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#007 - おまつりおまもり / ポジティブ発言で心が上向く

#007 - おまつりおまもり / ポジティブ発言で心が上向く」より


年末ですね〜!
今年も一年ありがとうございました!

書いてるとついついどんどんディープに書きたくなっちゃって、いつまで経っても本編に追い付きそうにないので、来年からはピックアップにするかな〜、なんてことも考えています
特に追いつかなきゃ、みたいなプレッシャーを感じてる訳でも無いんですが、このまま差が開きすぎてしまうと、しゃべった内容を完全に忘れちゃうなー、という懸念が・・・笑
まあ、でも集中して聞こうとするとついついまた書きたくなってきちゃうんでね・・・
適当に楽しみながら書いていきたいと思います

お題#0012【新しい神社のお守りを考える】(1:17~)

さだむ「多分縁起を守って・・・縁起?縁起を担いでる感じ?まあ、持ってたら多分何か良いことあるぞ、てことよね」
うさみ「プラシーボ効果」
さだむ「プラシーボ、まあまあそう」
三人「笑」(1'55''~)

プラシーボ効果、だいぶ市民権を得てきたような言葉ですね

偽薬効果(ぎやくこうか)、プラシーボ効果(placebo effect)、プラセボ効果とは、偽薬を処方しても、薬だと信じ込む事によって何らかの改善がみられることを言う(例:ただのキャンディを酔い止めと思い込ませて舐めさせると酔いがおさまる)。この改善は自覚症状に留まらず、客観的に測定可能な状態の改善として現われることもある。原病やその症状自体の改善というよりは、「薬を飲んでいる」事による精神的な安心感の方が目的となる事もあり、このような単なる安楽は通常偽薬効果には含まれないが、その区別が難しいこともある。

1955年にヘンリー・ビーチャー英語版)が研究報告をして[2][3]、広く知られるようになった。近年、喘息患者を対象にした研究で、偽薬や偽の治療などをしても何ら病状(最大呼気流速)は改善されないが、主観的な呼吸苦は西洋医学的な吸入薬(アルブテロール)と同等の改善が見られた[4](無論、それは良くなった「気がする」だけであって病気自体は何ら改善してはいない)。これにより、偽薬だけでなく「無介入群」を設定することの必要性も提唱されている[5]

偽薬効果が存在する可能性は広く知られている。特に痛みや下痢不眠などの症状に対しては、偽薬にもかなりの効果があるとも言われており、治療法のない患者や、副作用などの問題のある患者に対して安息をもたらすために、本人や家族の同意を前提として、時に処方されることがある。医師法にも、暗示的効果を期待し、処方箋を発行することがその暗示的効果の妨げになる場合に、処方箋を交付する義務がない事が規定されている。

多くの場合、重要で意味のある偽薬効果を得るために欺瞞や隠蔽は必要ない。偽薬であることがわかっていても、偽薬は機能する[6]

疑問視する意見
一方で、偽薬に一定の効果があるかどうかについては、疑問視する意見も常にある。2001年New England Journal of Medicineに掲載されたHrobjartssonらの論文は、治療手段としての偽薬の効果が限られていると主張し、反響を呼んだ。この論文で著者らは、過去に行われた偽薬と無治療との比較試験100編以上の論文をレビューして、痛みの症状は偽薬によって若干改善されるが、それ以外では、偽薬が自覚症状や他覚症状を改善する証拠はなかったと述べている。

「偽薬効果は客観的にも有意な改善が見られ、積極的に用いて良い治療法である」「客観的な改善はなくても自覚的・精神的な安息が得られるから認められるべきである」という肯定的な意見がある一方で、「偽薬には一切症状を改善する効果はない」「いずれにせよ、いかなる場合も倫理的に認められない治療法である」など、様々な意見が対立している。2006年現在、少なくとも標準的な治療法とはなり得ていない状況といえる。

デンマークで行われたある調査では臨床医のうち、30%が偽薬効果による客観的な症状の改善を信じており、86%が最低1度偽薬を使った事があり、46%が倫理的に偽薬の使用を認めると考えていた[7]

Wikipedia「偽薬」より

今回、読んでて、ヘェ〜!となったのは、

多くの場合、重要で意味のある偽薬効果を得るために欺瞞や隠蔽は必要ない。偽薬であることがわかっていても、偽薬は機能する[6]

Wikipedia「偽薬」より

の部分ですね
プラシーボ効果であることに自覚的であっても効果がある、というのは面白いですね〜!
まあ確かに催眠術も自己暗示も、催眠術や自己暗示だと分かっていても効く人には効く、みたいなことなんでしょうから、当たり前といえば当たり前なのか・・・

