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日常雑記:続・恋と愛と友情と。
「こんばんは。夕飯はカツカレーですよ。ケーキも持ってきました。」
前回のレッスンの中で、チェロ先生の都合を聞いていた。
「久しぶりに夕飯を一緒に食べたい。」という名目で先生宅を訪ねた。
「カレー、久しぶりだなぁ。」と先生。
「カツ、ちゃんと揚げてきたんですよ。熱々のうちに食べましょう。」
家に上げてもらって、私はダイニングにタッパーを広げた。
カレーを食べ終えて、ケーキを食べていた時、先生が言った。
「話があるんだろう?」
私はケーキの上に乗ったマスカットをモグモグしなから、
「何でそう思うんです?」
と言った。
「夕飯食べるためだけに来るとは思わないよ。
第一、楽器を持ってきていないじゃないか。」
「ですよね。」
私は認めた。
「前に夜が言っていた、関係をはっきりさせるって話か。」(8月チェロレッスン①)
「そうです。私はセンセにとってただの弟子ではないですよね。ずっと気になってました。」
それをハッキリさせると、夜(私)の方が困るのだと先生は言っていた。
「少なくとも、道端で拾った猫ではないね。」
と先生。コーヒーを一口飲むと続けた。
「夜がハッキリさせたいのは僕の気持ちじゃなく、夜自身がこれからどうしていきたいのか、じゃないの?」
う…鋭い。
「だったら、僕が夜のことをどう思っているかで左右される話じゃないよね。」
「そうかもしれないけど、でも…。」
先生の気持ちを知らないことには整理がつかない気がする。
私が言葉を濁すので、先生が言った。
「夜が僕に結婚すると報告した頃、Tさん(ダンナ)と会って話をしたよ。知ってた?」
え、二人で?…知らなかった。
そもそも、どうやって連絡を取り合ったの?
私は二人にそれぞれの連絡先を教えていないし、二人に接点はないはずだ。
先生、私の疑問に答えた。
「Tさん、僕が出演していた演奏会で、出待ちしていたんだよ。」
出待ち!?
…なるほど、それなら確実に先生に会える。
「その場ではお互いの連絡先を教え合って、改めて後日会ったんだけどね。」
★
結婚するにあたり、ダンナが挨拶をしなければならない家族、親族は私にはいない。
しかし、私と繋がりが深そうな先生を外せないと、ダンナは考えたらしい。
ダンナは先生に
「夜は、どうも貴方に師以上の気持ちを抱いているようなのですが、貴方はどうなのでしょうか。」
と聞いたそうだ。
ダンナ、もし先生が私のことを好きだとか結婚しようと思っているとか言ったら、身を引くつもりだったのだろうか?
先生
「僕が願うのは、夜が幸せになることです。夜自身が貴方と結婚することで幸せになれると思ったのなら、僕の気持ちは関係ありません。」
と言ったそうだ。
それに、
「彼女はいつもあっけらかんと明るいけれど、心の奥に幼少期のかなり重い記憶を抱えています。余りにも辛いから、意識的に忘れているようです。でも、何かの拍子に思い出したら、生きていくのが辛くなるかもしれない。そうなったとしても前を向いて生きていけるよう、貴方は彼女を支えられますか?」
と話したそうだ。
ダンナ、「もちろんです。夜の抱える問題も含めて、彼女を愛しています。」と。
「でしたら、夜の側にいてください。」
★
私はいつの間にかぼろぼろ泣いていた。
先生、テッシュを箱ごと寄こした。
「夜は僕と結婚したかったの?」
私はティッシュで顔を拭った。
「あの頃、センセにそう言ったつもりだったけど。」
先生、テーブルの上に重ねてあったチラシで手早く箱を折って、ゴミ箱がわりのそれを私の前に置いた。
「あの頃の夜は、恋に恋してるように見えたもんなぁ。それに僕のことを男としてというよりは、親として見ていた。違う?」
紙箱は、私が使ったティッシュですぐ山盛りになった。
「そうだったかもしれません…。」
「Tさんはお前よりずっと大人だった。収入が不安定だった僕に比べて、経済的にも自立していた。将来設計もきちんとしていた。立派だよ。いい人を選んだな。
夜は今、幸せか?」
「はい。」
私は即答した。
先生、ニヤリとする。
「だったら、いいじゃない。ここで『いいえ』だったら、今すぐお前を奪いに行くんだったけど。」
おや?
今センセ、私の質問の答えをポロッと言った気がするんですけど?!
…と思った私の視線をサッとかわして、先生は残っていたケーキのカケラを口へ放り込んだ。
「そういうことだから、これから先のレッスンだけど。続ける?それとも先生を変える?」
ええ?何を言っているのでしょう??
「だって、この先僕のレッスンを受け続けるのは夜にしてもTさんにしても気まずいんじゃない?
オケでトレーナーしているMさん、夜を随分気にかけているみたいだから、弟子入りを申し出たら喜ぶと思うけど。」
そういうことか…。
先生の方が私よりも広く物事を考えている。
「来月発表会もあるし、バッハ5番も途中だし。私はこれからもセンセのレッスンを受けたいです。そもそも私がセンセに教わるのがダメだとダンナが思っているなら、3年前にとめたと思う…ああ!私のケーキ!」
先生、フォークを持った手を伸ばして、私のケーキの最後の一口を皿から奪った。
「桃も好きだけど、シャインマスカット、好きなんだよ。じゃ、週末までにバルギール完成させてきて。本番までにあと3回しかないからね。次回は表現を詰めたい。」
「わかりました。
でもセンセは?もう私に教えたくないんじゃないの?」
先生、カップに残ったコーヒーを飲み干して言った。
「夜を一から教えてここまで育てたのは僕なんだよ。師として弟子の成長を見守りたいのは当然だと思うんだけど。
僕が教えるからには、これからも容赦しないよ。しがみついてでも、ついてきなさい。自分から学ぼうとしなさい。」
「はい。」
★
…その後のことは、ここに書くようなことではないので、省略。
家に帰ってダンナに聞いたら、私たちの結婚前に先生と会った話は本当だった。
話した内容も…。
18歳で社会に一人で放り出された時、世の中はとても冷たいと感じていたけれど。いつの間にか、色んな人に支えてもらっていたなぁ。
なんてありがたい。
もらった分だけ、恩を返せたらいいのだけど。
その答えの一つが、医療従事者という仕事に就いたことなんだけれどね。