東宮妃批判も擁護論も前提に誤りあり──西尾幹二先生への反論を読む その2 竹田恒泰氏の場合(2016年6月28日)
西尾幹二先生の「御忠言」「諫言」批判を続けます。
前回は所功先生を取り上げましたが、今回は竹田恒泰氏の反論について、少し古いですが、「WiLL」平成20年7月号に掲載された、「御忠言」への反論をテキストに考えます。
結論を先に言えば、竹田氏は、西尾先生の「御忠言」に反論したいはずなのに、じつのところ、「御忠言」の前提となっている、皇室の原理とは異なる原理を、驚いたことに容認し、のみならず共有して、それを前提に議論を進めています。
これではまったく反論にはなりません。東宮批判と擁護論がかみ合わずに堂々巡りするのは当然です。
▽1 誤った3つの前提
まず「WiLL」本年(2016年)6月号に載った、西尾先生の「諫言」の前提となっている論理を整理すると、以下の3点になろうかと思います。
(1)皇室は「伝統」の世界である。近代の学歴主義、官僚主義とは対立する
(2)宮中祭祀およびご公務が天皇・皇族のお務めである。天皇・皇族のお務めは国家・国民が優先されるべきである。お務めは両陛下、両殿下によって担われる
(3)皇室は左翼の巣窟とみられるような機関には関心を持つべきではない
この3つの前提は8年前の「御忠言」と変わっていません。とすれば、この3点について、誤りだと論証できれば、あるいは皇室の皇室観とは別物だと証明されれば、西尾先生の東宮妃批判は音を立てて崩れます。
そして、実際、この3点すべてにおいて、完全な誤りであるか、部分的に問題点を含んでいることが容易に知られます。先生の「御忠言」「諫言」に反論するのなら、3つの論点を検証し、否定できれば、それで十分です。
▽2 否定せずに是認
ところが不思議なことに、竹田氏の東宮擁護論は逆に、西尾先生と似たり寄ったりです。
竹田氏は冒頭で、西尾先生の「作法」を問題としています。反論できないお立場の皇族方に対して、公のメディアで、容赦なく批難を浴びせるのは「卑怯」だというのです。
なるほど仰せの通りですが、真正面からの批判ではなく、「言い方が気に入らない」「やり方が汚い」というような批判は、世間では口喧嘩の常套句で、往々にして相手の言い分を認めていることが多いものです。
竹田氏の東宮妃擁護論もまさにそれで、竹田氏は西尾先生の論理を否定しているのではなくて、逆に是認しているのです。
▽3 「皇室は伝統の世界」と認める
まず(1)の伝統主義です。これは西尾先生の「諫言」のもっとも大きな柱です。
先生は、「雅子妃の行動が皇室全体の運営に何かと支障をきたしている」とし、その原因について、皇室の「伝統」主義と「近代」主義との相克と理解しています。
これは8年前の「御忠言」とまったく同じです。先生は、皇室を「伝統」の世界であり、「徳」が求められる世界だと決めつけ、「徳なき者は去れ」と妃殿下に「下船」を要求したのです。
しかし、皇室は「伝統」オンリーの世界ではありません。「伝統」と「近代」の相克どころか、「伝統」と「革新」の両方が皇室の原理です。また、皇位は世襲であって、徳治主義とは無縁です。先生の理解は完全に誤っているだけでなく、矛盾をきたしています。
これに対して、竹田氏は、皇室の伝統主義と近代の能力主義との対立と理解する西尾先生の皇室観について、否定するどころか、以下のようにはっきりと肯定しています。
「確かに皇室は伝統の世界であり、その秩序は学歴主義とは本質的に原理が異なる。学歴主義・効率主義などが皇室に入り込めば、それなりの摩擦が生じるとの論には一定の説得力があるように思える」
▽4 論理の展開だけが異なる
竹田氏の反論は、西尾先生の議論の前提である皇室=「伝統の世界」論、「伝統」対「近代主義」相克論ではなくて、西尾先生の説明不足に向けられています。
「西尾氏は東宮妃殿下の高学歴については述べるが、学歴主義と諸問題が生じたことの因果関係を示していない。『原理が異なる』だけでは説明したことにはならない」
十分な説明なら、竹田氏は納得するということでしょうか。
さらに竹田氏は「皇室に学歴主義・効率主義が入り込んだのは東宮のご結婚が最初であろうか」と問い、「皇室に学歴主義が入り込むことは今に限ったことではなく」と説明し、「問題の本質は学歴主義ではないと断言」します。
つまり、竹田氏は、西尾先生の「伝統」対「近代」の相克の図式を暗黙のうちに認めているわけです。「本質ではない」と指摘しているだけです。
竹田氏は、「(西尾先生の)学歴主義の議論は問題の本質から外れている」と批判し、「問題の本質は……お世継ぎ問題ではないか」と問いかけ、お世継ぎ問題の圧力が1人の女性に集中する制度の欠陥を改める必要があると主張しているのです。
要するに、竹田氏の東宮擁護論は、皇室=「伝統の世界」論に立ち、「伝統」対「近代」の相克論を認めることにおいて、西尾先生の東宮妃批判と前提は同じであり、論理の展開だけが異なるという、いわば一卵性双生児の関係にあるといえます。
▽5 祭祀もご公務もそっちのけ?