さだむ「確かあの、袋に入れる形式は、明治だったかそのくらいに、誰かが画期的な発明(をした)みたいな感じで聞いたことがあるんだけどね」(2:29~)

織物業として1855年に創業した京都の老舗、株式会社秋江によると、

社寺が多く建ち始めた平安時代、お参りにいけない遠方の方へ護符が配られ、それを筒や袋に入れる風習があったとされています。

二代目 秋江義三郎は、神仏を示す「光」は魔除けを意味することから金糸・銀糸を多用する金襴織物を素材とするお守りがふさわしいと「錦守」を考案。
また現在「お守袋」として広く親しまれている基本の形状を生み出し、「お守袋づくりのパイオニア」として認知されるようになりました。

株式会社秋江「秋江の歴史」より

今やどこの神社に行っても、必ずと言って良いほど存在する定形フォーマットですもんね〜!

うさみ「最初は勾玉みたいですね」(3:19~)

勾玉は確かに、お守り感あるなぁ

勾玉(まがたま、曲玉とも表記)は、先史古代日本における装身具の一つである。祭祀にも用いられたと言われるが、詳細は分からない。語源は「曲っている」から来ているという説が有力である。 語の初出は『記紀』で、『古事記』には「曲玉」、『日本書紀』には「勾玉」の表記が見られる。また『魏志倭人伝』には「句珠(くしゅ)」の表記がある。

Wikipedia「勾玉」より

ただ、Wikipediaを見る限りでは、装飾具である以上の用途は不明みたいですね〜!
まあ今の宝石類も、なんのためにあるのかと言われても困りますもんね
装飾具の一部に使うこともあれば、単に大きな宝石というだけで希少価値がある、みたいなことと近いような気もします
宝石がお守りに使われることもありますし、今と何の違いも無いのかもしれませんね〜!

うさみ「平安後期には、如来像が彫られた木製の円柱が納められて」(3:52~)

これですね
凄いなぁ〜!

さだむ「最近よくインスタとかでちょっと回ってきたりして好きなんだけど、箱がポコッと開いて猫の手がその箱を閉じるスイッチみたいなのを押してパコンと閉まるみたいな」(4:19~)

こんな感じのボックス、作り方も簡単なので自作したものがいっぱいありました

貯金箱バージョンとかもありました

おまもりがこんな感じで反応返してくれる、と考えると、確かにかわいいですね〜!

なっち「だから実際IoT的な意味で繋いじゃうっていうのは」(6:27~)

IoT、最近はごくごく当たり前になってきましたよね

モノのインターネット(物のインターネット[1][2]: Internet of Things、IoT)とは、様々な「モノ(物)」がインターネットに接続され(単に繋がるだけではなく、モノがインターネットのように繋がる[3])、情報交換することにより相互に制御する仕組みである[4][5]。それによるデジタル社会(クロステック)の実現を指す[6][7][8]。現在の市場価値は800億ドルと予測されている[9]経済産業省が推進するコネクテッドインダストリーズやソサエティー5.0との関連でも注目を集めている[10]

「モノのインターネット」が世界を繋ぐイメージ

モノのインターネットの主要なテーマは、短距離のモバイルトランシーバーをさまざまなガジェットや日常のアイテムに埋め込むことで、人とモノの間、およびモノ同士の間の新しい形の通信を可能にすることである[11]

Wikipedia「モノのインターネット」より

スマート家電というと、より一般的には親しみやすい言葉かもしれませんね
一番繋がって「進化」を感じたのは、やはりスマートスピーカーですね〜!喋りかけたときに音声で応えてくれる、というのがやはりポイント高いですよね
アレコレ繋いでおけば、エアコン付けたりテレビのチャンネル変えたりとかも、スマートスピーカーを通してできますもんね
個人的には、物理的にボタンを押しちゃう、というSwitchBotの発想は好きです

うさみ「アレは、あの、繋がりを表現するために、ラピュタであった飛行石が道を示してくれる光」
なっち「あー、ずっと神社の方を向いている何か」
さだむ「あー良いね!ピーッてね 超お守りやん!」(6:42~)

天空の城ラピュタからですね

おまじない
飛行石は、ラピュタ王家の血を引く者が口にする言葉に反応し、様々な事象を引き起こす。それらは代々一族間で秘密裏に口伝されてきた。シータが物探しや病気を治すおまじないも祖母から教わったと言った[29][12]

