「っぽい」は、こそばゆいけれど
みなさん、この絵文字って、普段使われますか?
「❗️」「‼️」
敏感な方はすでに察しているかもしれないですが、この「赤いビックリマークの絵文字」、いわゆる「おじさん」っぽい絵文字だ、と思われているようなんです。
少し前にこんなネットニュースを目にしました。
ざっくり言うと、「『おじさん』が送ってくるLINEって、大抵こういう特徴あるよね〜!」というのがいくつかあって、そのうちの一つとして、この「赤いビックリマーク」が入っているのです。
こうした記事や風潮そのものは、きっとおじさんを悪い風に捉えていて、なんなら「キモ〜い」と言う感情に乗せて書かれているんだと思います。
私はこれを見て、正直「うん、わかる」と思いました。
ちょっと待って。まだ閉じないで。おじさんを否定したいのではないです。キモいと非難したいわけでもない。もちろん、LINEの内容そのものがセクハラじみたものだったり距離感を間違えたものだったら、文句なしにキモいです。ただ「赤いビックリマークの絵文字を使った」だけでキモいというのは、ちょっと違うとは思う。
ただ!ただね。正直言うと、「たしかに、ちょっとわかってしまうなぁ・・・」というところがあったのです。本当に、おじさんはこの絵文字、よく使うのです。ただの私の経験に基づいたものです。ですが、使われた記憶が、めちゃくちゃあるのです。「たしかに、おじさんって、この絵文字よく使ってる気がする・・・!」と。
これは、何なんだろうな、と思いました。ただの、赤いビックリマークの絵文字です。その絵文字そのものに、いやらしさや気持ち悪さなんて、ないはず、、、だよなぁ、と。それとも、私たちは「赤いビックリマーク」をちょっと気持ち悪く感じるようにできているのかしら。そういうデザインなのかしら!?
話は変わって。
みなさん、『GALS!』という漫画はご存知でしょうか。
きっとアラサー世代で「りぼん」を読んでいたことのある人は、知っていると思います。藤井みほな先生という漫画家が描いた、伝説のギャル漫画です。
この絵、見覚えないですか?
私はこの漫画が大好きで、当時小学校高学年だったのですが、ギャルに憧れてめちゃくちゃ読んでいました。寿蘭、サイコー!!と。
2002年に連載終了した『GALS!』ですが、今年に入って藤井みほな先生、通称「みほなっち」がTwitterを開設し、さらには連載を再開し始めました。
その「みほなっち」のTwitterが、こちら。
・・・・めっちゃ「赤いビックリマーク」使っとるやんけ。
そうなんです。
みほなっちのTwitter、赤いビックリマークのオンパレード。おじさんもびっくりの多用っぷりです。
ただ。ただですね。私、これをみて「おじさんぽいなー」とは1ミリも思わなかったのです。むしろ、めちゃくちゃ『GALS!』の世界観にぴったりだと思いました。
主人公の寿蘭ちゃんはテンションが高くてやかましいキャラクターなので、「!」←こんな普通のビックリマークじゃ、そのやかましさは表現できません。疾走感、(いい意味での)暑苦しさ、うるささ、やかましさ、元気、若さ、、、、、『GALS!』の世界観のあらゆるものを表現するのに、この赤いビックリマークは必要だと思いました。だから、全然、違和感を感じなかったのです。
藤井みほな先生がこのTwitterを始めて、よくタイムラインで見るようになってから、私の中でこの「赤いビックリマーク」は、「おじさんが使うキモい絵文字」ではなく、「みほなっちのビックリマーク」になりました。
私の中での「赤いビックリマーク」の経験が、塗り替えられたのです。持ち主が変わった、とでも言いましょうか。
すごく当たり前なことなのですが、結局は「誰が言うか」「誰が書くか」が大きいんだと思います。
誰が書いたのか、全く見当もつかない文章、っていうのは世の中にあると思います。でも、見当がつくものもかなり多いです。本は、著者を知っている。ブログも、書き手を知っている。たとえ固有の存在として認識できなくても、なんとなくの雰囲気なら掴めます。新聞記者のイメージもなんとなくわかるし、キャスターの顔や雰囲気もわかる。多分それなりに、書き手の雰囲気をイメージしながら文章、ひいては表現に触れることが多いと思うのです。
そう思うと、書き手そのものの存在が大事だなということに気づきます。とっても当たり前なんですけど。
自分ってどんな雰囲気の人間なんだっけな。「自分っぽいもの」って何なんだっけな。そんなことを思ったり迷ったり、操作してみたり、操作したくてもできなかったり。そんな感じで毎日書いていて。
「〜〜っぽい」と言われると、何だかこそばゆいけれど、その存在がとても気になる。そして、大切にしたくなる。これだけたくさんある自由自在な表現の中で「ぽい」と思ってもらえるなんて、なんだか嬉しい。
その「私っぽい」を、できるだけ多くの人に「経験」してもらえたら。その人の身体・こころの中を、1度でも2度でも、通っていけたら。それはとても嬉しいことだなぁと思って、心があたたかくなるのです。
Sae