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最愛のメタル・ブラザー、Metalium ラーズ・ラッツに捧げる

 一昨日、私の最愛のメタル・ブラザー、ラーズ・ラッツが亡くなりました。飛行機運転中の事故だったようです。

 最初、ニュースを聞いた時は「え?え?何???」って意味がわかりませんでした。でも、暫くして、涙が溢れてきて、泣きながら Facebook に次の投稿をしました。

R.I.P. my metal bro. Yes, my best metal bro, who found me--a Japanese girl alone looking for a metal band to join in...

Posted by Saeko Kitamae on Sunday, April 18, 2021

 一日以上経って、やっと気持ちの整理が着いてきたので・・・私と私のプロジェクト SAEKO に深い意味を持つ彼を偲ぶ気持ちを綴りたいと思います。

始まり

 プロジェクト SAEKO によって、世界最大と言われるヘヴィメタル野外フェス、ヴァッケン・オープン・エアーにアジア人女性として初めて出演したり、メタル・クィーン DORO と欧州ツアーしましたが、その全ては、2002年、ラーズ・ラッツとの出会いから始まりました。
 場所はドイツ北部の都市、ハンブルク。暗い寒い冬空の下、私は一人で「ヘヴィメタル・バンドへ加入希望」と書いたビラを配ってました。(▼)

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 頼る人も皆無、ドイツ語知識もほぼ「0」。守ってくれる人などいない状況で日本人女性が連絡先を書いたビラを配り続けるのは、ある意味命懸けでクレイジーな行為でした。けれど、どうしても大好きなメタル音楽をやりたいって気持ち、その情熱が私を駆り立てたのです。
 私は、ハンブルクの路上で、ビラを配り続け……そのうちの一枚が、当時、人気を誇っていたジャーマン・メタル・バンド、メタリウム(▼ 当時のライブ動画)のリーダー&ベーシスト、ラーズ・ラッツの元へ届いたのです。

 欧米人の彼らには、日本人の私はまだ10代に見えたかもしれません。言葉もろくに喋れない私を、殆どの人は真剣に受け止めてはくれませんでした。でも、ラーズは違いました。
 音楽の為だけに一人で海を越えてきた、その事実に一種のリスペクトを払ってくれてるような印象さえ受けました。

 「どうやら、お前は俺と同じくらいクレイジーみたいだな」

 彼はそう言って、メタリウムのヴァッケン・オープン・エアーのメイン・ステージのライブDVDを差し出しました(上の動画もヴァッケンのメイン・ステージ)。
 「これを見て、俺たちのしてることが気に入ったら、スタジオに来い」
 そう言って、私をオーディションに呼んだのです。

 後日、勿論、私はスタジオに行きました。
 そして、彼所有のスタジオで二人きり。
 一対一の真剣オーディションでした。

 そのオーディション後、私の歌唱や歌メロ、作詞センスを気に入ったラーズは、私に向かってこう言いました。

 「信じる音楽の為に日本から一人でここまで来た。そして、あのDVDを見た後も一人でオーディションに来た。そんなお前の情熱と度胸が好きだ。一緒に夢を叶えるか。
 ただ、覚えておけ。今後、お前が成功したら、きっと周囲の人間が、お前にああしろ、こうしろって言い始める。
 そんな時、彼らには耳を傾けるな。お前はお前の信じるまま、お前がやりたい音楽をやれ。もし俺の意見がお前の意見と食い違ったら、その時は俺の言葉にさえ耳を傾けるな。お前は自分を信じて、自分のビジョンを追え。
 俺が好きなのはそういうアーティストだから。」

 当時は、契約の知識もなかったし、彼のこともよく知らなかった。だから勿論、不安もあった。
 けれど、私はこの言葉で彼を信じ、契約書にサインした。

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ラーズとの音楽活動

 そして、本当に、彼は私に最大限のクリエイティビティの自由を与えてくれた。今まで経験したことのない程、なんでも自由にさせてくれた。私のマネージャーとして、そしてプロデューサーとして、私のビジョンを形にするために、いつも力を貸してくれた。住む家のない私に、スタジオの部屋まで貸してくれた。

 ミュージシャンとして彼が SAEKO のメンバーになった事はなかったけど、でも、SAEKO 運営において、彼はいつだって最重要メンバーだった。彼なしでは SAEKO は存在しなかった。

