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もの派と全共闘 - 心性としてのゲンジツ -

「政治の季節」について考えてみたい。そう思ったのは、ある雑誌で「もの派」の旗手として知られる現代美術家の李禹煥のインタビューを目にしてからだ。李禹煥は、もの派が国内の現代美術で一つの潮流として認知された頃と同時期に起きた、学生運動の動乱に触れながら「ものに語らせることは言葉の外にはみ出ること、そういう狙いもあったんです」と語った。この発言を受け僕が想起したことは、今年公開された映画『三島由紀夫vs東大全共闘』であった。この映画は、1969年5月13日、東京大学駒場キャンパスで行われた三島由紀夫と全共闘の学生たちとの討論会の記録フィルムを元にしたドキュメンタリーである。全共闘ともの派は、共に1960年代末、高度成長期の只中、若者たちがドラスティックに社会変革を求めた「政治の季節」の末期に発露した運動である。こうした同時代性を鑑みるになるほど、李禹煥は討論後に三島が「砂漠のような観念語の羅列」と形容したような、全共闘のマルクス主義用語に嫌気がさした作家なのだろう。しかしながら、この安易な理解は一面では的を得ていつつも,実のところ双方は無自覚的にある心性を通底させていたのではないだろうか。具体的には、討論内で芥正彦(全共闘C)が喝破した「遊戯」および「解放区」という概念と、李禹煥の著作である『出会いを求めて』で記述された「出会い」という概念との相同性だ。双方はその中心に「モノ」の存在を据えている。言い換えれば彼らは李が言うところの「物自体」と出会っている。僕はここに「政治の季節」に対する新たな視座が内在していると考える。

社会学者の大澤真幸は『虚構の時代の果て』に於いて、見田宗介から連なる社会学の伝統的な図式を引き継ぎ、「理想の時代」(戦後~1970)と「虚構の時代」(1975~)に再図式化した。この枠組みを援用すれば、全共闘ともの派が勃興した政治の季節は、理想の時代から虚構の時代への過渡期に位置付けられる。そして大澤が指摘するように、理想の時代の末期は、理想の時代を否定する運動や感覚によって特徴付けられるのであり、全共闘にとってその表れは戦後民主主義批判や反体制運動であり、李禹煥にとっては高度に観念芸術化したモダニズム批判であった。

『出会いを求めて』に於いて、李は近代を「眼が認識の道具になり、表象作用によって操作された対象の輪郭に拘われるようになっている作品的世界」と定義する。それは人間の対象主義的な思考によって一方的に価値措定、物象化された世界のことであり、「そうでないものをそうであるかのように」という明文によって言い表せる。そこからすると政治の季節に於けるヒッピーやゲバルト現象は物象化世界からの反動だというのが李の見解である。無論、もの派とは「モダニズム≒作品的世界」を批判する立場であり、李はその批判的方法論を関根伸夫の作品から発見し、「あるがままをアルガママ」にすることだと定義した。

1968年、関根伸夫によって制作された「位相-大地」をもの派の起源だとする見方は、識者に広く共有された理解である。「位相-大地」とは、直径2.5m、深さ3mの穴を掘り、その土を用いて同型の円筒を近くに積み上げな、凹凸の物体から成る作品である。李はそれを「彼の仕草は、大地を大地にしたに過ぎない」と評す。そこに在るのは、対象主義による表象凝結物ではく、その「仕草≒無目的な行為の反復性」(掘る、積む)によって、「あるがままをアルガママ」にした世界の様相そのものである。「アルガママ」とは人間が一方的に価値措定してきた、本来は他者性や外部性に満ちた「物自体」である。それは意味付け不可能なそれ自体だ。関根は「位相-大地」を通して物自体と出会ったのである。李はそれを「即」の境地と呼ぶ。「即」とは、相互媒介的な接続詞という意味であり、仕草と呼ばれる無目的な行為に於いて、「あるがままをアルガママ」にする時、主体と客体という二分法は無化され「即」の境地へと至る。つまり「出会い」とは、物自体と「即」の境地で関わることである。

李禹煥が「位相-大地」と出会ってから一年と数ヶ月後の翌1969年5月,先述の東大駒場キャンパスでの三島由紀夫と全共闘の討論会は行われた。三島は討論後、「最も具体的であり、興味があったのは解放区に関する論争であった」と述べている。ここで言う「解放区」とは、全共闘がバリケードを築き占拠した大学である。そして、その解放区に関して三島と論を交わしたのが芥正彦(全共闘C)であり、そこで発言された概念こそ「遊戯」である。芥によれば解放区とは遊戯であり,遊戯とは、あらゆる主観と所有を放棄した地点で、構造的に立体化することなのだという。ここでいう「主観と所有」を、李禹煥が批判する「対象主義思考」だと理解すれば良い。芥の語り口に依拠すれば、「遊戯が解放区に先立つ」というような印象を受けるが、解放区という空間の成立によって「遊戯」という概念は発露したのだと僕は考える。本来、学校として機能していた空間が占拠され、解放区という別の空間へと変化する。その時、全共闘の眼には、学校によって意味付けられていた机などは、機能主義的な意味から切断され「物自体」に見えたはずだ。その表れがバリケードや武器としてのモノの使用である。つまり全共闘は解放区という仮説的な特殊空間によって遊戯という認識を獲得し、物自体と出会ったと言えよう。

60年代末に物自体と出会ったもの派と全共闘。双方は期せずして、共通の欠点を持っていた。それは「持続」という問題である。「もの派」にとっての持続とは美術史に於ける文脈的連続性である。美術評論家の椹木野衣は『反アート入門』の中で、もの派が「作らない芸術」を成立したがゆえに、後続する美術家、そしてもの派の作家ですらも絶望するほどの難問を抱えたと指摘する。他方,これは李も別のインタビューで述べていることだが、事実日本の現代美術は日本画などに回帰、保守化してゆく。そして全共闘にとっての持続とは解放区に於ける時間の問題であった。芥は、解放区に於いて時間すらもイマージュだとするが、三島はこれを「左翼的進歩主義的思考の欠陥」と非難したのだ。先も援用した大澤真幸は、60年安保と全共闘運動を比較し、前者は政治的な具体性を有したが、後者は「政治的具体性を欠落させ美学的な装いを帯びることとなる。」と指摘。芥の発言は実に美学的である。

全共闘はその後内ゲバ化し、その極致として連合赤軍の惨劇へと至る。それは理想の徹底が虚構へと反転するという様相を示した。それを受け大澤は現実の構成について、廣松渉の「二股性」という理論を引用し再考する。「直接に与えられた現実(a)」は「なにものか(A)」として現前しており、現実とは「aをAとして」現実たりえている。そしてこの「A」とは一種の虚構と見なされるべきだと続けた。だとするならば、「A」(虚構)とは李禹煥が批判した「対象主義」の産物であり、もの派と全共闘が出会った「物自体」とは「a」であると理解される。ここで彼らが対峙した「持続」という困難が意味を帯びる。彼らが「A(虚構)」を否定し、「a(物自体)」に出会った時点で、それは現実たりえないわけである。それは原理的に持続不可能であり、68年から69年は「モノの時代」だと言い得るような、一つの断絶として理解されねばならない。もの派と全共闘が共有した心性とは理想や虚構に相当する、「ここではないどこか」などではなく、"ここ"それ自体に鍵括弧を与えることであり、それは拡張現実的な想像力とも異なる。即ち、意味付けようのない現実それ自体、「ゲンジツ」にすることなのである。


※ 「モノの時代」、或いは「ゲンジツ」という原理主義的なモードに関しては、いずれ具体的に書き進めたいと、思う。






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