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【レポート×歴史小説】浅葱色の翼⑪

読者の皆様へ
『浅葱色の翼』は、新選組隊士・斎藤一と、日本の空を初めて飛んだパイロット・徳川好敏の物語です。小説と取材レポートを交互に書き進めており、基本的に偶数回が小説パート、奇数回が取材レポートとなっています。
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取材レポート

東京上空の大飛行

フランスに旅立った好敏は、飛行技術を習得し、代々木練兵場にて日本初飛行を成し遂げる。これについては、物語の冒頭で触れた。

明治43年12月19日早朝。
現在の代々木公園にて、高度70m、3分間の飛行を行った。これが公式に記録されている「日本初飛行」である。

はたして斎藤一がこれを見たかどうかはわからないけれど、少なくともこのときに斎藤一は存命中であり、東京在住だったことは間違いない。

そして「徳川好敏が東京上空を飛んだ」のも、この1回だけではない。


それは、大正元年に行われた「帝都訪問飛行」である。

好敏は、日本国民の飛行機への関心を向上させるために東京上空を一周する訪問飛行を計画し、実行した。

しかも、そのときに使用した飛行機は「会式一号機」という機体で、これは好敏が設計した「日本初の国産軍用機」である。

斎藤一の没年は大正4年なので、大正元年の帝都訪問飛行も見るチャンスがある。

代々木練兵場での日本初飛行については「代々木まで出向いていたとしたら見ているはず」という創作が必要になるが、大正元年の帝都訪問飛行は東京上空を一周しているのだ。ということは、斎藤一も目撃している可能性が高いのではないだろうか。

晩年の斎藤一は文京区に住んでいたそうなので、このあたりが飛行ルートに入っていたかどうかがポイントとなるだろう。


このときの飛行ルートは、好敏本人による『日本航空事始』に詳しく記載されている。それによると、埼玉県の所沢飛行場を離陸したのは午前5時58分。早朝のうちに代々木練兵場に到着し、小休憩をしてから東京一周へと飛び立った。そして飛行機は、以下のルートを通ったという。

代々木→青山→愛宕山→芝公園→品川→銀座→日比谷公園→九段→代々木


これを地図上に書き記してみると、以下のようになるはずだ。

資料から推測した飛行ルート(地理院地図Vectorのデータを元に作成)

当時の新聞記事によると、所沢飛行場に戻った時刻は7時54分とのことなので、おそらく東京上空を飛んだのは数十分程度ではなかったかと思われる。しかし、天皇皇后両陛下も早朝から目を覚まして、望遠鏡を片手に見物したことが新聞に報じられており、いかに一大イベントであったかがわかる。

新聞記事を読むと、大正天皇が大いに喜んでいる様子が伝わってくるので一部引用したい(漢字、句読点などは一部修正)。

爆音轟々秋風を切って飛ぶ徳川大尉の勇壮極まる飛行振りに御歓喜の色たちまち童顔に満ちわたり、傍らに侍らせらるる皇后陛下を御顧みあり、
御声爽やかに「あな勇ましの飛行機かな、よくも斯くほどにまで練習せしぞ… これを見るにつけても、先帝御在世にてこの飛行機の活動を見そなわせ給いなば如何ばかりか御満足ありし事ならんに…」と、御感慨ひしひしと御胸に満ち(後略)

「日本航空事始」より

ちなみに代々木練兵場での「日本初飛行」は、練兵場の上空70mを3分間飛んだだけなので、飛行機は周囲に詰めかけた人しか見ていないはず。ということは、東京に住むほとんどの人々にとって、実質的にこれが「初めて飛行機を目にした日」であったことだろう。

天皇陛下ですら大喜びするほどなのだから、一般庶民にしてみればどれほどの感動だっただろうか。


飛行ルートは残念ながら斎藤一の家の真上ではないのだが、高度250mほどを飛んだというから、高層建築などない時代には飛行機の姿くらいは見えたのではないだろうか。

それに、飛行ルートは斎藤一の家から徒歩圏内である。当時の斎藤一の家があったのは「東京市本郷区真砂町30番地」という記録が残っており、これは現在の文京区本郷4丁目あたりだと言われている。

私が実際に本郷4丁目から九段下まで歩いてみたところ30分ほどであり、足腰に問題さえなければ「朝の散歩の範囲内」といえるだろう。

赤い四角が、晩年の斎藤一が暮らしていた場所である。ここからも飛行機は見えたかもしれないし、飛行ルート直下まで行くにしても徒歩圏内だ(地理院地図Vectorのデータを元に作成)


靖国神社の歩道橋より、神保町方面を望む。飛行ルートは皇居をぐるりと回るようなイメージなので、この写真でいうと奥から手前側へと飛んできたのでないか


というわけで、「斎藤一は帝都訪問飛行を見たかもしれない」というのは、わりと現実味のある仮説のような気がする。

「新選組隊士が後の世で飛行機を見ていた」というのは、この時代がいかにドラマチックであるか、象徴するような話ではないだろうか。



幕末から明治という時代の大転換期に、2人の男がすれ違っていた。

1人は、晩年の斎藤一。もう1人は、これから日本の航空史に名を残すことになる少年、徳川好敏。

東京上空を駆ける飛行機を見たとき、斎藤一の胸には何が去来しただろう。「教育博物館に来ていた少年が空を飛んだ」ということを知っていただろうか。

私は、知っていてほしいなと思う。数々の死線をくぐり抜けた斎藤一の人生の晩年に、そんな物語があってほしい。


⑫へ続く


ここまでの話へのリンク

浅葱色の翼①
浅葱色の翼②
浅葱色の翼③
浅葱色の翼④
浅葱色の翼⑤
浅葱色の翼⑥
浅葱色の翼⑦
浅葱色の翼⑧
浅葱色の翼⑨
浅葱色の翼⑩


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