人間やめます?
「さてと、今回は人間を超える話やな」
『あれ。やっぱなんかヘンだった!』
「皆さん、人間らしくありたいんやない?」
『え~そうなの。マジかよ……スビバセン』
「道術家は人間を超えとるんか?」
『早く人間をやめなさいって師匠が』
「そりゃまぁ奇妙な集団や言われるで」
『うぅ。世間がそうとは知らなかったぜ』
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こんにちは!
フジミドリです☆
─こちら西遊記はフジミドリの別アカウントとして創作裏話をお伝えしております─
今回【癒や詩絵物語】は【人間を描くこと】について物語と詩を編んで、いつものように朔川揺さんの柴絵で締めました。
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「そしたらフジさん、人間を超える言うて、一体何になるんや。やっぱ神さんか」
『神ね~そう、オレたちの本体である霊魂は神の分け御霊という理解だからな、道術は』
「ほな、わたしら神さんの一部いうのが本当の自分なんか。そらまたスゴいやん」
『そう、スゴいんだよ、マジ。だけど、そこらはすっぽり忘れて生まれてくるのさ』
「なんでまた……覚えとったらええのに」
『この世という次元が味わえないもん』
「いや~もうええわ、充分や思うで」
「そうなると、いよいよ次の段階だね』
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霊が止まると書いて霊止
日本の伝統的な精神世界ではこれを【ヒト】と呼ぶのです。
霊という生命体が、この三次元世界にある肉体という器へ止まるから霊止なのです。
おそらく縄文時代以来、連綿と祖先の方々が語り繋いだ言葉です。仇疎かにできません。
とは言いましても、私が知ったのは三十三歳でした。伝統は失われつつあります。
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「ほな、道術で人間はどういう意味や?」
『動物と霊止の中間って捉え方だよ』
「せやから人間から霊止へいうんか」
『人間って不自由な自我だからね』
「確かに不自由やで。生まれた後に入り込んできおった思い込みや考えばかりやもん」
『うん。思考が感情を引き起こす仕組みさ。そうした記憶の集大成。時間に縛られる』
「時間な。過去を悔やんで未来は不安や」
『霊的世界は、今とここしかないから』
「nowとhereでnowhereとか書いとった」
『あはは~懐かしいねぇ。いつだ、あれ』
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霊止の話を書いているのに、つい過去を懐かしむ、私がまだ【人間】な証拠でしょうか。
でも、道術の師匠は早く霊止になりなさいとおっしゃる。どうしたものだろう。
この三十三年、実践して参りました。
人間としての暮らしは、生まれて死ぬまで全て決まっている──道術の理解です。
ならば、決まっている生活を淡々とこなし、仙骨で通じる五次元世界の霊魂であろう。
人間としての思考や感情はそのままにして、霊的な観点から見つめていくのだ……
道術以前の私は、人間の枠に閉じ籠って思考や感情に振り回されておりました。
それに比べて、今はなんと心地よく穏やかな暮らしでしょう。自由自在です。
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「せやからフジさん、自分が快適なだけやなくて、生徒に教えようとしたんやな。エゴをゲームのキャラみたいに外へ出してとか」
『もちろん、それも決まってるのさ。きっと前世からご縁があるんだろうね。エゴを外へ出すって、意外とウケがいいみたい』
「なんせ現代っ子はゲーム漬けやもん。フジさんから教わるよう組み込んでくる生徒はんやったら、素直に受け取るんやないの」
『たーしかに確かに。感心するよ。教え子で人間を描ける芸術家が顕われたら嬉しいね』
「神の分け御霊いう霊止の立場から見れば、そら人間は楽々と描けるかしれへんな」
『人間のまま人間を描くって厳しいだろな。芥川、太宰、川端、三島、ヘミングウェイ』
「おやまぁ。みんな共通しとるわ」
『苦しかったろうと思うんだよ』
「なんとなくわかる気するで」
『オレらも前世でやってんだね』
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不自由な思考や感情が浮かんでも、私は秒でゼロにして霊魂の観点から見られます。
とは言え、道場へ通って畳の上で得た術──進学塾で手取り足取りとはいきません。どうやって伝えようか。
そこで私は、敢えて術を使わず、思考や感情に振り回された状態を味わってみたのです。
生徒はこの状態にある。どんな取り組みなら切り抜けることができるだろう?
前回お伝えできた【五人のわたし】は、そのような経緯で編み出した方法なのです。
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『イラストありがとね~笑えたよ』
「ほなよかったわ。嬉しいことやで」
『ホント狭いとこ入りたがるよね』
「柴でもネコでもあるあるやな」
『オレらも人間の殻に閉じ籠ってさ』
「炎上やら戦争やら、ようやるわ」
『この際、人間やめちゃいますか!』
「霊止の道、みんなで渡れば怖くない?」
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お読み頂きありがとうございます!
次回のフジミドリは12月1日です。こちら西遊記が木曜日の公開となります。
是非いらして下さい。