つぎに(2)の宮中祭祀およびご公務について考えます。
西尾先生は宮中祭祀およびご公務が皇室の大切なお務めであり、私的関心より優先されるべきだという考えに基づいて、皇太子妃殿下の行動を批判しています。
祭祀にお出ましにならず、ご公務はそっちのけ、それでいて国連大学に入り浸るのはもってのほかであり、妃殿下の病状に寄り添う皇太子殿下にとって国家・国民が二の次なのはただ事ではない、というわけです。
けれども、宮中祭祀についていえば、もともと天皇の祭りであって、四方拝にしても、新嘗祭にしても、妃殿下の拝礼が予定されているわけではありません。ご公務にしても、たとえば憲法は天皇の国事行為について規定しているのであって、皇太子妃のご公務に関する明文規定はありません。
まして官庁主催のイベントやメディア主催の展覧会などにお出ましになることは、皇太子妃の伝統的なお務めではあり得ません。
歴史的にいうならば、臣籍出身の皇后、皇太子妃は、近代以前は「皇族」ですらありませんでした。あくまで「皇族待遇」だったのです。
それが明治22年制定の皇室典範で「皇族」と称することが規定され、皇后は「陛下」と尊称され、「両陛下」と併称され、大婚に際して勲一等に叙され、宝冠章を賜うことが定められました。
亡くなったとき「崩御」と表現され、「追号」を贈られるようになったのは、大正15年の皇室喪儀令以後のことです。
▽6 漠然たる批判に漠然たる反論
これらの改革は、『皇室制度史料』によれば、ヨーロッパ王室の影響を受けた結果でした。それが近代というものであり、現在、宮内庁のHPに「両陛下」「両殿下」と記され、メディアが「ご夫妻」と当たり前のように表現しているのはその結果です。
西尾先生は、皇室の「伝統」ではなくて、「近代」以後の官僚、マスメディアと同じ立場に立ち、その自己矛盾を抱えつつ、ただ漠然と、祭祀やご公務が大切だと主張しているに過ぎません。
これに対して、竹田氏もまた、皇太子妃にとっての祭祀、ご公務を具体的に掘り下げているわけではありません。
少なくとも「WiLL」の反論では、国連大学に熱を上げる妃殿下を、「反日左翼と決め付け」る西尾先生に対して、竹田氏は、「全く根拠が示されていない」「議論の飛躍」「妄想」と切り捨て、「(西尾先生の)イデオロギーは反日左翼と分析するほかない」と一刀両断にしているだけです。
もっとも竹田氏は、さすが祭祀に関しては、天皇の祭りであって、「皇后や東宮妃の本質は『祭り主』ではない」「天皇は『上御一人』である」「幕末までは皇后が祭祀に参加しないことが通例だった」と正しく指摘しています。
けれども、それ以上のものではありません。
宮中祭祀およびご公務について確たる根拠を示されずに「反日左翼」のレッテルを貼るなら、竹田氏の「作法」も西尾先生と大して変わらないことになるでしょう。
▽7 失われた御代拝制度
竹田氏は「天皇の本質は何か」と問い、葦津珍彦を引用して、天皇=「祭り主」論を展開しています。
そして、「西尾氏は[天皇は伝統を所有しているのではなく、伝統に所有されている]ともいうが、天皇は伝統に所有されてなどいない。天皇と伝統は不可分一体であり、所有・被所有の関係にはない」とも反論しています。
しかし、葦津は天皇=単なる「祭り主」論の立場ではありませんし、皇室=「伝統の世界」論者でもありませんでした。竹田氏が葦津を引き合いにする手法はかなりクセがあることは、当メルマガで何度も申し上げました。
