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テレビ屋気取り #11「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」(2020.12.12)
立て続けに「不合格」の通知をもらうと、自分がやっていること全てが否定されているような気がして、終いには自分の存在すらも否定されているような気がして、何もやる気が起こらなくなりますね。
これもそのひとつです。
原点を振り返りつつ、なんでこれをやっているのか、続けていくにあたって何を大切にしていくのか、10回やってみて少しずつ変えていく必要があると感じています。
自分の良さを大切にしつつ、でも後悔しない程度に「テレビ屋気取り」をやっていこうと思います。
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紹介する番組:「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」
12月12日に特番として放送されたモノマネ番組。
言うまでもないかもしれませんが、もともとは「とんねるずのみなさんのおかげでした」のコーナーとして定期的にスペシャルという形で放送されていましたが、番組終了後からは単独の特番という形で年末に放送され、今回で3回目を迎えました。
もう3回目というのが個人的には驚きです。
「めちゃイケ」と「みなさん」が終了になったのが、私が大学に進学するタイミングだったので、時間が経つのは早いなと感じます。
「めちゃイケ」というワードが出たので、少し真面目な話をすると、
私は就活で、影響を与えたテレビ番組を聞かれると、「めちゃイケ」の話をします。
「めちゃイケ」と答える同世代は多くいるはずなので、その理由をもっと特殊な角度から入れ込むべきだなと感じています。
ちなみに、「めちゃイケ」と同じくらい少年時代にハマっていたのが、この細かすぎてシリーズです。
YouTubeが今よりももっと下火で、テレビの違法アップロードしか出回っていなかった頃、YouTubeで年中夢中になっては過去の細かすぎての動画を見て、夏と年末のスペシャルを楽しみに待っていたのが懐かしいです。
昔の人に関するネタや、自分がわからないジャンルのモノマネでもなぜか笑っちゃうのが不思議ですよね。今回改めて感じました。
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「細かすぎて〜」はなぜ特番化したのか
今回は番組の内容には触れずに、前回の影響を受けて少しアカデミックに問いを立てて、自分なりの分析をしていこうかと思います。
「みなさん」は終わったのに、「細かすぎて」だけ特番として残ったのはなぜでしょうか。
この問いへの答えは簡単です。
それは人気があるからです。
もちろん、今回問いとして設定したのはこんな簡単な結論を言うためではありません。
もっと論理立てて考えてみようと思います。
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今週、ふと立ち寄った書店で、目をひく書籍を見つけました。
松井 英光 著「新テレビ学講義 もっと面白くするための理論と実践」
前回少し触れましたが、
松井 英光 著「新テレビ学講義 もっと面白くするための理論と実践」
という著書に出会い読み始めました。
まだ第1章を読んでいる途中なのですが、ざっくりと書籍の概要を説明すると、テレビの制作現場経験もあるテレビ局員である松井氏が、大学院でテレビに学術的にアプローチし、研究の末書き上げた修士論文と博士論文の内容をもとに、それをさらに噛み砕いて、自分のようなテレビ制作を志す人間にもわかりやすいように書いてくださったものです。
ここ数回にわたって、この「テレビ屋気取り」で擦りまくっている「視聴率」についても、先行研究を参考にしながら、自身の現場経験を踏まえてアカデミックにアプローチしています。
松井氏が述べている「編成主導体制」という考え方には、素人ながら共感を覚えました。
あまり大きな声では言えませんが、私は素人ながらテレビの制作現場で仕事をさせてもらっている身です。
現場でなんとなく「編成主導体制」の雰囲気を感じています。
関わらせてもらっているのが比較的ゆるい番組(全国見てもかなりふざけています)なのですが、現場では際どいくだりがあるとすかさずPが口を出して、「ちょっと上(編成)に確認しないとな…」「上(編成)がなんて言うかな…」という感じになります。
