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天皇の祭りの「米と粟」

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神嘉殿で行われる宮中新嘗祭、大嘗宮で行われる大嘗祭で、もっとも重要な神饌は「米と粟」の御飯(おんいい)です。なぜ「米と粟」なのか、なぜ「粟」なのか?
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#竹田恒泰

大嘗祭は「米と粟」の複合儀礼──あらためて研究資料を読み直す(2011年12月18日)

大嘗祭は「米と粟」の複合儀礼──あらためて研究資料を読み直す(2011年12月18日)

 先月、政教関係を正す会のシンポジウムで、大嘗祭が稲と粟の複合儀礼であることについてお話ししたところ、旧知の神道学者から「新嘗祭と異なり、大嘗祭には粟は登場しないのではないか」というご指摘をいただきました。

 著名な研究者からの指摘ですから、無視することはできません。まして、「大嘗祭は稲と粟の複合儀礼ではない」ということだとすると、私の年来の主張はもう一度組み立て直さないといけなくなります。

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なぜ粟の存在を無視するのか──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その4(2016年5月2日)

なぜ粟の存在を無視するのか──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その4(2016年5月2日)

 竹田恒泰氏の天皇論を批判的に考察しています。

 竹田氏の『皇統保守』の第二章は、原武史氏の宮中祭祀廃止論を批判の標的にしています。当然、お二人の結論は異なるのですが、前提はあまり変わりません。

 原氏は天皇の祭りを「農耕儀礼」と考え、竹田氏は「稲作儀礼」とお考えのようです。しかしいずれも間違いだと私は考えます。

▽1 新穀を神人共食する「農耕儀礼」

 原氏は月刊「現代」2008年5月号に

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「米と粟の祭り」を学問的に深めてほしい──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その5(2016年5月3日)

「米と粟の祭り」を学問的に深めてほしい──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その5(2016年5月3日)

 竹田恒泰氏の天皇論批判を続けます。

 これまで、天皇の祭祀は皇祖神だけを祀るのではないこと、「稲の祭り」ではないこと、つまり宮中祭祀に関する事実認識に誤りがないか、などと指摘してきたつもりです。

 今回はもう少し大嘗祭=「稲の祭り」説にこだわってみます。

▽1 なぜ鎌田氏を引用するのか

 竹田氏は共著のなかで、大嘗祭が「稲の祭り」であることを説明するのに、鎌田純一氏(神道祭祀)を引用して

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