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精神的な痛みをなくすことはできるのか?「精神的な痛みをケアする」とは。

がん専門看護師をしている先輩と話していたときに、患者さんと関わる時に大切にしていることは、この3つだという点が共通していて、とても盛り上がりました。

①説明したことに満足しない。
 理解度や実際にできそうかの確認をしていないのは、
 説明したことにならない。

②退院後にどう生きるかを共に考え、調整するのが看護師の役割。

③話し合いの中心は患者さん。

この3つの視点から精神科でやっている治療(対話)をまとめてみます。

とても長いので読むのが大変ですが、
患者さんをもっと理解したいとか、生きづらい人をもっと理解した、相手をもっと理解したい、ケアしたい、サポートしたい、みたいな思いがある人に届くと良いなと思い、5年前に筆をとったことがあります。
それをnoteに加筆修正して、転載します。5年前も今も、相手を理解するとは、どういうことか、ばかり考えて生きていると思わされます。


では、精神科の世界へ、どうぞ。

精神科に入院してくる患者さんの中には、

「自分は精神科の治療なんか必要ない。
頭やお腹が痛くて困ってるんだから、身体疾患の治療をしてほしいんだ。」

そう言ってくる方がよくいます。

自分は精神的な問題ではなく、
身体的な疾患によって身体に不調が出ていると思っている患者さんを例にとっていきます。

確かに患者さんが言うように精神的な問題ではなく、身体的な要因で
「痛み」が出ていることは、もちろんあります。

なので、入院した患者さんには、入院してすぐに、

身体疾患がないかをCTやレントゲン、MRI、心電図、血液検査などの精密検査精をして、身体的には病気はないと言うことを確認します。

そうして、はじめて身体的な要因ではなく、心因(精神的な要因)によって「痛み」が出ていると考えて、入院中にアプローチしていきます。


今回の例に挙げる患者さんは、うつ病でかつ身体疾患による身体症状がある人です。

「なんかこの人の身体症状(痛みとか不眠とか)って精神的なもので強くなってるんじゃないかなー」

って思うような人を想像してみてください。


がんによる疼痛であったり、消化器疾患による腹部症状だったり、循環器疾患による胸部症状だったり、かゆみや倦怠感、不眠など何かの身体疾患に関連した症状を持った人は多くいますが、

今回は、以前に骨折したことがあるけど、骨折に関しては今は完治している人とします。

完治していると言っても違和感は残っていることはあるので、軽度の痛みや違和感があってもおかしくはありません。


けれど、実際に骨折は完治しているのに、強く痛みを訴え続けたり、歩けないと援助を求めたりすることがあり、

その要求に家族が答えてくれないと、落ち込みが強かったり、怒ったりして、家族が困り、病院を転々として、入院してきた患者さんです。


この方は、身体的な検査によって、身体的な問題はなく、骨折に関しても完治している。
そして、問診の結果、医療者からすると診断的には、うつ病ということになります。


そんな患者さんが、入院中に、疼痛を訴えたときにその疼痛にどの程度心因(精神的な要因)が関係しているかを評価をすることから始めます。

まず最初に患者さんは鎮痛剤の内服を希望することが多いです。
疼痛は自覚的なものなので、先ほども書きましたが、完治しているとはいえ、多少の違和感や痛みはあることがあるので、入院初期には鎮痛剤の内服を無理には止めることはしません。

けれども、内服をしてよくならいない場合に鎮痛剤の容量や種類を変えるのではなく、心因による増強があるのではないかと考えます。

最初の入院時面接や入院時の検査などで、
これまで様々な種類の鎮痛剤を試したり、増量して使用しても疼痛に変化がないという情報や、

身体疾患自体の増悪がないなどの情報、

対人関係のストレス時にうつの症状が悪化している経過があるなどの情報がすでにあることが前提です。

そのあたりの情報がなければ、経過の聴取を先にします。


ここから、

①説明したことに満足しない。理解度や実際にできそうかの確認を
 していないのは、説明したことにならない。

②退院後にどう生きるかを共に考える調整するのが看護師の役割。

③話し合いの中心は患者さん。

の3つの視点から、この患者さんについて具体的に精神科の入院治療で、精神的な痛みをどうケアしていくかについて見ていきます。

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①説明したことに満足しない。理解度や実際にできそうかの確認をしていないのは、説明したことにならない。

