護るべきは法律?
「祖父と孫の会話。これって架空やね」
『オレは孫どころか子供がいないもん』
「自転車が危ないいう話はしたけど」
『そう。揺さんとのお喋りが元さ』
「現実を加工して創るんや」
『うん。不思議な感覚だった』
「へぇ~そらどないな風に?」
『感情が薄れて相対化されるの』
「相対化。また難しい言葉遣いやわ」
『スビバセン。塾の授業で使うからね』
「ほぉ、そないなこと教えとるんか」
『あはは~改めて考えるとムズいよな』
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こんにちは!
フジミドリです☆
─こちら西遊記はフジミドリの別アカウントとして創作裏話をお伝えしています─
さて今回の【癒や詩絵物語】は【歩道を走る自転車】について物語と詩を編み、いつものように朔川揺さんの柴絵で締めました。
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「感情が薄れて相対化……現実から離れるいうか俯瞰して見える感じやろか」
『そうそう、そんな感じ。歩道の自転車って結構イラッときていたからさ』
「ほな、そのイラっいうのなくなったんか」
『いやホント見事にすっぱり消えたんだ』
「そらまた面白いな。視点が変わる?」
『ああ。違う風景が見えてきたのかも』
「違う風景なぁ。物語の登場人物として自分を見ることで、冷静になれたんやろか?」
『そっかぁ。冷静は霊性。つまり霊魂というあり方から肉体の自分を観てるんだね』
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私の住む街は坂が多く、揺さんと二人で歩きますと、かなりの勢いで自転車が走り来て、すぐ傍をすれ違うこともありまして。
危ないなぁと思いました。法的にどうなんでしょう。一応、軽車両扱いのはずです。
誰でもやってる、事故を起こさなければいいだろう、そんな思いが伝わってきます。
しかし、道術家の私は、法律より宇宙の法則と照らし合わせて観るのです。
事故にはならなくとも、相手へ恐怖心を与えたならば法則は見逃しません。いずれ必ず、発した思いが返ってくるのです。
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「フツーそこまで重くは考えんやろ」
『目に見えない世界の仕組みだからね』
「せやけど誰でも逃れられんのや?」
『法則は絶対だよ。完璧完全なのさ』
「そない言われよって怖い気するで。わたしも知らんうち、恨まれとるかしれへん」
『あはは~スビバセン。うーん。たーしかに確かに。オレの方がヤバいよ( ̄▽ ̄)』
「ちょっフジさん、笑いごとやあれへんで。困るわ。どないしたらええねん」
『こういう時こそ守護の神霊が頼りさ。普段から交流してないと繋がらないよ』
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自分の落ち度で相手に理不尽な思いをさせたとわかっていても、感情が邪魔して素直な謝罪ができない心境もありましょう。
謝ったなら、相手が赦してくれるとも限りません。他界した相手なら手遅れです。
こちらは忘れても相手が覚えている。あるいは自分の与り知らぬ場合さえありましょう。
守護の神霊はどなた様にも憑いておられる、という道術の理解です。ただ、どのように御指導なさるかまではわかりません。
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「ほな、フジさんの守護霊はん、どないしたらええ言うとるん?」
『まず意識の中で誠意をもって話しなさい、謝るべきところは謝る、他界していたり交流がなかったりでも同じこと……かな』
「それならできそうか。ちょびっと安心や。わたしも自分の背後に訊いとかんとな。せやけど身に覚えないんはどないする?」
『知らずに不快な思いをさせた方へ向けて、オレは毎晩謝ってるよ。土下座してさ』
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私にとって眠る前は浄化の時です。
足踏みしつつあれこれ思い出し、グチったり文句を言ったり吐き出します。
それから、寝床の上で正座するのです。
両手を膝の前へつきます。手の間に額がつくまで、腰から上体を折り曲げるのです。
道術の稽古前後に行う自礼拝といいます。
上体は折り曲げながら息を吐くのです。息だけでなく思いもすべて吐き出します。
誰かを傷つけた自覚がある。もしくは不快にさせて気づかぬこともあるでしょう。
私に対して怒りを持つ、赦せない、そうした方がいらして宜しいのです。
しかし、私は自分自身を赦しております。
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『イラストありがと~癒された』
「ほなよかったわ。秋やからねぇ」
『ここんとこ急に寒くなったよ』
「ほんまや。残暑からいきなり冬!」
『秋らしい風情ってないよね』
「そこらを絵に託したい思てな」
『芸術は現実を飛び越える力がある!』
「まーた大袈裟なこと言うとるわ」
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お読み頂きありがとうございます!
次回フジミドリは11月17日です。こちら西遊記が木曜の公開となります。
是非いらして下さい。