記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

他が為の大魚の夢。映画『ビッグ・フィッシュ』&漫画『ひとりずもう』感想

映画感想の前に恒例の自分語りになるが、
小学校低学年の頃、図書館にあった「ちびまる子ちゃん」を熱心に読んでいた。
何巻に掲載されていたかは忘れたが、さくらももこ先生が漫画家デビューするまでを追ったエッセイ漫画が載っていて
「平凡なりに得意分野を活かして一心に頑張ってデビューできた!」という
叩き上げに近い、どこか泥臭くさえある生々しい描き方が印象に残っていた。

それから十数年以上の歳月が流れた今年、改めて描き直されたエッセイ漫画「ひとりずもう」を読んだ。
同名のエッセイをはじめ、かなり多くの著作を読破してきたので、今回も面白おかしい漫才のような描き方をしていると予想していた。
しかし、いざ読むと、おおむね全体の流れは同じだが全面的に少女漫画を目指した過剰なほどヒロイックな語り口になっていた。

キートン山田の声が脳内再生されそうな四角いナレーション(ツッコミ)が一切存在せず、
代わりに枠のない主人公(さくらももこ)の独白が綴られているからだろうか。
両親、姉のキャラデザはそのままだが「ちびまる子ちゃん」より極力トゲを抜いてあり、
素行の悪さから先生が極端に忌み嫌い、漫画の中で
さくら友蔵という"理想のおじいちゃん"を創り出すに至った
きっかけである実在の祖父は存在すらしない。
(余談だが家業の八百屋をこれっぽっちも手伝わずに文字通りぶらつきまくっていたことを
めちゃくちゃ正当化して描いてるのはどうかと思う、ここは漫画でもエッセイでも
繰り返し触れてるから逆に罪悪感があったのかもしれない 本気で"手伝わなくて良かった!"と思ってたら一連の描写を省くはず?)

小学校から高校まで悩み多くもそれなりに充実した生活を送れていたし、
決して派手じゃなくてもやりたいことをやってました!
というようなキラキラした装飾が目立ったのだ。
単行本巻末に記載されていた最初の「デビューまでの話」の延長のような、
エッセイで見られた赤裸々ぶりがないことに私は若干がっかりした。
漫画が掲載されていた雑誌のテイストに合わせた結果だとしてもだ。

幼少期から現在までの記憶が克明に残っていると語り、逐一思い出して書いたとするエッセイも
(世に出ているエッセイのほとんどがそうであると噂されるように)先生にとって都合の良いように曲筆されたものなのかもしれない。

当人が逝去した今となっては、どこまで本当のことだったのか分からない。
私は融通がきかないし冗談も通じない、すぐに現実について考える
つまらない人間なので、真相は藪の中なんて怖いことではないかと思った。
記憶力の良さをアピールする人が一度嘘をつけば、そこから先はその嘘を信じるしかなくなってしまうのではと。

しかし、友達に勧められた映画『ビッグ・フィッシュ』を観て、その考えが間違っていたことに気付いた。

主人公ウィルの父エドワードは四六時中、自分の人生における武勇伝を語らないではいられない多弁な男。
盛りに盛った、御伽話のように華やかで波瀾万丈な人生を吹聴してやまない父をウィルは歳をとるごとに厭うようになっていった。
結婚式のスピーチとして語った、息子の産まれる日に怪魚に指輪を奪われ取引をしたという話にウィルはとうとう本気の怒りを表す。

父の話は全部デタラメだ。自分をいつだって主役だと思っている傲慢な男なんだ。
明るく楽しい男として皆に好かれる人気者だとしても、ウィルにとっては本当のことを一つも話してくれない虚言癖の父でしかない。

ウィルは父と関わろうとしなくなり、疎遠になった。しかし数年後、エドワードが病に倒れたと連絡が来て、妊娠中の妻ジョセフィーンと共に実家に戻る。
エドワードは日を追うごとに病状が悪化していくにも関わらず、ありもしない話を朗らかに語るのをやめなかった。
辟易するウィルを尻目に、ジョセフィーンは実の息子が知る"義父の人生"を教えてほしいと頼む。
幼少期から繰り返し聞かされた物語を、ウィルは妻と胎児の寝物語に語った。

身長五メートルもの巨人・カールとの出会い。
深い森の中に築かれた、人々の微笑みあふれる不思議な街スペクター。
サーカス団の客の中に見出した絶世の美女サンドラ。
彼女へアプローチするために作り上げた水仙の花畑。
結婚直後に兵役につき、潜入奪取の任務中に出会ったシャム双生児の歌姫。
彼女たちと共に命からがら国へ帰り、かつてスペクターで出会った詩人に犯罪の片棒を担がされるーー。

翌日、エドワードの荷物整理の途中でウィルは父の戦死通知を見つける。
行方不明によって死亡扱いとなり、妻サンドラの元に届いた代物だ。
「全部が嘘ってわけじゃないのよ」
サンドラは片付けを手伝いながら息子に笑いかけた。
さらにウィルは土地の権利書を発見。スペクターという街も実在すると知り、記されていた人物に話を聞きに向かう。
荒れた屋敷で沢山の猫と暮らす女性・ジェニファーはエドワードをよく知っていて、ウィルの知らない"物語の空白"を話した。
もちろん、エドワードの思考を挟んで多分に脚色されたものではあった。