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鎮痛剤が効かないときに、看護師的には明らかに心因によるものと分かるのですが、

患者さんに
「疼痛は精神的な要因によるものが大きいので、鎮痛剤の効果は少ないから考え方を変えるか対処行動を変えてください」

と説明するだけでは、単に看護師が説明したという自己満足で終わって患者さんは行動できないし、むしろ悪化することが多いです。

「結局どこの医者も看護師も同じだ」

と患者さんが思ってしまいかねないからです。

そこで、

説明の際には、理解度と実際に行動にうつすことができそうかが大事になってきます。

感情を伴って理解しているか納得しているかを評価していきます。

感情を伴って理解していると行動に移しやすいのですが、

「感情を伴って理解できましたか?」

と聞いても患者さんには、よくわからないことが多いので、

「説明を聞いてしっくりきましたか?」

などと聞いたりします。

そして、しっくりきてもらう(感情を伴って理解してもらう)ためにはどうしていくかというと

このような患者さんは、たいてい精神的な要因についてすぐに向き合うことはできず

「身体疾患の治療をしてほしい、もっと痛みに効く薬を使ってほしい」
「自分はうつ病なんてそんな弱いやつがなるものになんて罹っていない」
「単に骨折の痛みなんだから」

など話をされることがあります。

どんなに医療者が、精神的な要因が原因だと考えていても、本人が納得できなければ、その要因に対して対処はしていけません。


そこで、患者さんに

「これまでの生活してきた中で、痛みが強いときと弱いときがあったりしませんでしたか?」

などを確認していきます。

もし変化があるようであれば、その変化に関連する要因は何だったかを

「ずっと一日中痛みが続いてるわけではなくて、痛い時と痛くない時があるんですね。それはどんな時に違うんですか?」

などと聞いてみます。


けれども、その変化の要因を本人は答えられないことが多いです。

なので、変化があったときの状況をいくつもあげてもらい、
その状況の共通点に本人が自分で気づけるようにいろんな場面で質問をしていくということを繰り返していきます。


本人を責めるわけでもなく、詰問するわけでもなく、どんな時に違いがあるのかに興味を示す、もっと知りたいという思いを持って、以下のような状況の違いなどを詳しく聞いていきます。


家族のいる場面と、友人の場面では違うのか?

家族の中でも妻の前でのみ痛みが強まるのであれば、

痛みがあったときに妻からかけられる言葉はどんなものなのか?

「妻からは、『痛いっていつも言っているけど、病気はよくなってきているって先生からも言われているんだし大丈夫よ。』って言われることが多いです。」


娘からかけられる言葉はどんなものなのか?