発動するには、石の継承者自身が首にかけるか、手で持つなど身に着けておく必要がある。

リテ・ラトバリタ・ウルス・ アリアロス・バル・ネトリール
意味:「我を助けよ、光よ蘇れ
ラピュタの封印を解く言葉。飛行石自体も活性化し、離れ離れになったラピュタ城を指し示す「聖なる光」を発して(劇中では光は東の空を指した[30][31])、地上に降りた王家の者を再び城へと導く。

この呪文一つでラピュタの機能全般が活性化するようで、ロボット兵も反応して活動を再開する。シータはこの呪文を「困った時のおまじない」として、祖母から教わっていた。シータが首にかけた強い光を放つ石を奪おうとしたムスカの手をはじいた[19]。シータがこの呪文を口にした時から、ロボット兵を破壊しようとした要塞の爆撃に巻き込まれ、紐が切れ石がシータから離れ、ムスカの手に渡った後も光は弱まったが消えなかった[32][33]。ムスカが上記の半球体中枢の部屋に入った後、シータが取り返し、その後パズーに海に捨ててもらう為に渡した。準備稿には意味は「我を助けよ、つわものよ来たれ」と記載されている[34]

Wikipedia「飛行石」より

ちょうど、非公式ファンサイトのTwitterにシーンが載ってました

こんなお守りあったらワクワクしますね〜!

しかし、なんか似たモノないかな〜と探していたら、ムスリム用のキブラコンパス(メッカの方角が分かるコンパス)はまさにそういう用途のものでした

キブラコンパスqibla compass)またはキブラポインターqibla pointer)はムスリムが携帯する生活用品で、方位磁針の一種。通常の方位磁針に、礼拝の対象であるキブラ、すなわちマッカ(メッカ)のカアバ(カーバ神殿)がある方位を知る機能を追加したものである。

Wikipedia「キブラコンパス」より

アナログのキブラコンパスは、自分の手で地域用のダイヤルを回すことで、コンパス(北)とのズレを手動補正するんですが、GPSと連動するスマホ用のアプリもいっぱい出てそうです

さだむ「おもちゃで煙の炎を吐く怪獣のおもちゃがあるじゃん」
なっち「赤色LEDと霧かな」(8:24~)

ラボでも、金スルギくんが、水を入れてトリガー引いたら霧と光が出て炎を吐いてるように見える怪獣の銃みたいなおもちゃを持ってるんですが、それをイメージして言いました

とかく忘れがちなのが、光はチリとか水蒸気とか何かしらが無いとアニメのようには光ってくれない、という事実です
ラボの廊下でレーザーの実験をしたときは、カーペットを叩いて埃を出すととっても綺麗に見えました

さだむ「お守りね けど、貼って貼られて貼り返す、みたいなね笑」
うさみ「ビックリマンシール!」(9:11~)

ロッテが生み出した巨大コンテンツ、ビックリマンですね〜!

ビックリマンは、1977年昭和52年)から日本で発売されている株式会社ロッテチョコレート菓子。「ビックリ」することをコンセプトとしたシールおまけとして封入した商品である。

当初のおまけシールのシリーズは誰かを驚かせることを狙ったデザインでそれなりの人気を博していたが、1985年(昭和60年)に出した第13弾を最後に終了した。換わって新たに始まったシリーズは、驚くような珍しいシールが入っていることを売りにしたもので、トレーディングカードの要素が生まれたことも相まって人気が沸騰した。特に「悪魔VS天使」シリーズは1980年代後半から1990年代初頭にかけて大ブームを巻き起こし、アニメなど様々な関連商品をも生み出した。『別冊宝島』には1985年のサブカルチャーおよび流行の一つとして紹介されている[1]

Wikipedia「ビックリマン」より

貼って貼られて貼り返されて、というのは、パッケージにも書かれていた、公式の遊び方で、悪魔、天使、お守りは三すくみになっています

ただ、そういう遊び方をしていた子供はほぼ居ないでしょうね
コレクション心をくすぐる「キラカード」の存在もあり、トレーディングカードのような感じで扱っている子が殆どでした
なんならお守りシールが透明なのにちゃんと理由があったことすら、今初めて知りました・・・笑

大ブームになった「悪魔VS天使」シリーズの発売が1985年で、僕(さだむ)は小学1年生?いや、幼稚園年長くらいかな?なので、小学生低学年時代は本当にこのビックリマンブーム真っ盛りな思い出です
僕は大好きだったけど、シールだけ取られてチョコは捨てられる、みたいな現象もよく見られました

今は無いけれど、山口県防府市の国分寺マルキュウ(防府が拠点のローカルスーパー)で、学校帰りに良く買っていました

うさみ「ビックリマンはクレーム来てないんですかね ものすごい入れ込んでるじゃないですか」
さだむ「けどあの辺ってもうすでに著作権は切れてるだろうからね」
うさみ「著作権って笑 いやいやいや、冒涜だ的なのはありそうじゃないですかね」
さだむ「女神転生っていうゲームとかは割とそういうのあったりしたみたいですね」(10:07~)

