「あわい」についておもう(2)
「あわい(間)」が何かと何かが溶け合う、境界の「はざま」だとして、
私は、漫画家の五十嵐大介さんとムツゴロウさんこと畑正憲さんのテレビでの対談を思い出した。
畑正憲さんが動物とコミニケーションを取るときのコツが不思議すぎて印象に残っていた。
https://you18892.hatenablog.com/entry/2020/09/06/223010
(私が気になっていたところをばっちり描いてくださっているブログ様。ありがとうございます。)
ブログ様:『触れること、触れられること、それがシームレスとなって一体化したとき、コミュニケーションが生まれていく。』
これって、、、
動物と畑さんの境界が曖昧になることなのかな?
ブログ様を読むと、
最後に「セックスのことを描いてくださいね」って、ムツゴロウさんが五十嵐大介さんにお願いしている。(ここを私はテレビで観ていなかった。)
何かと何かが溶け合うことの、究極?
野生動物にとって、命がけのことなんだろう、となんとなく思う。(本来は、人間にとっても。)
精子と卵子が出会うだけではない何か。
何かが溶け合うのだろうか?
そして子どもが産まれる。
子どもは大人とは違う意識の中で生きていると聞いたことがある。(シュタイナーさんがおっしゃっていたような?)
動物どおしのコミニケーションも近いものがあるのだろうか?
自分なのか、相手なのか、
わけがわからなくなる感覚。
ここに秘密があるような気がする。