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こどもじかん
娘を塾に送ったあと、いつもの帰り道を右折ではなく左折すると、高い確率で見かける親子連れがいる。
恐らく、保育園帰りだろうか。
好奇心旺盛な幼い男の子とお母さん。
そして、弟なのか妹なのか、お母さんが装着している抱っこ紐からは赤ちゃんの可愛い足が見え隠れしている。
交通量も増える夕刻、なかなか信号が変わらないうどん屋の交差点で必ず遭遇する、超個人的あるあるの光景。
今日はドラッグストアに寄るために、いつもの道を左折し、その交差点の右折レーンに並んで信号が変わるのを待っていた。
そろり、そろりと前進していると、右側の歩道にこの可愛らしい親子連れが姿を現した。
お、久しぶりだ。
信号待ちの車窓から、時間にすれば数分。
このたった数分だけ目にする光景なのだが、遭遇する度に、まだ娘が随分と幼かった頃の記憶なんぞが蘇り、どこか愛おしく懐かしい気持ちになるのである。
お母さんとしっかりと手をつないだ男の子がうどん屋の駐車場に近づいてきた。その時、いつものように男の子はお母さんと繋いだ手を振り払い、突如足早になる。
慌てるお母さん。
抱っこ紐の赤ちゃんもゆっさゆっさ。
このうどん屋の駐車場の出入り口には、大きな看板があり、その支柱を囲むように何本かポールが設置されている。どんくさい自動車が看板をなぎ倒さないためだろうか。
男の子はそのポール目掛けてやってくる。
テヤ!(と言わんとばかりに)
グデーン(ポールが傾く)
テヤ!(と言わんとばかりに)
グデーン(ポールが傾く)
ポールは手で押すと「ぐにゃーん」と程よい反発で倒れると見せかけて跳ね返る。男の子は保育園からの帰り道(推測)、必ずこのポール前にやってきては、1本ずつその強度を確かめるかの如く、手で押したり、もたれてみたりしながら、ちょっとずつ前に進むのである。
暑い暑い夏の日も。
随分と冷え込むようになった今日も。
見ず知らずの右折レーンに並んだ車の女性の記憶にコツコツと刻まれていく。彼の譲れないルーティン。
ポールの本数はざっと4本ほど。
距離にして2〜3メートル。
しかし、彼のこの絶対的ルーティンが止まない限り、親子の家路はちっと縮まらない。
何かの拍子で男の子が車道に飛び出したりしないよう、お母さんは傍らで注意深く見守りながら、親子は時速にして4メートルぐらいの超のろのろスピードで看板を通過していく。
花から花へ、まるでミツバチのように、ポールからポールへ。
夕ご飯の支度もあるだろうし、赤ちゃんも連れているなら尚の事、お母さんは早く帰宅したいはず。けれども、男の子を手を無理やり引くこともせず、抱っこ紐の赤ちゃんと共に、お兄ちゃんの謎のルーティーンを見守る。
言っても聞かないのかな。
機嫌を損ねて暴れるぐらいなら好きなようにさせているのかな。
車窓からポールとじゃれあう男の子を眺めながら、お母さんの気持ちを推察したりする。
この場所から交差点までは目と鼻の距離であるが、右折レーンに並んでいる私より先に交差点までやってきたことは一度もない。
お母さんと抱っこ紐の赤ちゃんは、いつもお兄ちゃんの寄り道に付き合ってくれるのだ。
10メートルも満たない距離。
大人ならあっという間に過ぎ去る道を、子どもは嘘みたいに時間をかけて歩む。止まったかと思ったら、急に走り出し、突然急停止したりもする。
何でもない帰り道にワクワクを見つける名人は、何かにロックオンすると、名前を呼んでも、ちょっとやそっとじゃ振り向かない。瞬間湯沸かし器のような集中力はどこから生まれるのやら。
まさに、子どもの好奇心 VS 早く帰りたい母 の三番勝負。
娘が幼かった頃、どちらかというと大人都合で切り上げてしまう事が多かっただけに、こうして辛抱強くただただ見守るお母さんを見ていると、凄いなあと感心してしまうのだ。
好奇心の塊のような乳幼児期。
とことん付き合えば、とんでもない才能を開花させるのかもしれない。
ポールとじゃれあう君は、将来どんな大人になるんだろうね。
たまに遭遇する左折の楽しみなのでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。🛣