確かにいろいろ、神様っぽいのとか悪魔っぽいのとかごちゃ混ぜにしてますもんね〜!
神話とかは著作権的には大丈夫なんでしょうけど・・・笑
僕(さだむ)の大好きなゲーム、女神転生も1986年くらいの西谷史さんの小説「デジタルデビルストーリー」が元になっていて、こちらも悪魔VS天使に日本の神話がごちゃ混ぜになった世界観なので、ビックリマンにはかなり影響されたんでしょうねー!

女神転生』(めがみてんせい)は、西谷史による小説デジタル・デビル・ストーリー』シリーズの第一作から派生したコンピュータRPGシリーズ作品

Wikipedia「女神転生」より

こういうクレームが来るのは、日本のコンテンツがグローバルになったということなんでしょうね〜!
僕が小さい頃の昭和末期は、まだコンテンツはほぼ国内の市場のみをみていて、そういう問題は起きなかったのかなと思います

なっち「昔、ネットラジオというかポッドキャストのちょっと前ぐらいの時代に、どっかのラジオ局でやってたんだと思うんだけど、『8時だヨ!神仏習合』って番組があって」(10:34~)

概要欄でも書いてますが、今は『8時だヨ!神さま仏さま』になっています
クレームが来たんでしょうかね?笑
兵庫県尼崎市のコミュニティラジオ局FMaiaiで放送されていたようですね

YouTubeのチャンネルもあり、同時期にポッドキャストでも放送されていたようです

僧侶の松山大耕さんによるTEDxでのトークもとても面白いです

安心感というのは、本当に大切ですよね
対象が宗教であれ、科学であれ、人であれ、なんらかを信じようとすることは安心感を得るためだと思います
知らないものに遭遇したときに不安になるのは、自分の安心感、信じてきたものが脅かされる、という恐怖心から来るものだと思いますが、信じるものが違っても皆、自分と本質は変わらないんだ、という理解があれば、あなたの安心感は決して脅かされることはありません

先日、アブ・ダビに行ってきたのですが、せっかく砂漠を見に行くなら、と、民族衣装のカンドゥーラを買って着ました

すると、現地の人が皆、ニコニコしながら見てきて、「良いね!それ、好きだよ」と話しかけてきてくれました
パキスタンから来たというタクシーの運ちゃんとも仲良くなり、色々と幸せについての話を聞かせてくれました

まあイメージ的には完全に、外国人が京都で袴を着て歩いてるのと同じ感じなんだと思いますが、知らないものに立ち向かうときに、自分の安心感が損なわれないことを知っていれば、興味をもってむしろそこからより大きな安心感を得ることができる、というのは、とても大切な学びだと思います

なっち「お守りランド作る?」
さだむ「おまもりーランド」
うさみ「まもりーランド」(14:10~)

神社のエンタメ施設、面白いですね〜!
たぶん実際には、今の日本の社会にはそんなバブルの頃みたいな大量消費モデルの施設は合ってなくて、もっと自然とか歴史と結びついた自然公園みたいなものの方が合ってるんだろうな、と思いますが

お題#0013【この日を新しい国民の祝日として制定します!】(14:48~)

さだむ「月連動で満月はもう休みとか」
なっち「旧暦が復活してくる感じがするね」(15:53~)