エドワードは運転中、豪雨によって車ごと人魚の住む湖の底に沈むも生還。
かつて旅の途中で寄ったスペクターに辿り着くが、街は不況のあおりを受けてしまい家屋の差し押さえ寸前だった。
失われそうなスペクターを守り、住民の立ち退きを防ぐため
過去に出会った全ての人々から融資を募る。
皆、エドワードを信じて投資してくれた。
資金を得たエドワードは街外れのジェニファーの家にも行き、
巨人カールの力も借りつつ崩れそうな屋敷の再建を果たす。
優しく誠実なエドワードにジェニファーは惹かれ、誘いをかけるが
エドワードは妻子がいる身で不貞はできないと断り
元の美しさと平穏を取り戻したスペクターから去っていった。
愛を得られなかったジェニファーはやがてーー。

「父さんが子供の頃に出会った魔女になった? そんなの、順番がめちゃくちゃだ」
"伏線が作用した上手いオチ"をつけるために、すぐ分かる矛盾をも抱えた父の人生物語。
ただ伝わってくるのは関わった人々への愛、妻子への愛。
やがてエドワードは危篤になり、病院へ運び込まれる。エドワードを古くから知る医師ベネットは御伽話の真相も知っていた。
息子が誕生する日、エドワードは仕事で立ち会えなかった。
指輪を奪う怪魚ビッグ・フィッシュのエピソードは、その時の無念によって生まれたのだろうと。

人生において起きる"真実"は、誰かが伝え聞く頃には鮮度が落ちていて記憶に残りにくい。
心の中で忘れないために、笑い話として語り継ぐために、脚色する必要があった。
死の間際の夜、エドワードはウィルに"父の最期の物語"を語ってほしいと頼む。
ウィルは今までの話を総括した、エドワードのためのエピローグを考え出す。

朝を迎えて病院から抜け出したエドワードとウィル。二人は車で追っ手を振り切り、怪魚の潜む湖へ行く。
湖畔にはエドワードの大好きな人々が集まっていた。息子に支えられ、笑って湖へ向かうエドワードを皆も笑顔で見送ってくれた。
いざ湖に着くと、病院にいたはずの最愛の妻サンドラが先周りして待っていた。
エドワードはサンドラに指輪を渡し、水に浸かる。するとエドワードは一匹の大きな魚に変わり、スイスイと泳いでいってしまった。
御伽話をこよなく愛した男は、最後に自分も御伽話の登場人物となったのだ。

ウィルが語り終えるとエドワードは満足げに頷き、息を引き取る。
翌朝の葬儀の参列者の中には、父の物語に出てきた、幻想的な特徴を持つ多くの友人たちがいた。
彼らはエドワードが作り出した架空の人物ではなく実在していた。
エドワードが物語に付け足した尾びれ背びれは、話を面白くする装飾であり
誰かを馬鹿にしたり揶揄する類の改変ではなかった。だからこそ皆、エドワードが好きだったのだろう。

数年後、元気に成長したウィルの息子は亡き祖父の物語を楽しそうに訊ねてくる。
ウィルは物語を肯定し、物語の中で永遠に生き続ける父エドワードを想うのだった。

過去の国や人物、土地の話に後の人々が手を加え、御伽話に化けさせる例は枚挙にいとまがない。
それは過去を忘れないためであり、記憶に残すためかもしれない。
史実と逸話、そこから派生した物語をどんな形にせよ語り継ぐことで、歴史に埋没してしまうのを避けられる。

私が『ひとりずもう』に対して抱いた不満は、書き手、語り手の善性を信用しきれないがゆえのものだった。
真実味よりも見る側、受け取る側にとっての面白さや魅力を優先し
作者の知る逸話をギャグ漫画、エッセイ、エッセイ漫画と細分化していけば、
そのたび違った仕上がりになるのは当然だった。
同じ曲のオリジナルとカバーでそれぞれファンが付くように、好みは千差万別で
曲そのものが人の心に残ることにこそ真の価値がある。

今のところ趣味でしかないとはいえ、仮にも創作をする側の人間が
こんな根本的な概念を頭で理解せずにいたのは恥ずかしいが、
知った以上はやれることがあるだろう。何かしらの原動力に変えたいと思った。


余談だが、これを綴っているとき『この世界の片隅に』で一番印象に残ったセリフを思い出した。

「ねぇ すずさん
人が死んだら記憶も消えて無うなる
秘密は無かったことになる
それはそれでゼイタクな事かも知れんよ
自分専用のお茶碗と同じぐらいにね」

なぜ色濃く覚えているのか自分でも不思議だったが、それは「記憶に残らない方がいいこともある」という
"語り継ぎ"とは真反対にある意見だからだ。

秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず。
言わぬが花。沈黙は金。

誰の記憶にもなくなって、自分だけの秘密として大切にしまい込む。
それは確かにゼイタクな行為なのだろうと、読了後かなり経ったいま実感した。