疲れたときに思い出すひと
考えなきゃいけないことも考えたいことも、やりたいこともやらなきゃいけないこともたくさんある。
ここ数日は、本当に休職療養中なのか?と思うほどに、頭も心も身体も休めていない。
気持ちばかりが前のめりになって、知らないうちにいっぱいいっぱいになってしまうのは昔からの悪い癖。でもそのおかげでやり遂げられたこともたくさんあるから、そんな自分も否定はしてない。
本当に疲弊すると、ベッドに落ちて、何もしたくないし何もできなくなる。頭の中では、あぁ、だれかわたしの代わりにお風呂に入ってくれ、あぁ、だれかわたしの代わりにトイレに行ってきてくれ、と思う。できるはずもないのに、あーもう、わたしの代わりに、、と、心の中で呟いたり、横でわたしを見つめる愛犬に、語りかけたりする。返答は、期待してない。
どうしようもなく何もしたくないとき、思い出すのはいつも、「わたしを赦してくれたひと」たちだ。これまでの人生の中で。
中高時代のわたしは本当に不真面目で、というかやる気がなく、とてつもない遅刻魔だった。朝にとにかく弱くて、朝礼に間に合わないことや1時間目2時間目の授業を受けられないことに何の悪気も感じていなかった。大袈裟でなく、年間120日くらい遅刻していた。大学受験の直前になってやっと焦り、単位大丈夫だっけ?てゆか、内申書に遅刻日数書かれたらどうしよう!と教師たちに相談にいった。
毎日のように遅刻するわたしに、担任は一度も怒らなかった。何一つ、口を出さなかった。たった一度も。授業中に教室に入っても、何も言ってこなかった。たまに廊下とかですれ違うときには、「学校、来てくれてありがとう」と言った。
そのときは、何も感じなかった。でも、今思い出すと、涙が出るほど感謝する。赦してくれてありがとう、と、おもう。こんなわたしでも、毎日遅刻することに罪悪感や「怒られるのかな」と思わないわけではなかった。いつもささやかに、自分を、叱っていた。
「学校に来てくれるだけで十分らしいよ、あの担任」と、親にも言っていた。言わせてくれて、ありがとう、と思う。
そんな、あたたかいひとが、外の世界にたくさんいた。だからわたしは、いま、幸せにいるような気がする。
そんな、赦してくれた人たちを思い出しながら、何も考えずに、ベッドに、お風呂に、自分を委ねて眠る日も、必要だと思う。
というわけで、寝る。ちゃんと休む。
今日のトップ画像は、疲れてる時の、わたしの顔。うそ。今日、日本橋で出会った、春仕様のライオン。
Sae