サイコロ塾レッスンレポート:分析!5本のキュウリ編
こんにちは!先月に引き続き11月もボードゲームをプレイして、分析していくということをしていきます。
11月1回目に取り上げたゲームは「5本のキュウリ」です。ボードゲーマーにとっては、「緑の人」というイメージのフリードマン・フリーゼさんによる、トリックテイキングの入門的な作品です。
今月も、先月と同様にある共通点を持つ小箱ゲームを取り扱っていきます。ズバリ今回のテーマは、「ジレンマ」です。子どもたちにはなかなか耳馴染みのない言葉・概念ですが、「ゲームを遊ぶ」から「ゲームを作る」ことを考えるプロセスで最重要な概念ではないかと思っています。
それでは、レッスンレポートスタートです!
1、5本のキュウリのルール読み&プレイ!
5本のキュウリは、先にもあげましたがトリックテイキングというジャンルに含まれるゲームです。サイコロ塾本編では取り扱ったことがありませんが、過去にボードゲーム制作プロジェクトで遊んだことがありましたので、そのnoteを貼っておきます。
振り返りがてら簡単にルールを説明します。
・各自が7枚のカード(1〜15までがランダムに配布)を持ちます。
・順番に1枚のカードを出し、全員がカードを出し終えたらその度に勝者が決まります。(このミニゲームをトリックと呼びます)
・勝者は次のトリックの最初にカードを出すことができます。
・最終的に7枚のカードを出すことになりますが、7回目のトリックの勝者になってしまうと、出したカードに描かれたキュウリを受け取らなくてはなりません。
・6本以上のキュウリをもらってしまった人は「お漬物」としてゲームから脱落し、最後まで残った人が勝者になります。
毎回、子どもたちがルールを読む時間の後に、「自分の番にすること」「ゲームの終わり」「ゲームの勝ち方」といったことを確認して尋ねる時間を設けていますが、今回はどれも子どもたちがスルスルと答えてくれました。
実は、上に挙げたルール(ゲームの進め方)において、意図的に記述していない部分があり、そこがゲームのキモになっています。
それは、「カードの出し方」です。「5本のキュウリ」では、自分の番が来た際のすでに場に出ているカードの状況によって、出すことができるカードの選択肢は次のようになります。
1)すでに場に出ているカードの数字以上のカードを出す
2)自分が持っているカードの中で最も小さい数字のカードを出す
この「カードの出し方」は、子どもたちにとって間違えやすいポイントであったようで、プレイ中に上の1)2)を復唱することが何度もありました。
そして、このルールこそが5本のキュウリのジレンマそのものです!
子どもたちは、プレイミスも何度かあったものの、こちらからゲームのコツを尋ねる前に、「どうすればいいのか?」を考えることができていました。
ちょっと横道に逸れますが、「ボードゲームをプレイできる」ということには、いくつもレイヤーやレベルの違う事象があるように思います。単に「ボードゲームのルールに従って、ルールを執行する」ということと、「ボードゲームのルールを乗りこなす」ということは違い、それぞれが存在するということです。「乗りこなす」は、何となくのニュアンスが伝えたくてここで使ってみたのですが、元々「〜こなす」には、「うまく〜する」というような意味があるようなのであながち間違っていないかなと思います。
つまり、「ルール」を前にそれが執行できるかどうかという段階と、「ルール」をうまく使ってゲームを有利に進める(うまくプレイする)という段階とがあるということが言いたいことです。もちろん、こんな簡単な二分だけではなくもっともっとグラデーションがあるかと思いますが、何となく伝わりますか?そして、このレイヤー・段階の違いごとに、「ボードゲームを学びに用いること」の意図がそれぞれ表れているように感じています。
前者に注目するとき、それは評価・アセスメントといった考え方を使うことになるのかもしれません。「○歳以上の子どもたちにオススメのボードゲーム!」といったようなものを考えるときはコチラですね。このときは、「ボードゲームをプレイする(ひとまずは成り立たせる)」ために必要になるような力や学びの要素に注目します。ゲームをプレイする前に子どもたちに期待している「前提」のようなものかもしれません。ゲームのポテンシャルと子どもたちのポテンシャルの双方を天秤にかけ、ともかく「成り立つかどうか」を検討します。実際には、ここを「前提」とするのか、それとも「成り立たせること」を目標として、プレイの中で学びを進めていくのか、それぞれの現場、子どもたちの状況で異なると思います。