「上」という表現がもはや「編成主導体制」を象徴しているような気がするのですが、この上からの見えない圧力みたいなのが、なんかテレビっぽくないですよね。夢がないです。(説得力のない主張だ…)
テレビに対するこれまでの研究は、「送り手」と「受けて」にわけて考えるならば、「受け手」に焦点を当てた研究ばかりが行われてきたようです。
これに対して、松井氏は「送り手」(テレビ局サイド)をさらに分解して、「送り手」と「作り手」にわけて考えるべきだと指摘しています。
「送り手」は編成部門や営業部門を指し、「作り手」は制作現場の人間たちを指します。
私が見た光景を当てはめるなら、プロデューサーを含む私がいる現場の人たちが「作り手」であり、その現場において「上」という隠語で呼ばれているのが「送り手」ということになります。
普通のテレビの視聴者の方たちは、「プロデューサー」という言葉を聞いたとき、下の画像のようないわゆる「プロデューサー巻き」をして、現場で誰よりも声を出し、番組を作っていく過程においてバンバン指示を出している人をイメージすると思います。
しかし、これは100%ではありませんが、間違いです。
松井氏がライアンという学者の論述を引用しているように、
制作過程においてプロデューサーが、創造性の概念を構築する職務から、プロジェクトチームをメディア企業の必要に応じてコントロールする形態で、創造性を管理する職務に変化しており、ビジネスの理論からプロ意識を実行させる傾向にある。
プロデューサーは世間のイメージから遠ざかっていき、今ではビジネスマンというか、就活用語的にいうならば「コンサル」のようなものなのかもしれません。
そして、「送り手」「作り手」理論で言うならば、もはやプロデューサーは「送り手」側の人間なのではないかと思います。
あくまで私の偏見に過ぎませんが、現場のプロデューサーはコロナ禍におけるスタジオ内の人数制限ということもあって、スタジオの中にすらいません。そういうことです。
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少し本題からそれましたが、
ただの素人で少しだけ現場経験がある人間でも、アカデミックにテレビにアプローチした先行研究と照らし合わせながら、それっぽく説得力があるような考え方をすることができます。
自分で言うのも恥ずかしいですが、問題意識としてこうやって考えようとしています。
これを踏まえて、今回の問いにアプローチしてみようと思います。
「細かすぎて〜」はなぜ特番化したのか
「あざとくて何が悪いの?」(テレビ朝日)について取り上げた時に触れましたが、テレビ業界において番組の良し悪しを決めるのは「視聴率」です。
様々な視聴スタイルが確立し、ようやく「個人視聴率」という考え方が浸透してきていますが、まだまだ「視聴率」という考え方が進行されているのではないかと思います。
「細かすぎて」が特番化した理由は、レギュラー時代からこの「視聴率」が良かったからに他ならないのだとは思いますが、素人的にはそれだけじゃないような気がします。
この企画の人気は異常です。
OAをリアルタイムで見ながらこの文章を書いている今、なぜか「オラキオ」というワードがTwitterのトレンドに入っているのですから。
セットにどれだけ費用がかかろうが、120人くらいの芸人が出演しようが、ゲストが豪華だろうが、この先も毎年の風物詩として続くとは思います。
たとえ「視聴率」が悪くても。
私はこの現象が気にくわないです。
番組はめちゃくちゃ好きなので続いて欲しいのですが、それが「視聴率」が要因ではないとするならば、このような視聴者の反応を含む「見えない判断基準」というのが一体何なのか。
「編成主導体制」において「視聴率」への信仰が著しいのに、時代の変化とともに徐々に取り入れられているであろう、「視聴率」以外の判断基準というのが、果たして本当に存在するのか。
視聴者にその判断基準が可視化される必要はないが、将来的に「視聴率」にかわるコンテンツの価値を決める指標を作り出したいと思っている私には、せめてその答えを教えて欲しい。
「じゃあ就活頑張って内定もらえよ」という話なんですけどね。
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プロデューサーこそ「作り手」となってテレビにアカデミックにアプローチすべきではないか
最近キー局制作の番組のクレジットを見ていて疑問に思ったことがあります。
プロデューサーってこんなに必要なのか?
