野沢尚「眠れる森」の設定は、自分にとってドストライクの萌えだった。
今日の13時30分から「眠れる森」の再放送がやっているのを知って「おおっ!」と声が出た。視聴率が滅茶苦茶良かったのに、何故か再放送されないドラマだった。(理由は色々言われているが)
自分が見たドラマの中では、この当時、向かうところ敵なしの木村拓哉のスター性をドラマが一部分として抑え込んでいたのは「眠れる森」くらいだ。(「そのスター性を余すことなく生かしたドラマ」でも面白いものはあるが)
ドラマとしての面白さもさることながら、このドラマは神がかり的に設定が自分の萌えのドストライクだっだ。
※以下ネタバレあり。若干、記憶がうろ覚えな部分があります。
◆「俺の思い出や想い、寂しさ」が具現化した存在に恋をする。
設定で好きなポイントのひとつめは「直季は実那子に会ったことがないのにずっと好き」なところだ。
実那子と直季は直接会ったことがない。それなのに、直季は実那子をひと目見た時からずっと恋をしている。
自分は「会わない恋愛フェチ」なので、これだけでもご飯三杯食えるくらいのめり込める。
ただ「会ったことがない(もしくはほとんど接点がない)のに相手を一方的に好きで、滅茶苦茶献身しまくる話」は「容疑者Xの献身」を初めてとしてけっこうある。
「眠れる森」には、これを上回る萌え設定がある。
「実那子は直季の記憶や夢を移植されて、それを思い出として生きている」
初めてこの設定を知った時、「野沢尚、天才かよ」と思った。
これだけでも十分美味しいが、「眠れる森」にはさらに萌えポイントがある。
直季は父親が自分に無関心なことに、ずっと寂しさを感じていた。
その父親から「普段何をしているのか」を聞かれた時に、父親が自分に興味を持っていることが嬉しくなり、思い出に混ぜて「父親とこんなことをしたい」という夢も話す。
父親はそれに気づかず、直季がそういう日常を過ごしているのだと思って「直季の父親への愛情と夢と思い出」を実那子に新しい記憶として与える。
直季は自分の思いが父親によって実那子に移植される様子を見て、実那子を好きになる。
直季にとって実那子は、自分の夢や愛情や思い出や寂しさが具現化した存在なのだ。
そりゃあひと目見た瞬間から一生好きで献身しまくるだろう。実の姉だがな。(←この設定がまたいい)
ただ困ったことに(何が)演じているのが全盛期の木村拓哉である。
演じているのが木村拓哉ということを除いても、直季はクールでカッコいいキャラなのでイマイチ感情移入がしづらい。
そんな自分のためかな、と錯覚するくらい、敬太といういいキャラが出てくる。
◆敬太は「自分という地獄」を生きていた。
敬太は直季の幼馴染であり、直季の影のような存在だ。
性格的に弱い部分があり、借金を背負っていて人をゆするようなことをする。そんな自分に嫌気がさしており、直季を友達と思いつつも微妙な劣等感を抱いている。
自分はこの敬太というキャラが好きで強い思い入れがある。一番印象的なのはずっと好きだった由理を殺してしまうシーンとその後に死ぬシーンだ。
直季は敬太が由理を殺したと気付いた時、「由理のことをずっと好きだったのに殺したのか」と責める。
敬太は「ずっと好きだったから、自分の物にしたいから殺した」と答える。
だが殺すシーンの回想を見ると、敬太は「フィルムを渡してくれないなら殺さざるえない、だから渡してくれ」と由理に懇願している。
ずっと好きだった人に「自分は金のために友達を裏切って、殺人犯の片棒を担いでいる」と知られて、そういうことをしないと自分が破滅するから頼むからフィルムをくれと言わなくてはいけないのは、端的に言って地獄だ。
敬太はずっとこの地獄を生きていた。
自分は敬太が由理を殺したのは、「自分がどういう人間か」を由理に言わなければならなくなったからだと思う。由理にとっては迷惑な話だろうが(それがまた辛い)それを知られたら由理を殺さなければならないくらい、敬太が由理のことを好きだったのだ。
敬太が飛び降りるシーンは、自分の中で屈指の名シーンだ。敬太はずっと自分はクソでクソみたいな人生だったと言っていた。
借金に追い立てられて、悪党に媚びてペコペコしながら友達を裏切って、ついにはずっと好きだった人を殺す。
ずっと好きだった女を殺さなければならないところまで追い詰められ、追い詰められたら自分はずっと好きだった人すら殺してしまう。そんな自分のクソさを、ずっと好きだった人に知られた絶望から殺す。そうしてこんなクソみたいな自分でも殺せば好きだった女が手に入る、と思ってしまうクソさにまた絶望する。
こういうクソみたいな羽目に陥ったのは、敬太が敬太だからなのだ。
「どこで間違ったのか」とかそういう話ではない。(少なくとも敬太にとっては)
こんなに自分のクソさを思い知らされたら、もう死ぬしかない。
敬太が飛び降りるシーンは、そういう心情が痛いほど伝わってきた。
◆またこういうドラマが観たい。
野沢尚は「男のナルシズムから生まれる美しい夢」を描かせたら右に出る人はいなかったが、敬太はそのナルシズムと裏返しのコンプレックスに苦しむキャラだった。
「自分は、自分にとって最も美しいものさえ追い詰められれば簡単に壊す、簡単に裏切る」
そういう弱さに血反吐を吐くほど苦しむキャラが昔から好きだった。
敬太の苦しいところは、自分のクソさを開き直れなかったところだと思う。開き直れれば死ぬことはなかったと思うけど、開き直れないところが自分が敬太というキャラに最も好感を持つ部分だ。
この後、直季が実那子に敬太の死を伝えるとき、「『俺たち』の友達が死んだ」と言うのがまたいい。
こういう美しさと醜悪さが表裏一体のように描かれたドラマを、また観たいなあ。