「娘からは、『「お父さん、いつも痛そうで大変そう。何か手伝おうか?』って言われたりすることがあります。」


このような情報をやり取りを通して集めると、
妻にかけられる言葉が心配されていないような言葉をかけられているので、

患者さんは妻にもっと自分の痛みを分かってほしいのかもしれない
無意識的にそう思って痛みが増強しているのかもしれない

と、看護師はアセスメントします。

ただし、ひとつのエピソードだけで判断するのは早いので、日を変えたりしながら、妻の発言を少しずつ聞いていくなどの情報収集をします。

そして、妻からの心配されないような発言を聞いたときにどんな感情が生じたかなども探っていきます。

「悲しい」と感じていれば、看護師は「そう言われると悲しいですよね。」

「怒り」と感じていれば、看護師は「そう言われると腹も立ちますよね。」

など、共感も行っていきます。


抱いていた感情を捉えていて、言い切りの形で伝えるとたいてい「そうなんですよ。」など、肯定的なフィードパックが返ってきます。

もし、「でも」とか「いや」とか否定的なフィードバックが返ってきた場合には患者さんの感情を捉えきれてないということなので、さらに感情を正確に探っていきます。

患者さんは共感されていると感じると、自分のことを分かってもらえていると思い、看護師に対しての信頼感なども上がっていきます。

また、看護師とのやり取りの中で共感されている感じが出ていれば、

このような患者さんであれば、看護師に共感されているような会話をしているときには疼痛が軽減していることが多いので、
その辺りも適宜、

「今は痛みはどうですか?」

などを確認して、

「話に集中していると軽減していることあるのかもしれませんね。」

など、疼痛に注目していない状況があると少し楽であるということに少しずつ気づいてもらえるように、本人に伝えていきます。


「前に娘さんと奥さんの話をしたことがありましたが、私たち看護師とのやり取りって、奥さんと娘さんとの会話のどちらに近かったりますか?」

など聞いたり、

「娘さんは心配してくれている感じがするんですね」
「奥さんからも少しねぎらいの言葉があると違うのかもしれませんね」

などを聞いたり話したりしていきます。

一回の場面でやると明らかに誘導していると患者さんが気づいてしまい、拒否的になってしまうため、いろんな関わりの場面で少しずつフィードバックしていき、

娘には分かってもらえている感じ(共感されている感じ)がしていて

妻には分かってもらえていない感じがするのかもしれない

と本人自身が気づいて、自分の言葉で言えるような関わりをしていきます。

そうやって、家族からの言動によってストレスを感じているかもしれないと気づくのが、まずは第一ステップ。


これらのストレスに気づく関わりと同時に、

痛みがあったときに妻から

「痛いっていつも言っているけど、病気はよくなってきているって先生からも言われているんだし大丈夫よ。」

と言われたときに患者さん自身がどんなことを「考え」、どんな「行動」をしているか。


痛みがあったときに娘から

「お父さん、いつも痛そうで大変そう。何か手伝おうか?」

と言われたときに患者さん自身がどんなことを「考え」、どんな「行動」をしているかも確認していきます。


妻にそう言われたときに、どんなことを考えているか、

「自分のことを分かってくれていない。」

だけでなく、頭の中では実は極端に

「自分のことを愛してくれていない、どうせ自分は先に死んでしまうと思っている、こんな病気になっている自分は妻にはふさわしくない、」

などを考えていて、色んな状況で頭の中でその極端な考えを繰り返し考えて、どんどん自分自身を否定していっていることが多いです。

そして、そう頭の中では考えているのに、
妻に対して

「そうだね、よくなってるって言われてるから大丈夫だね」

などと言っていたりします。


自分の頭の中では「妻は分かってくれていない」って思っているにも関わらず、妻に対して「大丈夫」と伝えていると、

無意識に、

「最初に痛くなったときには妻は心配してくれた。」
「もっと痛くなれば妻は分かってくれるかもしれない。」

というような考えが働き、

より疼痛に着目して、日常生活の中で疼痛に着目する時間が増え、他の日常生活にまで支障が出たり、

視野狭窄が起こり、少しの疼痛に敏感になり、より疼痛に対する閾値が下がり、自覚的な疼痛が増加したりします。


頭に浮かぶ考えが妥当なのかを本人を否定する形ではなく、

これまでの妻とのいろんなエピソード
(妻からお守りをもらった、痛みで動けないときに代わりにゴミ捨てを文句も言わずにいてくれた、など)

