【レポート×歴史小説】浅葱色の翼⑥
明治31年(1891年)
久々に自由の身となって校門を出た学生たちは、皆笑顔にあふれている。
数日間とはいえ厳しい訓練から解放され、我が家で正月を過ごせるのだから嬉しくないはずがない。しかし、好敏の気持ちは憂鬱であった。
市ヶ谷に設立された陸軍地方幼年学校は、「学校」とは名ばかりの簡素なものであった。学舎として割り当てられたのは兵舎の一つで、1階が自習室、2階が寝室と講堂。それがこの学校のすべてであった。ここで学生たちは、厳しい訓練と勉強の日々を送っていた。
普段は学校の敷地を出ることさえままならないのだから、外泊など許されるはずもない。例外は、盆と正月のみであった。
今回の外出はその貴重な例外の一つであり、本来なら校門を出た瞬間に駆け出したいほど嬉しいはずである。しかし好敏は、これからどこへ向かったらいいのか迷い続けていた。
好敏が生まれ育った高田馬場の広大な屋敷は、すでに人の手に渡っている。母は、実家からの指示に逆らえず家を去った。華族の地位を捨てて一市民となった父は、かつての旧臣の家に住まわせてもらっている。さしずめそれは「隠遁」と言ってもいい暮らしぶりであった。
せっかくの正月休みであったが、家に漂っているであろう冷え切った空気を思うとすぐに帰る気分にはなれず、好敏は途方に暮れた。
まずは市ヶ谷から九段の坂を下って靖国神社を詣でたのだが、さてこの先はどうしたものか。あてどもなく外堀通りを歩いているとき、好敏はふと郷愁に誘われた。ここから北に向かえば、懐かしい母校や湯島聖堂が目と鼻の先である。子供心に夢を掻き立てた教育博物館はまだそのままだろうか。
現実から逃げられるわけではないけれど、冷え切った家に戻るまでのほんのひととき、懐かしい思い出に浸っていこう。そう思うと、暗く沈んだ気持ちが少し晴れた。
神田川に架かる御茶ノ水橋を渡れば、そこには東京高等師範学校と、東京女子高等師範学校がある。教育博物館はその東側だ。
街は年末の慌ただしい雰囲気に包まれており、学校ももう休みに入っているようで、学校の前に学生らの姿はなかった。しかし、学校職員らは業務があるのだろうか。女子高等師範学校の門は開いており、その横には初老の男が立って往来を見守っていた。
和装なので警備員ではないだろうが、その立ち姿には凛としたものがある。
そして好敏は、この男を知っていることに気づいた。
「ご無沙汰しております。徳川です。
藤田さん、ですよね。教育博物館の看守をしておられた」
好敏が声をかけると、初老の男は数秒、好敏を見つめたあとで目じりを下げた。
「おお、これはこれは。徳川の坊ちゃんですな。
ずいぶんと大きくなられましたなぁ。しかし背丈は大きくなっても、お顔立ちは昔のままだ」
「はい。好敏です。私を覚えていただいているとは思いませんでした」
東京女子高等師範学校の門外に立っていたのは、かつて教育博物館の看守をしていた藤田五郎であった。好敏が会うのは7~8年ぶりだろうか。その年月の間に藤田はさらに老けたようだったが、かつてよりも表情はだいぶ柔和になったようだった。
「坊ちゃんを忘れるはずがあるものですか。あの頃はずいぶん博物館に通われてましたからなぁ。坊ちゃんは工学の展示品がお好きで、いろいろな話をしました。下に人力車を待たせたまま、閉館時間まで」
徳川家の暮らしぶりが「伯爵家」であった頃が思い出され、好敏は胸が締め付けられるような感覚を味わった。ぎこちなく笑いを返しながら、とっさに話題を変える。
「藤田さんは、今はもう博物館にお勤めではないのですね」
「ええ、ちょうど昨年、引退をしました。時代に合わせて、看守も代替わりです。いつまでもこのような老いぼれが目を光らせていたら、子供らも怖がりますからな。
このまま隠居して庭いじりでもしようかと思っていたのですが、女子高等師範学校の庶務係はどうかと誘われまして。毎日、女学生らの尻を眺めながら暮らしております。
坊ちゃんは今、どちらの学校に通われて…」
と藤田は聞きかけたが、好敏の制服姿を眺めて「それを聞くのは愚問のようですなぁ」とつぶやいた。
「5月に開校した、陸軍幼年学校の第一期生です」
好敏は努めて平静を装ったつもりだったが、そこに誇らしげな語気があったのは否めない。13歳の好敏にとって「陸軍幼年学校一期生」という言葉の響きは、やはり誇らしいものがあるのだ。
