ギックリ腰の起源
「復帰第1作、評判どうやね?」
『うん。好評だったみたい』
「そっか。ほな、よかったやん」
『ありがたいことだよ』
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こんにちは。フジミドリです。改めてnoteという媒体の心地よさを感じました。
スキから発せられる、言葉を超えた交流と申しますか。柔らかな気持ちになれたのです。
あるいは、コメントの嬉しいお言葉で、また書いていこうか、沢山の元気を頂けました。
改めて、ご縁に感謝いたします。
誰もが気軽に情報発信できる時代。スモールコミュニティの愉快な仲間。充実したライフスタイル。メタバースの到来でしょうか。
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「そういや、吉祥寺の作家さんて何方?」
『こちらだよ』
「ほぉ、なかなか大層な人や」
『後で知ってビックリさ』
「60年代の学生運動いうたら、うちの親はギリ社会人、わたしはバブル真っ盛りに学生やったからな。もう歴史上の出来事やで」
『作家では、村上春樹さんの世代かな。オレの周囲、残党っていうか、過激な連中が結構いたりしてさ。埴谷さんは、吉本隆明と双璧を成す思想家って扱いだったよ』
「吉本ばななさんのお父さんやね」
『当時、娘が小説書くって噂、聞いたな』
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私の目論見は、作品のオススメではございません。若き日の熱い感動を、体験として共有して頂けたら。そう考えたのです。
埴谷雄高さんは、安部公房初め数多くの作家を世に出し、『死霊』は三島由紀夫の絶賛で文学史に燦然と輝いております。
しかし私は、そういった世間的な評価と離れた一学生として、どのような交流があったのかを、お伝えしたかったわけです。
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「やれ賞取ったの、売れっ子作家いう評価があって、友達二人は、そっちを求める側の代表キャラね。フジさんは対立キャラや」
『ああ。書いてるうちに改めて違うなって、再認識したよ。オレはさ、有名になるとか成功するとか、不問って方向性だからね』
「道術と出会って、そうなったんやろか」
『いや。道術家になって確認できた』
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もちろん、有名人や成功者を否定するわけではございません。そういった境遇を目指す方も、大いに結構であると考えます。
しかし私は、子供の頃から、自分が進む方向は違うだろうと感じておりました。
名を成すことや成就達成は、意志の力や努力も超えた領域にある。そう捉えたのです。
才能という特性に、尊重されるべき要素など大してない。与えられた条件に過ぎず、あくまで自然な営為であるという感覚でした。
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「けどフジさん、勉強できたりスポーツできたり、目立つこと、多かったんやないの」
『たーしかに確かに。でも、前世で済ませてるって感覚が強かったんだよね。当時はもちろん、言語化できなかったけどさ』
「ほな、有名人やら成功者いうたら、済ませとらんいうことか。本当かいな。せやけど、道術家はそう理解しとるんやね」
『うん。それで、埴谷さんと話した時、この人は自分の内なる宇宙の方が重要だなって、伝わってきたわけよ。有名人でもさ』
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さらに踏み込むなら、有名か無名、成功者か否かより、外の世界へ中真を預けるか、内なる意識が重要かで分かれるのです。
埴谷さんのお言葉は、40年の時を超え、今も耳に蘇って参ります。真っ白な原稿用紙に向かって、新しい宇宙を創り出す──
人生の折々、この言葉を思い出し、あれこれ考えたものです。そして、今の私にとって新しい宇宙とは、内なる意識の世界です。
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「イラスト、漫画チックで、すまんのぉ」
『とんでもない。最高だよ!』
「宇宙の創造いう深いテーマやのに」
『いやいや~あの絵はサブテキストさ』
「なんやそれ」
『文章化できないテーマだね』
「ははぁ、行間を読むいうことか」
『あ。スビバセン。つい』
「横文字使うと、それらしいからな」
『格好つけてんのよ、オレ』
「はいはい。サブテキストね」
『テヘ(^_^;)』
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書きながら、少し重苦しい雰囲気だったのでしょう。 揺さんのイラストを、下絵で見せて頂いた時、思わず爆笑しておりました。
肩の力が抜けたのです。抜けてみて初めて、力んでいたことに気づけました。復帰第一作で文学を扱う。気負いがあったのです。
こうして振り返るなら、実に滑稽な所作ですが、渦中であれば自分を見失う。道術では、中真を外すと申しております。
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「回想場面の最後でフジさん、友達二人の服装を描写したやろ。わたし、あれ読んでね、象徴的やなぁ思うたのよ」
『え。そうなんだ。へぇ~驚いたな。言われてみれば、何で服装を書いたのか、オレにもよくわかんない。スッと浮かんで書いた』
「二人の服装は、鮮明に覚えてるんやけど、自分の服装は忘れてしもうた。完全に自分をモブ化しとるわけや。俯瞰できとるな」
『あ。そういうことか。つまりオレ、ゼロになっていたわけね。だから、埴谷さんの話と一体感が取れた。驚いたな~今気づいたよ』
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作家が細部までを熟慮して書く。そのような物語もあるでしょう。しかし私は、この場面を、ただ中真感覚に従って書いたのです。
外の自分=頭脳の私は、なぜ服装を描写するのか、わかっておりませんでした。
揺さんが、行間に流れる波動を感じ取ることにより、私の理解も深まったのです。
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「これも決まってたんか。フジさんよく、自分がこの世を映し出しとる言うもんな」
『そう。科学的な説明だと、光が物体で反射して、網膜に像を結び、脳へ伝わるっていう手順だよね。外から内の方向性』