 そして、アルバムを世界リリース。一緒に日本にプロモ来日(▼ 当時の日本盤レーベル、キングレコード前で)。その後、メタル・クィーン DORO との欧州ツアー、W:O:A 出演(▼ 合同記者会見、私の右隣に座っているのがラーズ)……。色々やった。

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挫折

 しかし、成功に伴い、関わるスタッフも増えてきて、やがて二人の思うように進められなくなって……2006年に SAEKO は活動停止。私は日本へ帰国、ラーズはスペインのマヨルカ島に移住した。

 誰が悪い訳でも無いけれど、人生、全てうまく行くわけじゃない。
 その後も時々、彼と連絡を取る事はあったけど、でも、
 「ラーズと一緒に音楽することももう無いのかな。SAEKO を復活させるなんてきっと無理。」
 そんな風に思っていた。

復活

 けれど、時は来た。
 私は14年振りに、私の愛するメタル音楽を作り上げる最高のメンバーを集めてアルバムのレコーディングを終了した!周囲の状況も整った!SAEKO を復活できる!
 今回もラーズはメンバーでは無かったけど、でも、やっぱり彼には関わって欲しくて…。それで、3週間程前、アルバム・ミックス中に、彼に男性コーラスでの参加をお願いしたのです。

 参加する2曲を彼はとても気に入ってくれました。
 「俺のシスターがSAEKO再始動?嬉しいな。
 曲の構成も演奏技術も凄くいいね。気に入った!」
 そう言って、喜んでコーラスを録音してくれました。

 そして原盤が完成、下記に書いた様に様々な媒体がニュースを取り上げてくれました。

 私も再び、レコード契約を探して、日本、ドイツ、イタリア、スペイン等の音楽関係者に連絡を取り始め……「次の作品ではもっとラーズに歌ってもらおうかな〜」なんて考えていました。
 再び彼と音楽するのに、何かこう、特別な意味を感じたから……。

 そんな時に、訃報が入ってきたのです。飛行機事故で、彼はこの世界を旅立ちました。

メタル・ブラザー Lars へ
メタル・シスター Saeko より
2021年4月20日

 ブラザー、なんで?
 あなたは、SAEKO の復活を見届けなアカンかったのに。今回もね、私も新しいメンバーも、皆、妥協せずに心から作りたい音楽を作ったよ。私達がハンブルクでやったみたいに…。

 2006年、2nd アルバム「LIFE」の原盤制作が終わった時、あなたは言った。
 「Saeko、世界中で誰も気に入らなかったとしても…って、まぁ、それは有り得ないけど、でも、仮に誰も気に入らなかったとしても、俺はこのアルバムを作ったことを誇りに思う。こんなに嘘のないアルバムは無いよ。一音一音、単語の一つ一つ、その全てがお前の心から純粋に溢れ出てる。」

 2021年、新作の原盤制作が終わった時、私は全く同じように感じたよ。で、あの時のあなたの気持ちがよくわかった。あのアルバムを形にする為に、あなたがどれだけ頑張ってくれたか。だからこそ出た言葉やったんやなって。
 だから、この2021年発売のアルバムも、あなたに渡したかった。今、レコード契約先を探してて……ほんまにもう少しで、もう少しで渡せたのに!
 素晴らしいミュージシャンを集めて、皆に心から演奏してもらったから、きっとあなたは気に入ったはず。

 今、原盤に録音されてるあなたのコーラスを聴いてると悲しくなる。でも、同時に、あなたがこの世界から旅立つ前に、しっかりその声を録音しておいてよかったなって、そう思う。

 コロナが収束したら、この曲を野外フェスで演奏したいな。で、あなたのコーラスを同時に流すね。そしたら、天国から聴けるでしょ?そしたら、天国から SAEKO の復活が観れるでしょ?

 あなたと活動してた時みたいに、今後も、SAEKO の音楽に嘘はない。マーケット戦略も、他人のスタイルのコピーもない。SAEKO は常に、そんな計算を抜きに、心から純粋に表現された音楽をやってきた。それは、あなたがこの世を去っても変わらない。
 だって、私が好きなのもそう言うアーティストだから。

WE  WILL  NEVER  SURRENDER!

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