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【短編小説】妄想めくるめく

ああ、また遅刻だ。
手首のG-SHOCKは8時45分を示している。
今日で10回目の遅刻となり、反省文の提出をしなくてはならない。
僕はどうも朝には弱いのだ。
そもそも朝早くから学校に来るのに特別な意義なんてあるもんか。
学生にもフレックス制度を導入するなり、zoomでも授業を受けられるようにするべきだ。
どうしようもない主張を脳内で掲げながら、僕は目立たないように教室のドアをそっと開けた。

「おい、また遅刻したのか。」
担任の西村先生が呆れた顔をしながら、僕の方へ詰め寄ってくる。
最初の方こそ、言い訳をして反抗していたが、もう10回目ともなると怒られる方が早いことを知っていた。
しかし、西村先生は説教を始めたら長いのだ。10分は続くだろう。
僕はうんざりしながら、クラスを見渡した。
怒られている僕を見てにやついている奴、時間を奪われて立腹している奴。
いろいろな思いが僕を交点にして交錯している。
この目線が僕を妄想の世界へ誘うのだ。

もしも今、この教室に凶悪犯が突如襲ってきたらどうなるだろうか。
斜め前のあいつは慌てふためくだろうな。
端の席のあいつに関しては失禁してしまうかもしれない。
でも、僕は違う。
まず、隣にある教壇に隠れ、凶悪犯が油断した隙を見て喉元にコンパスをぶち刺すのである。
犯人は多少は反抗するだろう。
しかし、そこで柔道の時間に習った寝技で相手の自由を奪うのだ。
僕が大声で外に待機している機動隊へ確保を促し、犯人は無事逮捕に至る訳だ。
瞬く間に僕は学校中の噂の中心となり、話したこともない女子から告白されたり朝礼で校長から善行を褒められるのだ。
その上、僕の活躍は動画として残っており、ネットニュースになるなどの反響を得る。挙げ句の果てには1000年の歴史を誇る道場から懇願され、しぶしぶ師範に就任するのだ。
いや、いきなり師範は現実味がないか、師範代に就任するのである。

「おい、話を聞いているのか。」
西村先生の怒声で、僕は終わりのない妄想から無理矢理引き戻された。
くそ、もう少しで最年少の国民栄誉賞を受賞するところだったのに。
僕は怒られているとき、ついつい妄想の世界に入り込んでしまうのだ。

そのとき、パァンという音が弾けた。
西村先生の額の真ん中に小さい穴ができていた。
穴から赤黒い血がコポコポと溢れ出す。
眼球が回転し上を向き、西村先生はゆっくりと僕の方へ倒れ込んだ。
ひっと小さい悲鳴を上げながら、僕は後退りした。
倒れた西村先生の後ろには武装した男が立っていた。

「今からこのクラスにいる人間を人質にとる。お前ら、覚悟しておけ。」
その冷え切った声色からは交渉に応じる姿勢など一切感じられなかった。
僕は足がわなわなと震えて、立っていることができなくなった。
終いには、床に倒れ込んだ。その物音で凶悪犯と目が合った。
ゆっくりとこちらへ向かってくるようだ。
殺されたらどうしよう。
この不安や恐怖が僕を新たな妄想へ導くのだった。

今日の夜はなにをしよう。まず19時からは家族で夕食を食べるだろう。
父さんが久しぶりに単身赴任から帰ってくるから、多分父さんが好きなすき焼きを食べる。
夕食を食べ終わったあとは、風呂に入るんだ。
風呂では最近ハマっているキリンジの「エイリアンズ」を聴く。
前に雑誌で平成を代表する曲だって書いてあったから、これについて語ってクラスメイトとセンスの差を見せつけてやるのさ。
21時からは金曜ロードショーがあるじゃないか。
今日は多分、「千と千尋の神隠し」を放送する日だ。
最近は放送されていなかったから、久しぶりに鑑賞できる。
何回観てもエンディングで泣いてしまうんだ。
観終わったら、ベッドに入って本を読もう。
最近、先輩からもらった「嫌われる勇気」という本を読む。
あれ、なんで先輩はこの本をくれたんだ。
もしかして僕って嫌われてる?
まあ、今は考えなくていいや。
そして、ゆっくりと眠るのだ。8時間くらい色んな夢を見るんだ。
そして、次の朝、母さんに起こされて半目の寝ぼけ眼で朝食を食べるだろう。

銃口を額に当てられた。冷えた銃身が僕の体温を奪っていく。
また、妄想から引きづり出された。お願いだから、もう少し楽しい夢を見させてくれ。
引き金が弾かれた音がした。僕は痛みを感じなかった。
うっすらと眼を開くと、犯人が横たわっている。
その後、すぐに機動隊が突入し僕たちを保護した。どうやら助かったようだ。
でも、英雄になるはずだった僕は腰を抜かして失禁していた。

1ヶ月後、僕は久しぶりに学校へ行った。
あんな醜態を晒してしまったから、あまり学校には行きたくなかった。
僕は憂鬱な気持ちを抑えながら、教室のドアを開けた。
教室に入ってすぐに目が合ったクラスメイトは僕に近づいて、にやつきながらこう言った。
「お前、腰抜かして漏らしてたよな。」
僕は自ら妄想の世界へ駆け込んだ。

(終)

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