旧暦、つまり太陰太陽暦ですね
Wikipediaは少し詳しすぎて日本以外の旧暦もいっぱい載ってたので、国立天文台のページから

「旧暦」ってなに?
現在私達が使っている暦(グレゴリオ暦)は、太陽の動きをもとにして作られているため、「太陽暦」と呼ばれます。一方、太陽暦が明治6年に採用される以前の日本では、月の満ち欠けをもとに、季節をあらわす太陽の動きを加味して作られた「太陰太陽暦」が使われていました。一口に太陰太陽暦といっても、歴史の中ではたくさんの暦法(計算の規則)が使われてきましたが、太陽暦への改暦の直前に使われていた「天保暦」と呼ばれる暦法のことを、一般には「旧暦」と呼んでいます。
旧暦を含む太陰太陽暦では、月が新月になる日を月の始まりと考え、各月の1日としました。それから翌日を2日、その次の日を3日と数えたのです。そして、次の新月の日がやってくると、それを次の月の1日としました。
新月から新月までは平均して約29.5日の間隔ですので、12ヶ月間では約29.5日×12ヶ月=約354日であり、太陽暦の1年より約11日短いため、そのままではだんだんと季節とずれていってしまいます。そこで太陰太陽暦では、暦と季節のずれが大きくなってきて、ひと月分に近くなると、閏(うるう)月というものを入れて、ずれを修正しました。例えば、3月の次に閏月が入るとその月は「閏3月」と呼ばれ、その年は13ヶ月間あるということになります。閏月は平均すると19年に7回ぐらいの割合で入ります。
以上のような理由から、太陰太陽暦では同じ日付であっても、それを現在の暦での日付に換算すると、年ごとに違う日付になります。例えば、現在の暦に切り替わる前の、明治3年1月1日は、現在の暦では2月1日ですが、翌年、明治4年1月1日は、現在の暦では2月19日です。
さて現在、日本で「公式な」太陰太陽暦の計算というものはおこなわれていません。そのため国立天文台でも、「今日は旧暦の何日か?」などの、太陰太陽暦に関するお問い合わせには、はっきりとしたお答えができないことがありますことをご理解ください。(太陰太陽暦が公式の暦として使われていた時代については、当時の暦とグレゴリオ暦の対応などを、記録に基づいてお答えすることができます。)
しかし現在でも、太陰太陽暦にしたがっておこなっていた習慣は、私たちの生活の中で生きています。例えば、「中秋の名月」は太陰太陽暦の8月15日の夜の月のことをいい、たいへん美しいものとして古くから鑑賞されてきました。また、「七夕」も本来は太陰太陽暦の7月7日におこなっていたものです。
太陰太陽暦は使われなくなりましたが、このような昔からの習慣の意味やそこに込められた心は、これからも受け継いでいきたいものです。

『旧暦』って何?|国立天文台(NAOJ)」より

そもそも1ヵ月のことを「月」と表現する時点で、今も旧暦の影響は残ってますよね
英語でもMonthで、Moonからの影響は色濃く、どの国でも1年を分割する「月」の概念に月の満ち欠けによる周期を利用していたことは伺えます
これはまあ当たり前のことで、1年が12ヵ月なのはそもそも、季節が一巡する(太陽の周りを地球が一周する=公転する)間に、月の満ち欠けが12回あるからです
「12回満月を見たら、また桜が咲いた」というのを見れば、それはまあ12分割するのも頷けますね
1年を12分割するように定めたのは、東西問わず多くの地方で採用されていますが、例えば古代バビロニア(現在のイラクのあたり)が使っていた太陰太陽暦=バビロニア歴も日本の旧暦と同様に、12ヵ月プラスうるう月の13ヵ月で構成されています
ちなみに1年は3〜4月頃から始まるので、春からのスタートだったようですね

日本への直接的な影響で言うと、古代中国の秦の呂不韋が「呂氏春秋」に著した十二紀が有名ですが、その十二紀も、儒教の天人相関説からの引用でまとめたようで、この天人相関説はかなりインドの「梵我一如」の考え方からの影響を色濃く感じます

古代エジプトでは偶然にも毎年、夏のかなり正確な時期にナイル川が氾濫をしていたようで、少しずつズレる月の満ち欠けでは予測するのが難しく、代わりに星を観察したところ、おおいぬ座のシリウスが、毎年日の出の直前に地平線に見えるようになるタイミングでナイル川が氾濫することを発見しました
このシリウスという星は、当時は5月末〜6月末の夏至のあたりまで、方角的に太陽と重なってしまって見えなくなる時期があるらしいんですが、その時期を抜けてシリウスが再び見え始めた頃に、ナイル川が氾濫していた、ということで、砂漠化に追われてナイル川周辺に集まってきた民にとっては、ナイル川の氾濫後の大地の肥沃化は自然がもたらす最大の恵みであったため、この氾濫時期を正確に予測することが世界中の他のどの地方よりも切実な問題だった訳ですね
そして、この地球上からみた太陽とシリウスとの相対的な位置関係を元に1年を規定しようとした場合、1年は365日だとほんの少しずつズレていってしまうことが分かり、1年がおよそ365.25日だ、というのを発見したらしいです
このエジプトの太陽暦をヨーロッパに輸入したのがユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)で、今の太陽暦はユリウス暦を基準にしている訳ですね
それまでは古代ローマでは1年は10ヵ月と61日の冬休みで構成されていたみたいで、そこにユリウスが勝手に11ヵ月目(July)を入れて、その後にユリウスの姪っ子ちゃんの息子である初代皇帝アウグストゥスが12ヵ月目(August)をぶっこんで12ヵ月に落ち着いた、という話も有名です