本人自身で、頭に浮かぶ「愛されていない」とう考えが妥当ではないということに気づいてもらったりもします。


一方で、娘に対しては

「そうなんだよ、けっこう痛くてさ。クッションとか持ってきてくれると助かるよ。」

と言うことができていたりします。

自分の気持ちを伝える行動や、助けてもらうという行動をとることができているので、疼痛が改善はしなくとも、悪化はしない状況につながっていることがあります。

そのような情報があるたびに、妻との違いや、疼痛の悪化がない部分などを適宜フィードバックしていきます。

しかし、人にも、もちろんよりますが、男性の場合、自分の現状を伝えることはできても感情を言語化するのは苦手だったりするので、

どんな感情を抱いているか分かりにくかったりします。

分かってもらえていると思っていた娘も、いつも痛い、痛いばかり言われていると苦しくなったりします。

最終的に精神科に入院する段階には、

妻に対しての言動が悪化して、親のやりとりを見ていた娘もだんだんと嫌になり、父親への対応が悪くなり、

娘に対しても妻と同じような対応をして、分かってもらえないと思ってしまい、

もう自分自身で、精神的な影響で痛みが悪化しているとは気づけない状況になっていることがほとんどです。

だからこそ、昔のちょっとした変化から気づいてもらうように看護師が丁寧に、小さな変化をに気づいて、その変化に患者さん自身に気づいてもらえるような関わりが必要になります。

そして、

自分の気持ちを妻や娘に言葉に出して伝えるようにしてみるといいと思いますよ。

と本人い伝えても、することは難しいことが多いです。

なので、まずは看護師に対して練習していってもらい、
次は娘に、最後に妻になど、本人が実際にできるような行動計画を本人とともに立てていきます。

実際に言葉で伝えることができなければ、メールやLINEのスタンプで送ってみるなど、

すごく苦しいときにでもできるような方法を本人と一緒に考えていきます。

そのときには家族に対して、

「患者さん本人と言葉で伝える練習をしているところなんです。なので、家族の協力が必要です。」

ということも伝えておくことや、

家族と一緒に具体的にこの内容のメールやスタンプがきたら本人は痛い(辛い、悲しい)サインだというのを共有しておくなどしておきます。

そのような練習をしていく中で患者さんの行動が変わって、言語化できているときには疼痛が軽減していたりすることを患者さん自身と共有しながら進めていきます。

そうしていく中で、
妻は自分のことを分かってくれないとか、愛してくれていなかったわけではなく、対応方法が分からなかっただけかもしれないと考えることができるようになっていくことがあります。

適宜、行動が変わっているときには、考えも同時に変わっているということも患者さんにフィードバックしていきます。

妻から求めていない反応があったときに、
「愛されていない。」と一瞬思うかもしれませんが、
そーいえばこれまで話してきた中で、
「対応方法が分かってなかっただけだったかもしれない」と考えを工夫してみると、妻に対しての言葉掛けが違ってくることもあります。

考えを工夫してから適切な行動につなげるか、

適切な行動をしてみた結果考えが変わってくるかはどちらでも構わないのですが

患者さん自身がしっくりくる方、無理なくできる方を試してやっていってもらいます。

このようなやりとりを廊下で相談があったとき、検温のとき、点滴更新のとき、警官栄養開始のとき、清拭のときなどに言葉だけで行うときもあれば、
(精神科といっても、おむつ交換もあれば、導尿、胃瘻、入浴介助、検査、点滴など処置もあるので、そのケアの最中や廊下でのほんの数分の会話や時間を作ってやっています。)

本人に現在、これまで起こってきたことをイメージしやすく、
そして、これから先も自分で起きたときに気づきやすくするために

白紙の紙だったり、特定の用紙を用いたりしながら、

症状が悪化したときの状況で、自分が何を考えていて、どんな行動をしていて、どんな感情になっていて、そして、身体症状がどうだったかの関連を看護師が書いたり、状況に合わせて本人に書いてもらったりしながら、進めていきます。

そして、紙に書くという作業を通して、一旦自分の状況を俯瞰的に見るという練習も同時に行っていきます。
痛みや感情に集中していると、そこから抜けられなくなることが多いので、外在化(書いたりして、外に出す)する練習をすることで、