しかし、藤田はそれにまったく感心したような素振りはなく「いやはや…その歳から軍人教育とは」とつぶやいた。てっきり喜んでくれると思っていた好敏にとっては、拍子抜けである。
「士官学校の先輩方からは、まるで白虎隊だと揶揄されております」
藤田が陸軍幼年学校にあまり興味を示さなかったので自嘲のつもりで言ったのだが、それでも藤田は笑わなかった。むしろ一瞬、表情が曇ったように見えたのは気のせいだろうか。
妙な間が空いて二人が無言になった後、藤田は「ちょうど休憩に入る時間です。小学校の思い出話でもしましょう」と、好敏を誘った。
校舎の隅に、おそらく庶務係が雑務をするのであろう小さな詰め所があった。中は掃除が行き届いており、机の上にはいかにも鋭利な刃物で削られた鉛筆が2本、きちんと並べて置いてある。生真面目な藤田五郎の性格が現れているような仕事場であった。
「伯爵家の若様にお出しするような茶ではありませんが」
そう言いながら藤田が茶碗を置いたとき、好敏は目を背けられない現実に引き戻されたような気がした。この人は、我が家に起きた出来事を知っていて嫌味を言うような人ではあるまい。
好敏は、床を見つめてつぶやいた。
「私の家はもう、伯爵家ではありません。父は金銭の問題に巻き込まれ、訴訟を起こされています。もはや華族の体裁を保てず、爵位も返上しました」
藤田はわずかに驚いたような表情をしたが、静かにうなずいた。
「徳川一門からはずいぶんと叱責を受け、父は旧臣の家で隠れるように暮らし、母は家を出ました。
雑誌には、まるで父が人を騙したかのような憶測記事などもあるようです。世の人たちは、そんな記事を読んでさぞ憎しみを感じていることでしょう。内心、徳川家の没落に拍手喝采を送っている人々も多いのではないでしょうか。
いずれにせよ今の私は、日本中の敵意を集めるような人間なのです」
胃の中のものをすべて吐き戻したような気分だった。言わなくてもいいことまで言ったかもしれない。
「これにて失礼いたします。後ろ指をさされるような者がここに来たと知られれば、藤田さんのご迷惑にもなりましょう。身の程をわきまえずお誘いに甘え、申し訳ありませんでした」
立ち上がって深々を頭を下げたとき。目の前の男は、しばらくの沈黙の後で予想だにしていなかった言葉を発した。
「ひとつ言わせていただきたい。
先ほど坊ちゃんは、『徳川家の没落に拍手喝采を送っている人も多いだろう』『私は日本中の敵意を集める人間だ』とおっしゃいましたが…。
それは明確な間違いですな。
かつて葵の御家紋とともに戦った男が、ここにいるのですから」
思いもよらぬ言葉に驚いて顔を上げると、藤田は好敏の胸元あたりを見つめていた。先ほどまでの柔和な顔とは目つきがまったく違う。
「尊家はたしか、清水の徳川家でしたな。ただ徳川家である以上は、御家紋は三つ葉葵でありましょう。
私は、葵の御家紋と共に死ぬはずだった男です。会津では、三つ葉葵の旗印とともに戦場を駆けずりまわっていました」
「なんと、藤田さんは会津侯のご家中だったのですか」
好敏はうわずった声で尋ねた。
「いえ、決して家中などという身分ではありません。ただ一時期、会津侯から禄をいただいていたことがございます。
京都にいた頃、ただの荒くれ者の集団だった我々をお抱えいただきました」
好敏は、緊張で筋肉がこわばるのを感じた。
会津藩が京都で召し抱えた荒くれ者の集団…? いや、まさか。
「京都にいた頃は、多少なりとも御恩に報いる働きができていたかもしれませんが…。その後は鳥羽伏見・甲州・会津と負け戦ばかり」
明治生まれの好敏にとっては、御一新の前の時代は講談話の世界である。たしかに年齢的な辻褄は合うのかもしれないが、物語の登場人物が目の前に座っているなど本当にあるのだろうか。
好敏は唾を飲み、意を決して尋ねた。
「以前のお名前を…。京都にいた頃のお名前をお聞かせ願えますか」
藤田は、好敏の胸元あたりを見つめたまま言った。
「今から30年ほど前は、斎藤一と名乗っておりました」
好敏は、真冬だというのに脇の下に汗が流れるのを感じた。
(⑦へ続く)
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