古代エジプトの科学について学ぶたびに、よくもまあそんなに古来から天体を正確に観測できたな、と驚嘆することが多いのですが、当時は星がとても綺麗に見えた、ということ以上に、砂漠地方であるために空に雲が殆どなく、毎日毎日綺麗に星が見えた、ということも大きな要素なんじゃないかな、と思います
アブ・ダビに出張に行った時も、毎日の夕陽と、ちょうど満月の時期だったので月がとんでもなく綺麗だったのが印象的でした
雨が降らないってこういうことなんだ〜と、感動したのを覚えています

あ、国立天文台ですが、「歴Wiki」というものが存在していて、これ見てるだけで時間が溶けました

ちなみに1週間が7日である起源は古代バビロニアであったようですが、ユリウス暦では1週間が8日だったようです
休息日(日曜日)が赤、というのは古代ローマ時代からの伝統みたいですが、土曜日が青、というのは日本の慣習で、1960〜70年代に広まったようですね
青にしたのは印刷機の都合によるものだそうです


さだむ「ちょっとね、けどね、この緑の日があるなら、青の日、赤の日入れてRGBにはしたいよね」
なっち「なるほどね、植物とかそういう緑じゃなくて 三原色」
さだむ「CMYKまで入れちゃう」(16:49~)

光の三原色、科学の時間に習いましたね〜!
赤と緑と青の光を混ぜると、白い光になる、と、本当に不思議な現象に思えて、僕(さだむ)が小学生の頃に、理科がそんなに得意教科でもなかったにも関わらず興味を失わずにいれたのは、ほぼ、この光の三原色が象徴する「魔法みたい」な科学の不思議な現象のおかげなのかな、と思います

原色(げんしょく、: primary colors、単に primary とも)とは、混合することであらゆる種類のを生み出せるもととなる色のこと[1]

人間においては、原色は三つの色の組み合わせであることが多い。たとえばテレビモニター照明などで、異なる色のを重ねて新たな色を作る加法混合の三原色は、通常の三色である。また、絵具を混ぜたりカラー印刷で色インクを併置するときに行われる減法混合の場合の三原色は、シアンマゼンタイエロー(黄色)の三色である[2]。なお、この主張がなされた1915年よりも前に画家たちは、伝統的に、赤青黄を減法三原色としていた。

原色とされる色の選択は基本的には恣意的なものである。加法混合の三原色に使う赤・緑・青も多様であり、表現のしやすさなどを考えに入れてさまざまな基準が定められている。またたとえば、リュミエール兄弟が開発した初期のカラー写真・オートクローム (Autochrome Lumière) では、赤・緑・青のほかにオレンジ)・緑・の組み合わせも使われた[3]

Wikipedia「原色」より

この原色のWikipedia、最高ですね〜!
僕も長い間ずっと、「赤、緑、青」というのは単に恣意的に決めた組み合わせで、そうじゃない3原色も存在するんじゃないかなーと思ってたんですが、そのことがきちんと書かれていて、スッキリしました
リュミエール兄弟というのは、以前に触れたような気もしますが、映画を生み出したと言われるフランスの発明家ですね
実際には、当時はエジソンも含めて多くの企業が映画の実用化に向けて切磋琢磨していたので、リュミエール兄弟は「映画の実用化に成功した」という表現が正しいのでしょうが
実用的なカラー写真の発明も、リュミエール兄弟が実現したようで、それには「オレンジ、緑、紫」の三色が原色として使われた、ということなんでしょうね〜!
これ、再現してみたいなぁ

減法三原色、というのは、理科の時間で「色の三原色」として習いましたね
絵の具で混ぜると黒になる三色、というのが減法三原色ですが、こちらも「シアン(水色)、マゼンタ(赤紫)、イエロー(黄色)」と決められる以前から画家の間では、赤と青と黄色の絵の具を混ぜたら黒になる、とされてたんですね〜!面白いですね

原色のWikipediaは更にここから、より興味深い項目へと進んでいきます

生物学的な基礎
原色は電磁波の本質的な要素ではない。原色は、生物の可視光線に対して起こす生理学的反応と結び付けられている。レーザー光のような単色光は別として、天然光や照明などの光は、あらゆる波長の放射エネルギーが合成されており連続的なスペクトルを持つ。その刺激値空間は無限次元にわたるが、人間の目はこれを次のような受容の仕方によって三次元の情報として処理している[4]

人間の目の奥の網膜には一面に光受容細胞(錐体細胞桿体細胞)があるが、光量が充分な場合は三種類からなる錐体細胞が反応する。錐体細胞には、長波長に反応するL錐体、中波長に反応するM錐体、短波長に反応するS錐体の三種類があり、それぞれの波長に最も反応するタンパク質(オプシンタンパク質)を含む。これらが可視光線を感受することで信号が視神経を経由して大脳の視覚連合野に入り、ここでL・M・Sの三種類の錐体からの情報の相対比や位置を分析し、色を認識している。

