはならないのです。クズ社会に合わせて生きてはダメです。

 このクズ社会を上手く生きられないあなたは絶対的に正しい。だから死なないでください。
 クズ社会を生きてると死にたくなる、でも世界のためには輝いて生きていける。
 ぜひそのように生きてください。

 世界の奇跡であるあなたへ  


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