「せやけど、道術は逆の理解なんやろ。眼が映写機みたいに映し出しとる。この世界は、立体映画のスクリーンいうわけや」
『うん。より正確に言えば、仙骨が映写機なんだけどね。内から外へ向かっていくの』
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実は私、物語がうまく書けません。どうしても、プロットやキャラクターを先に考える。
或いは、テーマに添えて、プロットやキャラを作り出そうとするのです。
一方揺さんは、まさに直感型。物語が降りてくるのです。彼女こそ語り部の末裔だなぁ。
羨ましくなります。
憧れるのです。
もちろん、物語に限らず、直感型でなければという決まりなどございません。私のような作為的に物語るタイプもありでしょう。
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「プロ作家でも、おるんやないの」
『推理小説なんか多いね。特に男性作家』
「確かに。女性の方がリンク持ち、多いな」
『そのリンク持ちって、憧れるんだよ』
「フジさん、話しとると繋がるやろ」
『え。ホント?』
「わたしは、そう感じるよ」
『マジですか。ひゃっほ~嬉しいな』
「わたしかて、降りてきたものイジるよ。前後の流れ、キャラの整合性、揃えるいうか」
『まぁ、中真感覚で浮かんだら、頭脳の知識で整えればいいんだけどさ』
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とはいえ、どうしても不自然さが伴ってしまう。そこで私は、事実として起こった出来事をプロットにしようと考えました。
これまで、私が物語を創作すると、主人公に対して甘くなる。あるいは、ご都合主義的なプロット展開となったものです。
実際の出来事ならば、考えるまでもございません。主人公は自分だから、キャラも決まっています。後は、テーマをどうするか。
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『ハリウッド映画の脚本作りだと、プロットが思考でキャラは心って教えるらしいね』
「それ、わかりやすいなぁ。心いうたら感情やね。キャラは感情で動くもんな」
『やっぱ系統立てたテキストっていうか、その点は、西欧文化に学ぶことが多いよ』
「ほなテーマは何やねん」
『魂だってさ』
「なるほど。魂かいな」
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西洋文明に於ける魂と、私の理解する魂は、恐らく定義が異なることでしょう。
道術は、永遠不滅の魂が理解を重ねていくと捉えます。ならば、何をどう理解するかが、私物語のテーマとなるのではないか。
頭脳の考えや心の思いではなく、人生の出来事を、魂から観たらどう映るのか──
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「次は、どないな題材やねん」
『やっぱ健康でしょ』
「そうやな。人間まずは、体が資本や」
『ギックリ腰になりました』
「あれ、いつやった」
『2月9日だな』
「よぉ覚えとるね。ははぁ、さては」
『テヘ。バレテーラ( ̄▽ ̄;)』
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なった瞬間、書くぞと考えて、カレンダーを睨んだものです。なかなか強者ですね。
さらに、しまったギックリ腰だと思った時、全治2週間と数値が浮かびました。そして実際、その通りに治ったのです。
2月23日、天皇誕生日でした。
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「それで、日づけまで覚えとるわけか」
『いやホント、2週間つらかった』
「ちょっとした動作、できんなるからなぁ」
『立ってダメ座ってダメ寝返り打てない』
「堪忍してぇな、いう感じやで」
『あ。揺さんもなったことあるよね』
「その節は、えらいお世話になりました」
『とにかく治ってよかったけどさ』
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プロットは、ギックリ腰になって治る、ただそれだけです。ご経験おありの方もいらっしゃる。どなたにも起こり得る未来です。
私というキャラは、嫌気がさして嘆く。冗談じゃない。いい加減にしてくれ。なんでオレばっか。もうやってらんない──
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「で、要は何が言いたいんや」
『うぅ。それを訊かれると』
「カオスやなぁ」
『はい。スビバセン』
「人の手が及ばん領域はある、かな」
『おお~それいいねぇ。テーマになるよ』
「本当でっか」
『細胞の声を聴くって感じだね』
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私たち地球人は、論理的思考を信奉し、法治国家に従って参りました。知識と心を拠り所として、ここまで進めてきたのです。
しかしながら、未だに全人類が幸福とはなれません。情報で振り回され、ウィルスに脅かされ、とうとう戦争まで始まりました。
一体、何を間違えたのでしょう。どこで道を踏み外したのか。全人類に共通する細胞の声を蔑ろにしたからではないか。
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「権威者いうても、なんでそうなるかわからへん。人間を創ったんは人間やないからな」
『医師や研究者は、二つに分かれると思う。専門家だから、わかったつもりになって、偉そうに解説する人がいるけどさ』
「あるな。言葉遣いやら物腰やら、柔らかやけど、本音は透けとるよ。人間の浅知恵で、自然を制覇したいう驕りや」
『難しいことをわかりやすい言葉で説明するって、本当はウソついてるわけなんだけど、騙されちゃう人って多いよね』
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いくら考えても、良い方法が見つからない。 どんなに心を通わせようとしても、調和することができないでいる。
人類の歴史を紐解いてみれば、そろそろ見極めるべき時が来たのではないか。そう感じます。本当は何が起こっているのでしょう。
真の原因が掴めていません。それでは、対処のしようがないのでございます。
さて、私が腰痛になった真因とは──
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私物語は3月27日午後3時です。
こちらの次回が、翌28日午後6時。
お待ち致しております。