次に、同じように疼痛があったときに自分自身に何が起きているかを気づきやすくして、対処行動をとりやすくするために。

このような何日にもわたる一連の看護ケアを行った後で、

「今生じている疼痛に対しては鎮痛剤の効果が少ないので、考えや行動を工夫してみませんか?」

(「変える」というと、自分の考えや行動が悪いのではと思い、拒否的になる人が多いので「工夫」と言うことが多いです。)

と伝えると、納得(感情を伴って理解)できて、行動にうつすことができやすかったりします。

この何日にも及ぶ看護ケアすべてが説明になっていて、
本人が理解できるように、そして行動に移せるようにということを意識しています。

説明に納得できると

「やってみたらよくなるかもしれない?」

と自分の中に生まれる問いが変わってきます。

それが、改善への第一歩です。


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②退院後にどう生きるかを共に考える調整するのが看護師の役割。

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心因による疼痛の悪化であっても疼痛によってセルフケアができないことは多くて、
セルフケアが全部できるようになると家族とのつながりがなくなってしまうと思っていたりもして、
本人にとっては必要な疼痛であったりもするので、
段階を踏みながらセルフケアできるようになることが必要です。

そうしたときに、家族だけでは段階的にセルフケアをできるようにするのは難しいことがあります。

たとえば、家族に共感するように指導しても、すぐにできる家族は少ないです。

そこで訪問看護を入れるという方法もあります。

患者さん自身にとっては、身体疾患に対しての安心感につながるかもしれない

患者さん自身は訪問看護師に対しての方が、うまく言語化できるかもしれなくて、言語化の練習になるかもしれない

家族にとっては、自宅での日常生活の中で起きる出来事の中で、患者さんに対する訪問看護師の言動をモデリングしてもらって徐々に共感できるような言動が身に付くかもしれない

どちらにとっても、第3者が入ることで環境に変化を与えることも必要かもしれないなど、

それぞれ家族も本人も納得できるような説明をすることができるのは、日常生活をみている看護師だからこそできる役割なのかもしれません。


不安に対してのケアも同様で

疼痛があったときに、どんな風に考え、行動して不安になっているかを丁寧に探っていきます。

がんなどでは全員が不安を持っているとは思いますが、

がんだけじゃなくても身体疾患を持つ人は、ほぼみなさん不安を持っていて

その不安は、人によっても、時期によっても違いますが、

「病気がよくならないんじゃないか、どうなってしまうのだろう、妻はどう思っているのだろう、この先家族はどうなってしまうのだろう、この薬も効かないんじゃないか、副作用がまたすごく出るんじゃないか」など

どんな不安を感じているかを、その人がどんな生活をして、どんな関係性をしていて、どんなことを大事に思っているから不安に感じているというのを、まずはこちらが理解しようと努力をします。


悪化していくしかない疾患であれば、不安はなくなることはないでしょう。


どうその不安と折り合いをつけていくか

不安がありながらもどうやったら大切なことをしていくことができるかにシフトしていくかを患者さんと一緒に探っていきます。


治らない疾患なのは精神疾患も同じで、うつ病や躁うつ病など、死ぬまで一生付き合っていかないといけない病気だったりもします。

死ぬまで薬を飲み続けないといけないこともあります。

そうすると不安はなくなりません。

精神疾患の症状、身体疾患の症状、どれも出現する可能性はあって、ずっと出現している症状もあって、それとどうやって付き合っていくか、

不安がありながらもどうやって過ごしていくか、生きていくかを一緒に考えていきます。


③話し合いの中心は患者さん。

これまでのすべてのケアは、本人が大事にしていること、本人を取り巻く環境、本人の感情・行動・考え・身体症状に基づいて行われます。


すべて答えは患者さん自身の中にあるので、
患者さんを中心に、話をしていき、患者さんが求めているものを得られるように、ケアを行っていかないといけません。

看護師側での正解や一般常識の中での正解が本人の生活環境に適さないこともよくあります。


看護師の価値観で判断すると結果に結びつきにくいことが多いです。

実際に自宅で、自宅の中でも自分の部屋で考えること、リビングで考えることが違ったりします。
1人でいるとき、妻といるとき、娘だけのとき、3人でいるとき、それらの状況の違いでどんなことを考え、どんな行動をして、それがどんな結果を生むかを丁寧に確認していきます。

