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\里山という「あわい」/パーマカルチャー日記(45)

日曜日朝のテレビ番組 趣味の園芸「いきものパラダイス」で、適度に人の手が入った里山は蝶などの生き物が豊富だ、と知ってから、そのことが心にふわ〜んと漂っています。

そのことを書いた日記

ところで、私は「あわい」を気にして、いくつかの記事を書いてきました。
「あわい」とは性質の異なる『何か』と『何か』が重なり合う境界、媒介、結び目 のようなイメージです。

「あわい」についておもう(1)  

「あわい」についておもう(2)

「あわい」についておもう(3)

「あわい」についておもう(4)

いきものパラダイスを観ていたら、里山って、人が住む人と動物が住む奥の間にある「あわい」だなぁ、と感じました。

「適切な攪乱を維持して生物多様性を保全できていたのがこれまでの耕作地」

湿地帯生物の研究をなさっているオイカワ丸さんのつぶやき にハッとしたりしました。

人間の活動が生き物の生息環境を破壊することが多いと私は思っていたのですが、田んぼや畑を適切に維持することが生物多様性を維持してきたのだというのです。


芽が出てきた大根やルッコラに
モンシロチョウが寄ってきて
「ひ~」と思っていた。
でも、カマキリが幼虫を食べるかもしれない。


つまり、農薬散布や化学肥料などによって過度に撹乱するのでなければ、多様な環境が作られる田んぼや畑は、生き物にとって住み良い環境なのだと。

それが、いま放棄されているから、生物多様性が損なわれたり、イノシシなどによる獣害が起こったりしている。(イノシシは放棄された茂みがあると安心して暮らせる。)

先日落花生を荒らした動物は、
何者だったのだろう?


里山は、人口が減って、おじいちゃん、おばあちゃんしか住まなくなり、だんだん手入れされなくなってきている場所が多い。
エネルギーが薪から石油に変わったことも、里山が荒れた原因の一つだと言われている。(雑木林が放棄されていった。)

私は、人間がいなくなれば、環境が良くなって、いきものパラダイスになるのかなーと単純に思っていたけど、そうとも限らないと気づいた。

表紙写真は、人参の葉についたキアゲハの幼虫。

今日見たら、いなくなっていた。(誰かから食べられちゃった?それとも、蛹になった?)

一面が鬱蒼とした森だけだったら、蝶は暮らしにくいのかな。たぶん。
草原とか、水辺とかも蝶には必要なんだよなー。
人間が田畑を作ることによって、多様な環境、エコトーンができて、生き物が多くなっていたのだなあ。

里山自体が、広い意味でエコトーンなのかな。

人って、自然の一部なのだねぇ

改めて実感しました(*´ω`*)