東宮批判より祭祀の正常化を──西尾幹二先生の批判について考える(2008年08月26日)
(画像は宮中三殿。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございました)
西尾幹二先生による東宮批判の検証を続けます。今号は「WiLL」9月号の論考を取り上げます。
先生は同誌の論考で、ソ連崩壊後のロシアや第二次大戦後のドイツと対比させながら、長々と日本の敗戦の歴史を描いています。先生が、敗戦と占領で日本の精神の中枢が毀(こわ)され、権力の空白をアメリカが埋めた経緯を深刻なものとして振り返るのは、日本の権力が失われ、国家中枢が陥没する恐怖の到来を感じるからです。
先生は、権力の不在、国家中枢の陥没の主因が東宮殿下の世代になって、皇室みずからがパブリックであることをお忘れになっていることにある、と指摘しています。
そして、皇室は「民を思う心」によって国民の崇敬と信頼をかち得てくださればいい、と願うのでした。
▽1 重要なのは天皇個人ではなく皇位
先生の心配は理解できないわけではないのですが、論考には天皇・皇位に関する認識に基本的な誤りがあるように私は思います。
もうすでに繰り返し書いてきたことですが、先生は天皇という存在を、固有名詞で呼ばれる個人と理解しています。だから、「昭和天皇が御退位にならず、日本の歴史の連続性を身をもって証明してくださった」と「感謝」することになります。
しかし天皇による歴史の連続性というのは、天皇個人の政治的行為の結果ではないはずです。ヨーロッパの王制とは違うのです。そうではなくて、先生のいう「パブリック」、つまり公正無私なるお立場での「祈り」の継承が日本の歴史の連続性を意味しているのだと思います。
祭りの霊力によって、多様なる国民を統合してきたのは、個人としての天皇ではなく、歴史的存在としての天皇です。歴史家が個人としての天皇に注目するのは理解できますが、重要なのは祭祀王としての天皇の地位、つまり皇位です。
▽2 君徳は皇祖神の神徳による
先生の論考の第二の誤りは、その皇位の継承が将来、皇太子・同妃両殿下によってなされるかのように理解していることです。9月号の論考では、いみじくも「皇太子殿下妃殿下の皇位継承」と表現されていますが、完全な誤りです。皇位を継承するのは、いうまでもなく天皇お一人です。
両殿下によって、あるいは両陛下によって、皇位が継承される、と誤解しているから、妃殿下批判に血道を上げ、「天皇制は雅子さま制に変わる」ことを妄想たくましく忌避することになるのでしょう。
第三の誤りは、世襲による皇位の継承者に対して、国民の立場から国民の信頼に足る「徳」を要求していることです。
このことは同じ号に載っている渡部昇一先生の論考「『雅子妃問題』究極の論点」にも共通しています。渡部先生も盛んに「天皇の御君徳」を力説しています。
天皇に君徳が備わっていることは望ましいことですが、君徳が皇位継承の要件ではありません。皇位は世襲であり、皇祖神の神意に基づきます。天皇の君徳とは皇祖神のご神徳によるものであり、祭祀の厳修によって磨かれます。
▽3 見当たらない神への畏れ
したがって重要なことは、東宮殿下が「パブリック」であることを忘れないようにすることではなく、天皇の祭祀の正常化を図ることだと私は思います。
西尾先生は、敗戦が近づいた日々の昭和天皇こそ、「ゼロ時」(法の庇護から見放された「無権利状態」)の体験者だった、と書いていますが、そのようなときにあっても昭和天皇は「国平らかに、民安かれ」と祈る祭祀王としての自覚を忘れませんでした。
昭和20年の元旦、空襲警報が鳴るなかで昭和天皇は四方拝をおつとめになり、翌年の歌会始では「ふりつもるみ雪にたへて色かへぬ松ぞ雄々しき人もかくあれ」と詠まれました。
繰り返しになりますが、求められているのは東宮批判ではなく、祭祀の正常化です。原武史教授の「祭祀廃止論」批判でお話ししたように、昭和50年以降、憲法の政教分離原則をことさら厳格に考える官僚たちによって、天皇の祭祀が破壊されたままになっているのは、じつに由々しいことです。西尾先生の論考は、原論文と同様、神への畏れが見当たりません。