人間など、三種類の色覚受容体をもつ生物の色覚は「三色型色覚」(trichromacy) とよばれる。これらの種の生物は、光刺激を三種類の錐体で受けとめ三次元の感覚情報として処理し、あらゆる光の色を三つの原色の混合比として捉える[4]

色覚受容体の種類の数が違う生物は、異なる数の原色によって色を感じている。たとえば四色型色覚 (tetrachromacy) を持つ生物には四種類の色覚受容体があり、四原色の組み合わせで色を認識している。人間は波長800ナノメートル(赤)から400ナノメートル(紫)の範囲までしか見ることができないが、四色型色覚の生物は波長300ナノメートルの紫外線まで見ることができ、四番目の原色はこの短波長の範囲にあると考えられる。

鳥類有袋類の多くは四色型色覚を持つが、人間でも女性の中には四色型色覚を持つ人もいる[5][6]X染色体にあるL錐体とM錐体の遺伝子は時として変異によりL・Mのハイブリッドの錐体細胞を作って色覚異常となるが、女性の場合はX染色体が2つあるため、1つのX染色体でこのような変異が起こってももう一方で正常なL錐体とM錐体が作られれば、赤・緑・青のほかに長波長の範囲にもうひとつの原色を認識することになる[7]。人間の色覚受容体が反応する波長は個々人においても多様であり、色覚の「正常」な人の間でも微妙な色覚の差として現れる[8]。人間以外の生物の場合、こうした多様性の幅は大きいが個々の生物はそれに適合していると考えられる[9]霊長類以外の哺乳類のほとんどは緑と青の二種類の色覚受容体しか持たないため二色型色覚 (dichromacy) であり、原色は二色しかない。一方、16原色と6種の偏光を捉えられるシャコのような例も確認されている。

大多数の人間のもつ三色型色覚以外の生物の見る世界は色が狂って見える、と考えるのは誤りと言える。そのように生まれた生物にとってはそれが普通な世界の色であり、そうした生物が色を知覚する能力は人間の色覚の能力とは種類が違うであろう。また人間にとって自然な色に見えるものは、他の生物たちにとっても自然に見える。しかし加法混合三原色の光を使って人工的に再現した色(たとえばカラーテレビの画面)を見る場合、人間にとっては自然な色に見えても他の生物にとっては自然な色には見えない。つまり、加法混合三原色を使って色を再現するときには、再現する側の者の色覚のシステムに依存した再現がなされる。

Wikipedia「原色」より

三原色、としているのはあくまで人間が生物学的に高・中・低波長の3種類の光の受容体を持っているからそうしているだけで、それが4種類ある生物に最適なのは四原色、16種類ある生物に最適なのは十六原色、ということなんですね〜!
鳥は紫外線の受容体がある、というのは聞いたことあって、実際に紫外線をカットするフィルター付きのゴミ袋(紫をカットするので、全体的に黄色っぽくなる)を使うと、人間には中身が見えるけどカラスには中身が見えない、というのを聞いたことがあります

僕(さだむ)がアート方面への興味を持ったタイミングはもっとかなり後の時期なので、RGBに対して、絵の具を混ぜたらいろんな色が作れたり、ごちゃごちゃ混ぜたらそのうち黒くなる、というのは経験則的に理解していたのでCMYKのいわゆる「色の三原色」にはそこまで魔法のようなものを感じませんでしたが、こちらはこちらで調べてみると面白いですよね〜

印刷方面とかも調べると本当に奥深くてワクワクする世界なんだろうな〜と思います
ディープ過ぎて足を踏み入れられてないけど・・・

うさみ「僕、H3ロケットの打ち上げ成功日を記念したいですからね」(17:26~)

うさみくんが言及してるのは、2024/02/17のH3ロケット2号機の打ち上げ成功のことですかね

1号機が失敗しただけに、2号機の打ち上げ成功は嬉しかったですよね

2024/11/04には、試験機の4号機が打ち上げ成功しましたね

宇宙兄弟みたいに、また月面に人が降り立つ時代が来ると良いな〜、と思っています

うさみ「じゃあ何、車の日、ハチロクが生まれた日とか」
なっち「ハチロクってなに?」
さだむ「ハチロクっていう、車ね」
うさみ「イニシャルDの」(18:04~)

