30年向き合った記録。

無理なもんは無理。どう頑張っても無理。
誰しもそう思うことの一つや二つあるだろう。
私の場合は一つや二つじゃ済まないんだけど、そのうちの一つがお祭り。
特定の祭りを指すのではなく、所謂夏祭りにカテゴライズされるもの全てである。

夏祭り(なつまつり)は、日本において夏に行われる祭りの総称である。なかでも7月上旬から8月下旬頃のものを指すことが多い。逆に9月以降の祭りは旧暦7月に行われる場合は夏祭りに準じて扱われることが多い[1]。

Wikipedia

日本の夏の風物詩。私が長らく住んでいる東北地方では東北6県全てで何かしらのパレードを含むお祭りが開催されているらしい。
更にWikipediaから引用すると、

祭りで行われるもの
・盆踊り
・パレード
・花火大会
・屋台(縁日広場)
・山車、祭囃子
特設舞台を使用するイベント
・歌謡ショー
・キャラクターショー(テレビアニメ、戦隊シリーズ、ローカルヒーローなどのものが多い)
・マジックショー
・カラオケ大会

Wikipedia

上記のような催し物がある夏にやる祭り=夏祭り
ということ。

 子供の頃、親や祖父母が夏になれば祭りに連れ出してくれた。いつから祭りが無理なのか思い返してみれば、結構最初の方から無理だった気がする。
大人からすれば子供は祭りが好きな生き物と思うだろうし、善意で連れて行ってくれることくらい理解していたので無意識に楽しまなければと気負っていた記憶がある。
あと単純に祖父母も親も祭りが好きなタイプだったこともあって、当たり前に夏は祭りに行くものという感覚だった。
 こんな時でもなきゃ着ない浴衣を着せて貰うのは嫌いじゃなかった。動きに制限がかかること、汚したらめちゃくちゃ怒られることがセットでくっついてくるけど、それは着てから思い出す。
 普段は早く寝なきゃいけないのにお祭りとなれば夜から外に繰り出すからそれもそれで楽しい。
子供にとっての非日常の塊である。このあたりは純粋に楽しんでいた。
 
 しかし。
いざ行けばその人混みにガン萎えする。うるさい。これが祭り好きになれないポイントその1。
聴覚優位の民なので和太鼓がしんどい。来てる人たちの話し声も祭囃子も盆踊りの爆音ミュージックも花火も、カラオケステージから響くお年寄りの謎の演歌も全てうるさい。
なんなら屋台の灯りも神輿も視覚的にうるさい。華やかで煌びやかとされる様がとにかく大体うるさい。
日本の侘び寂びの心どこいっちまったんだよとなる。

 うるさいくらいならまあ我慢出来る。聴覚優位とはいえ、昔からうるさい!とぎゃっと暴れるようなことはない。マナーを重んじる理性がきく子供であった。耐えつつ他のことで気を紛らわせたらいい。
 親と祖父母はせっかくだからと財布の紐をゆるめている。私が言い出すより先に、あれは?これは?と屋台のものを指差して勧めてくる。
空気を読んで欲しい!やりたい!と演じる方が忙しくなり、そのうちうるささはどうでもよくなる。
とりあえずでキャラものの綿飴をゲットする。ちなみにキャラが描かれているのは袋だけ、中身はただの綿飴。
私は綿飴が好きじゃない。持て余していれば「早く食べちゃいなさい」と怒られる。袋もどうせ翌日に捨てる。苦行でしかない。
ちなみに屋台の焼きそばも好きじゃなかった。冷めてボソボソの状態で食べるからかもしれないけど、それなら普通に家で出来立てを食べたい。あと粉物自体普段から食べない。
かき氷よりソフトクリーム派。炭酸も普段飲まない。
チョコバナナもそんなに魅力を感じない。
そうなのだ、屋台の食べ物が悉く私の好みから外れているのである。
これが祭り好きになれないポイントその2。
くじ引きもまあ当たらないし、ヨーヨーもそこまで欲しくないし、キラキラ光る腕輪はすぐ光らなくなるし、かといって電池式のおもちゃも欲しいか?と言われたらゲームの方がいいなぁ……という子供だったからどれもこれも楽しめない。
それでも親や祖父母をガッカリさせたくないから、わーお祭り楽しー!焼きそばおいしー!ヨーヨーおもしれー!とやっていた。本音は一刻も早く帰りたかった。