私が見ている現場というのはキー局ではないので、番組の規模感や住む世界が全然違うのはわかっています。
でも、それを踏まえて考えてみてもこのプロデューサーの数は異常ではないかなと思います。
いろいろな制作会社の人たちが出入りして番組作りが行われている今のテレビ業界において、各プロダクションから1人以上はプロデューサーが責任者という意味も含めて入っているのでしょうが、先ほど触れた今のプロデューサー像を踏まえると、いくら多くの人数がいても番組の制作に直接的に関わっている人はこの中にはいないということになります。(事実確認はしていないのであくまで推論です)
また少し切り込む角度は変わり、
なぜ現場にこんなにも局員がいないのかというのが不思議でたまりません。
局や系列によって方針が違うので、私がみている世界とは異なることが多いとは思いますが、どの局も年々この現象が加速しているのは間違い無いのではないかと思います。
そして、ほとんどの就活生がこの事実を知らないのではないかと思います。(自分だけが知っているという優越感に浸りたいわけではありません)
多くの局員は「作り手」を経た上で、「送り手」へと変わっていきます。
制作費や人件費のカット、さらには働き方改革の波が押し寄せている今、現場で働きたくても「送り手」にならざるを得ない局員がたくさんいるのではないかと思います。
それが嫌で独立したり、プロダクションへ移籍する人も多く、優秀な人材が局から離れていき、その結果外注や完パケが進んでいるのも事実ではないでしょうか。論拠はありませんが悪循環だと思います。
私はこれがダメだと言いたいわけではありません。
「作り手」を離れ、「送り手」となった人が何をすべきかを考えませんか?
テレビ局に入社するほど優秀な方たちだから、学生時代も熱心に自分の研究に向き合い、学術的に批判的思考を持ち合わせながら分析することは、スタジオの後ろで腕組んで大笑いすることよりも簡単ではないでしょうか。
松井氏によると、
1960年代にはNHKや民放局において、メディアとしてのテレビを研究する動きが活発になっており、各局が独自で機関誌を発行して情報交換をしていたようです。
当時は人材が有り余っていた(?)こともあって、これが可能だったのかもしれませんが、時代の流れに伴って研究は停滞し、現在は果たしてこのような研究は行われているのでしょうか。(要事実確認)
もし、外注や完パケが加速するならば、局員に求められるのはこういったアカデミックにテレビにアプローチすることではないかと思います。
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まとめ
最後は、少しテレビ業界に悪態をつく形になってしまいましたが、「テレビ屋気取り」という企画を始め、アカデミックにテレビにアプローチする世界線を知った上で、自分が感じたことを素直に書き連ねてみました。
自分が将来仕事として何をしたいか、何ができるか、何をすべきかが、少しだけ明確になってきたような気がします。
この考え方が正しいのかはわかりません。
ここまで10回にわたってやってきたこの「テレビ屋気取り」の中で書いてきたことも、全てが正しいわけではありません。
松井 英光 著「新テレビ学講義 もっと面白くするための理論と実践」
を読んだ時の私の解釈が間違っていたり、普段見ている番組を通して私が考えたことが制作者の意図とは異なっていたりすることもあると思います。
松井氏や制作の方たちにとってご迷惑でしたらすみません。
ただ、こうやって文章にして発信するのと、自分の頭の中だけで考えるのでは、思考の深さや見えてくるものが全く違います。
そこだけはご理解いただけると嬉しいです。
問いを立てる形式で普段からコンテンツに向き合っていくと、新しい発見があるような気がしてきました。
テレビを心の底から嫌いにならない限り、これからも「テレビ屋気取り」は続いていくと思います。
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2020.12.13 作成