頭文字D」僕ら世代にはド直撃したしげの秀一さんによる「走り屋」についての漫画ですね
ちなみに、「走り屋」というのは暴走族とは違って、山奥で車を速く走らせることを趣味にした人たちで、実際にこの漫画にも不良のような人たちは殆ど出てきません(まあ交通違反してる時点で不良は不良なんですが・・・)

ハチロクというのは、トヨタ・AE86(AE86型トレノ、もしくはレビン)のことで、当時は中古車としてレビンの方が圧倒的に人気だったみたいですが、漫画の影響で不人気で台数も少なかったトレノが爆発的に人気になり、すごい額のプレミアがついたそうです

僕の友人達も、FTOだとかRX-7だとかのスポーツカーやZZRだとかNSRだとかのスポーツバイクを買って、週末は山奥やダム周辺に行ってブンブン走ってました

ちなみに、発売は1983年5月、とまでしか記載されておらず、日付までは載ってませんでした
まあ車の発売日とかって大体そんな感じですよね

さだむ「スーパーマリオが生まれた日とか」
うさみ「マリオ記念日」
さだむ「日本っぽくねえのに・・・笑」
なっち「イタリア人じゃん」
うさみ「イタリアの記念日に、制定します」(18:54~)

より正確には、イタリア系アメリカ人ですね・・・笑

マリオ・セガール(Mario Arnold Segale, 1934年4月30日 - 2018年10月27日)は、イタリア系アメリカ人の実業家であり不動産開発業者である[2]。1950年代からアメリカ、ワシントン州シアトル一帯でさまざまな土地開発プロジェクトに携わった[3]任天堂のゲーム・キャラクターであるマリオの名は、彼にちなんだものである[4]

Wikipedia「マリオ・セガール」より

当時販売されていた「ドンキーコング」の主役キャラであった通称ジャンプマンに「マリオ」の名前が与えられたのは1982年6月30日に販売された、「ドンキーコングJR.」が最初のようです
初代の販売時期はまだマリオの名前が冠されていませんが、1981年7月のようです
ただ、マリオファンからすると「マリオブラザーズ」(1983年6月21日発売)もしくはその後に大ヒットした「スーパーマリオブラザーズ」(1985年9月13日発売)の方がむしろ記念日にふさわしい、と考えるでしょうか

さだむ「二十四節気とか、七十二候だったっけ、とか、そういうのをもう一回見直してみて・・・」(20:41~)

二十四節気は、大体「呂氏春秋」を始めとした古代中国の時代にゆっくりと成立していったようですね

二十四節気(にじゅうしせっき)とは、中国戦国時代の頃(紀元前4世紀)に発明され、四季気候などの視点で地球上の一年を仕分ける方法。
太陰暦季節からのずれとは無関係に、季節を春夏秋冬の4等区分する暦のようなものとして考案された区分手法のひとつで、一年を12の「節気」(正節とも)と12の「中気」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられている。1太陽年を日数(平気法)あるいは太陽黄道上の視位置(定気法)によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したもの。
二十四気(にじゅうしき)ともいう。

Wikipedia「二十四節気」より

1年を12節気と12中気に2分割したものですね
太陰暦の1年(月の満ち欠けの12周期分)は太陽暦の1年(地球の公転周期)よりも約11日短いので、たまに中気を含まない、うるう月を設定したようです

七十二候は更にその二十四節気を3分割して、1候あたり約5日なので、ほぼ1週間と同じような感覚で使われていたようです
そして、その七十二候は1つずつ、その季節にあった自然現象を俳句のようにごく短い文章で表した名前(実際には漢語)で表されているので、これがとても雅やかなんですね〜
例えば1874年に制定された日本の略本暦においては、立春の次候だと「黄鶯睍睆」、山里でうぐいすが鳴き始める、という名前が付けられていますし、啓蟄の初候では「蟄虫啓戸」、巣ごもりしていた虫が戸を開く、という名前です
見ていて面白いな、と思ったのは、中国の宣命暦における雨水の初候で「獺祭魚」、かわうそが捉えた魚を並べて食べる、という名前です
山口の地酒の「獺祭」はここから名前を取ってるんですね〜

毎週こんな雅やかな名前がついてたら、一年過ごすのが楽しくなりそうですよね

さだむ「僕の好きな僕の好きなショーン・エイカーっていう心理学やってる人 ポジティブ心理学みたいなやってる人も・・・」(27:30~)

TEDの中でも僕が本当に大好きなプレゼンテーションの一つですが、この幸福を感じるための人の性質に対しても「そんなの人の生まれもった特性だよ」と諦めてしまわずに、エクササイズを通して具体的に認識を更新していこうとする科学的姿勢が、とても素敵だな〜と思います


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さだむ
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