祭祀の実態からすれば、旧皇室祭祀令が慣習的に機能していた昭和50年代まで、皇后や皇太子妃の御代拝が制度として認められていました。お風邪を召されたときなど、側近の女官に代わって拝礼させる制度が以前は生きていました。
もしこの制度がいまも生きていれば、妃殿下は西尾先生から批判されることはなかったでしょう。
ところが、御代拝の制度は憲法の政教分離主義に凝り固まった当局者によって廃止されてしまいました。西尾先生も、竹田氏も、そのことをなぜ批判しないのでしょうか。問題の核心はそこにあるのではないでしょうか。
もしかして、西尾先生は戦後の祭祀改変の実態を知らずに、妃殿下を攻撃しているのでしょうか。竹田氏は現実を見定めずに反論しているのでしょうか。
西尾先生は批判すべき対象を見誤り、竹田氏は反論すべき視点を見失っています。
▽8 「国民統合の象徴」であり続ける困難
最後に、すでに言及している(3)の「左翼」について、もう少し考えたいと思います。
西尾先生は、皇室は「反日左翼」とは無縁であるべきだとお考えのようです。これに対して、竹田氏は、西尾先生こそ「反日左翼」とレッテルを貼るのですが、皇室が「反日左翼」と無縁であるべきだとする考えでは一致しているようです。
とすると、お二方とも、皇室は伝統主義者・保守主義者だけのために存在するとお考えでしょうか。排除の論理が皇室の原理なのでしょうか。
どう考えても、そうではないでしょう。そうではないからこそ、現代の皇室そして東宮は苦悩されているのではありませんか。
西尾先生も、竹田氏も、皇室の祭祀を重要視しておられるようですが、天皇の祭祀は、皇祖神に稲を捧げて祈る稲の祭りではありません。天皇は皇祖神のみならず天神地祇を祀り、稲作民の稲と畑作民の粟を供して、国と民のために祈られるのです。
これが葦津珍彦のいう天皇=祭り主の意味であり、「国および国民統合の象徴」の意味だと私は考えます。
天皇は稲作民だけの天皇ではありません。畑作民だけの天皇でもありません。同様に、皇室は右翼のための皇室ではありません。逆に左翼の皇室でもありません。右翼であれ左翼であれ、天皇にとってはみな「赤子」です。
しかし現代という時代に、「国および国民統合の象徴」であり続けるのは、どれほど困難なことでしょうか。
▽9 相矛盾する価値の追求
現代の皇室にとって、最大の苦悩の1つは、相矛盾する価値をも追求しなければならないことでしょう。
西尾先生は皇太子殿下の「雅子さんを全力でお守りします」発言を批判します。よき夫であろうとし、よき家庭を築こうとするマイホーム主義は、「天皇に私なし」という皇室の伝統から遠ざかっていくという危惧は、じつにもっともです。
しかし、家庭の崩壊が指摘されて久しい現代において、東宮が社会的模範となることは価値がないことでしょうか。
皇室伝統の乳人(めのと)制度を破って、最初に母乳で子育てを始められたのは香淳皇后でした。最初にお手元で子育てをされたのは、皇太子妃時代の、いまの皇后陛下です。
皇室=「伝統の世界」だと言い切るのなら、伝統を破ったことを、西尾先生はなぜ批判されないのですか。なぜ雅子妃だけを標的にするのですか。
古来、天皇は親族の葬列に加わることさえ避けられました。「天皇無私」のお立場に徹されたからです。けれども現代の皇室は、相矛盾する私的価値をも追求しなければならないお立場に立たれています。
西尾先生は「伝統」対「近代」の相克が問題の原因と見ています。そうではなくて、「伝統」と「近代」という2つの価値を追求するがゆえに皇室は苦悩されているのでしょう。
西尾先生も竹田氏も、そのことをご理解にならないのでしょうか。