一方、後者に注目するとき、それは「教育」の対象になる学びの要素をプレイの「中」で扱うことを意図することになります。「ボードゲームを使って、○○を育てます」というとき、想定されているのはこの段階なのかもしれません。でも、実は「成り立たせること」にも存分に学びはあるのですが、その一歩先というか、そういうもののような気がしています。
(ちょっとまとまりが悪いですが図にしました。今後も継続して考えたいと思っています。)
で、話を戻します。今回のレッスンでは、子どもたちがそこ(後者)に近づいてきたことを実感できたということです。つまり、「ゲームをただ遊び、プレイする」ところから一歩進んで、「ゲームをうまくプレイする(しようとする)」ということまで自分たちの力でたどり着いたということです。
5本のキュウリをプレイする中で、ただ漫然と「ルールに従って、ルールを執行する」のではなく、ルールを使ってどう有利に進めれば良いかということを考え始めました。子どもたちは、「どうすれば勝てる?」ということを尋ねる前に、「大きいカードをできるだけはじめの方に出す」というコツを掴んでいました。
これまでも、子どもたちのプレイの途中にいったん手を止めて、考えてもらって言語化する時間はとっていましたが、あくまでそれは僕のファシリテーションあってのことでした。ところが、今回は自分たちで、そしてプレイの中で掴んでいったようでした。僅かな違いかもしれません。それでも、子どもたちは「ゲームをプレイする」という経験から「ルールを乗りこなす」という態度を身につけつつあるのかなと嬉しくなりました。
2、5本のキュウリの「ジレンマ」について考えよう!
さて、今回は「5本のキュウリ」をプレイして、ゲームルールの本質とも言うべき「ジレンマ」について、子どもたちに考えてもらいました。
いつものように分析シートを記入してもらった後に、5本のキュウリの中で、「○○したい」もしくは「○○したくない」と思ったことをたくさん書いてもらいました。
子どもたちからは、
・1を取っておいて7回目に出したい
・キュウリをもらいたくない
・小さい数を捨てたくない
・7回目に大きい数を出したくない
・お漬物になりたくない
・カードを出すのが1番最後になりたい
と実に素直で、率直なさまざまな意見が出ました。レッスンの計画では、もう一歩ここから進んで、挙げてもらった「○○したい」「○○したくない」がどういう関係(対立なのか、並列なのか)にあるのか考えてもらおうと思っていましたが、今回はいったん見送りました。
子どもたちには、ジレンマについて、
「○○したい」「○○したくない」がたくさんあるときに、選ばなければならないこと
と伝えました。具体的な事例を出すと子どもたちもすぐに飲み込んで理解したようでした。そして、この「ジレンマ」というものが5本のキュウリにおいては、特徴的な「カードの出し方」という1つのルールと紐づいているということを伝えました。
「ジレンマ」は、「圧倒的に有利と考えられる選択肢が明白である」という状況や、「どちらを選んだとしても意味をなさない」という状況では存在せず、それが「面白さ」として機能しません。
ゲームのプレイヤーは、選択肢のどれもが意味があって、魅力的に見えるから迷い、考えをめぐらせ、そして時には選んだ上で運を天に任せるという選択をします。このプレイヤーに「意味のある選択」を迫る「ジレンマ」を生み出すルールを作り出すことこそが「ゲームを作ること」の最もコアな部分です。
今回のレッスンでは、最終的にゲームの中の1つのルールが「意味のある選択」を生み出す仕掛けになっていて、それがジレンマを生み、ゲームを面白くしているということまでしっかりと伝えることはまだできていないと感じています。ここは次回に持ち越しですね。
次回予告
次回は、「ドイツ年間ゲーム大賞2019」の大賞部門にノミネートされた3作品の1つ「ラマ」をプレイします。
作者は、「クニツィアジレンマ」という言葉が生み出されるほどに、「ジレンマ」の取り扱いに長けたクニツィア博士です。
簡単でシンプルなゲームの中に、ピリッときいたジレンマが魅力的なゲーム。子どもたちがどのように「したい」「したくない」を認識して、分析していくか楽しみです。
それでは、次回のレポートもどうぞお楽しみに!
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