【「逃げ上手の若君」キャラ語り】北畠顕家の圧倒的主人公感がまぶしすぎる。
※本記事には「逃げ上手の若君」の既刊16巻までのネタバレが含まれています。未読のかたはご注意ください。
北畠顕家が最初出てきたときは「また、濃いキャラが出てきたな」としか思わなかった。
今や自分も奥州武士になってついていきたいほどだ。カッコ良すぎ。
以前瘴奸の記事で、歴史モノにおけるリアリティと共感のバランスの難しさについて書いた。
北畠顕家は公家の名門の御曹司だ。
この当時の公家は、幕府の執権だった北条家でさえ「東夷」「下賤な者」「獣」「公家に奉仕する使い走り程度」としか思っていない。
公家として生きてきた顕家は、時行たちに対して上流社会の価値観や認識に基づいた(今日で言えば)差別的な言動をとる。
一見、いかにも公家らしく露骨に武士を見下した態度をとる顕家に、奥州の武士たちがなぜ大人しく付き従うのか。時行たちは不思議に思う。
だが自分たちも顕家の指揮下で戦ううちに気付く。
顕家は言葉でこそ武士に対する侮蔑をむき出しにしているが、その根底には公平な精神を持っている。
この時代に上流の貴族(公家)として生まれたら、武士を対等に扱う感覚を持つはずがない。「差別」や「平等」「(武士と)対等」という概念自体が、顕家が生きてきた過程の中に存在しないからだ。生来、性格が優しい人物だったとしても「上から下への慈悲」「高い身分に生まれた人間の義務」という別の形の階級意識の発露になる。
顕家の言動は、現代の感覚で見ると差別的で忌避感を持つようなものだ。
だが顕家の武士に接する態度は言動とは裏腹に、「相手は自分と同じ人間だ」という前提に基づいた「自分とは違う状況や認識の中で育まれた異なる価値観を理解し、自分から歩み寄ろうとするもの」だ。
「他人に対する尊重の念、平等の感覚」を誰に教えられたわけでもなく、生まれた時から備えている人間が、その概念が存在しない世界で(そしてそれとは真逆の階級意識の中で育つと)一体、どういう人物になるか。
これ以上はない、という納得度で描かれている。
顕家は後醍醐帝から下された「尊氏討伐に参加しろ」という命令が、奥州の人間にとってはどれだけ無理難題で、現地の実情を理解していないものかわかっている。
奥州は実りが少ないため、十分な兵糧を用意できない。さらに遠方の京に進軍するとなれば略奪するしかない。
顕家の立場であれば「奥州の武士たちは元々そういう獣じみた野蛮人なのだ」と悪性を武士たちに押し付けることで、自分のやっていることの矛盾の苦しさや自責の念から逃れることも出来たはずだ。
顕家はそうしない。
奥州の実情と帝の命令の矛盾の狭間で、どうしても生じざる得ない罪の責めを一人で背負って苦しむ。
顕家が戦うのは、この矛盾を生む構造を根底から変えるためだ。
尊貴な立場ゆえに現実を見ることがない、それゆえに認識することもできない。そんな京の後醍醐帝に現実を伝えて矛盾を正す、その力を得るために戦う。
このシーン、奥州武士の一員になって「おおおおうっ!」と叫びたくなる。
尊貴な身分に生まれて気品と教養、人を惹きつける圧倒的オーラを持ち、生まれながらにして公平無私でどんな相手でも対等の人間として尊重する精神も持つ。
「人として当たり前のこと」という精神で、ノブレスオブリージュを体現する。
おまけに強い。
圧倒的カリスマ、完全無欠のヒーロー感に眩暈がする。
以前(確か「麒麟がくる」が放送されていた時に)「本能寺の変で織田信長が死ぬとか、そのあと明智光秀はすぐに討ち死にするとかネタバレをしないで欲しい」という話を見かけて、「それはネタバレと言わないのでは」と思った記憶がある。
だが、今は気持ちがわかる。
北畠顕家のことを怖くて調べられない……orz
歴史モノでは「史実ではこう生きて、こういう最期を迎えた人物がどう描かれるか」は、むしろ楽しみな部分である。
あるのだけれど……顕家には死んで欲しくない。藤原氏のように奥州で盟主となり、半独立勢力になって欲しい(歴史改変)
◆時行のヒロインぶりに磨きがかかっている。
顕家のようなヒーロー要素がモリモリの魅力的なキャラが出てきたら、普通の話であれば「主人公が食われる、霞んでしまう」と思ってしまう。
だが「逃げ若」はそんな心配はない。
「ヒーロー」と主人公のキャラが被らないからだ。
成長したら男らしくなるのかと思いきや、ますますヒロインぶりに磨きがかかっている。
ポニテ……ポニテか……(錯乱)
「実は女でした」で全然構わない。
百合の三人エンドが……見たい(歴史改変)
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