 もっと大きくなってからは友達に誘われて祭りに行く機会が何度かあった。
友達にあわせて焼きそばだのたこ焼きだのチョコバナナだの買って食べた。出来れば行きたくなかったが、円滑な交友関係のために割り切っていた。
無理して付き合っていたら体調を崩し、ぶっ倒れて救急車で搬送された。点滴を打って回復したものの、迎えに来た親からクソほど怒られた。
 ちなみに屋台の裏側みたいなのがネットに出回りだして、やれ川の水そのまま使ってるだ手も洗わないだなんだかんだと不衛生な様が囁かれるようになった。
そんなのはあったとて極一部のことで、きちんと衛生管理してる屋台は沢山あると思う。
でもよくよく考えなくても夏の夜の屋外って虫もおるしマスクもせんと大声で話しながら行き交う人々の中、店頭に丸裸で並べられてる食べ物って衛生か否かで言えば私個人としては完全に否である。
その辺に平気でゴミを捨てていく輩もいるし、もう大体が汚い。
これが祭りを好きになれないポイントその3。
神輿も他人の汗……距離近すぎ……となると引いてしまう。
 
 極め付けに、割高。そこまでの苦行にプラスして何もかも高い。あれはその場の雰囲気を楽しむための価格なんだから、楽しめない人からしたら高いと感じてもおかしくない。
どーしても!どーーしても!!俺はヨーヨーが欲しいんだ!となったとて、今はネットで縁日用のものが買える。わざわざ行かなくてもいい。
私個人としては祭り=うるさい、欲しいものない、汚い、高いの塊。それでも人生30年目までどうにかいいところを見つけようと頑張った。
歴史的観点からその重要性を解こうとしたが、大体そんなに歴史がない。あったとて今の形となったのは観光だとかイベント的な面からどんどんヒートアップしたようである。
それもまた経済に必要なことだけど、私個人が楽しむ理由にはならなかった。
もっというと反社会的な関わりだとか、輩に限って祭り好きだとか、現代の法や秩序にはそぐわないのでは?と思うようなことが伝統行事で一括りにしてるところも好きになれない。
非日常でパーっとやって楽しもうよという考え自体苦手。※これは偏見だけどパーっとやろうよという人は普段から溜め込んでない。パーっとやるのが好きなだけであって、できればそれが日常であってほしい人。合わない。
子供の頃、唯一楽しかったのが浴衣と夜に出歩くことだったけど、今はさほど浴衣に興味はないし着たくなったらいつでも着ればいい。夜に出歩くのだって、ある程度成長したら自由になったから祭りが特別ではなくなった。
 どうにかしていいところを見つけようと頑張ったのだが、いいところがあっても私はそれを好きになれなかった。無理なもんは無理だったのである。
 
このご時世、立て続けに祭りが中止になって正直ホッとした。誘われることもないし、喧騒も交通規制もない。花火大会の後の激混みスーパーも、国道から裏道までてんやわんやの大渋滞もない。
流石に他人が楽しんでいる様にケチをつけるつもりはないから、以前のような規模で再び開催されることに反対はしないけどね。
あくまで私個人が無理なだけ。子供会や町内会の行事等で参加したり、親に連れて行かれたり、友達に誘われて行ってみたりと好きになる努力を30年続けてみたがやっぱり好きじゃなかった。半ば強制的に中止になってやっと一区切りついたのだ。
めちゃくちゃ真剣に向き合った結果なので、なんとなく嫌いだなーくらいの程度ではない。
むしろなんとなくで毎年楽しんでる人よりもずっと祭りのことを考えてたんじゃなかろうか。

 夏祭り好き!って人は夏を楽しむツールを私より多く持ってるわけだからぜひに夏をエンジョイしてほしい。
あと子供=祭り好きってわけじゃないのだけは理解してほしい。

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