退院後は、患者さん自身が生活していかなければならないので、患者さんに聞くしかありません。
患者さんを中心にするしかないと常々思います。

しかし、患者さんが一見、欲しているものが本当に本人の求めているものかは看護師がアセスメントしなければなりません。

一見すると、

患者さんは痛みがあればもっと妻に振り向いてもらえるから、痛みをなくしたくないと思っているように見えるかもしれません

けれども、本当に本当に求めているのは、

妻との何気ない会話の中に共感されて、共感し合うようなやりとりかもしれません。


患者さんが何を本当に求めていて、それを知るためには、看護師は患者さんを理解することが必要です。

そのための面談ですし、廊下ですれ違うときの会話や、ナースコール、食事の配膳、配薬のときのほんの1分の会話、看護師と患者さんとの間のやりとりです。

そして本気で患者さん中心に考えようと思うと、
看護師も患者さんの周りの環境になります。

看護師がどの程度患者さんから影響を受けて、患者さんに影響を与えているかもアセスメントしています。


患者さんを中心に考えようとするとき、患者さんを本当に理解しようとしたときには、看護師自身の感情の評価や、考えの傾向、行動の傾向を知ることも必要になってきます。

患者さんが痛い痛いって一日中言っていれば、普通に家族だったら苦しくなってきたり、むかついたり、イライラしたり、悲しくなってきたりします。

看護師自身も毎日毎日同じように痛みを訴えられていれば、負の感情も出てくるのが当然です。

痛みをとってあげたいのに、ずっと痛みを訴えさせていて申し訳ないなどの自責的感情も同じようなものです。

看護師はその負の感情を感じないようにしている人が多いです。

しかし、本当にその感情を感じないのが正しいのか、普通に考えたら家族だったら負の感情が出ます。

そのような感情が出るのは普通です。

その負の感情は出るのは当たり前で、その負の感情が自分に出るのは患者さんが辛い証拠だと思って自分は関わっています。

その感情が出たときにはサインだと思って、介入ポイントにしています。


その負の感情が自分に出てくるのはどうしてか。

負の感情が出るのは、自分の中で見たくないものだったり、これまでの家族関係や、色んな経験をした中で、似たような感情を持ったりしたことがあるからこそ生じる感情です。

なので、患者さんへの負の感情を持つことはダメだと思って感じないようにしているのは

せっかく患者さん自身が発していて、自分自身が気づきやすいサインを見逃すことにつながってしまいます。

ただ、これはすごく自分について考えなければ行けないので、すごくエネルギーもいるし、疲れるし、苦しい作業です。


しかし、精神的なケアだけでなく、身体的なケアをするときにもすごく必要なことだと思い、日々行っています。

どのケアにおいても方法論や理論をもとに進めていますが、
細かくなるので共感だけちょっとのせてみました。

そして、精神的要因が身体症状を悪化させているというところだけをピックアップしているので
ものすごくざっくりで、すごく簡単に流れを書いたような形になりましたが、

①説明したことに満足しない。
 理解度や実際にできそうかの確認をしていないのは、
 説明したことにならない。

②退院後にどう生きるかを共に考える調整するのが看護師の役割。
③話し合いの中心は患者さん

ほんとにどれもすごく大事な視点で、一般科でも精神科でも大事な視点で共感できるなと思ったので改めて、まとめてみました。


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