カンボジアの空と希望
迫 慶太(さこ けいた)
1981年生まれ/愛知県名古屋市出身/経営者/トレーナー。シドニーのパーソナルトレーナーカレッジ卒業後、2014年にSACO WORKOUT WELLを新潟にて開業。現在は、福岡、名古屋、東京を拠点に、日常が運動になる文化を伝える為に、健康経営やフィットネスイベントを開催中。
幼少期
喘息・不整脈・アトピー性皮膚炎から運動を制限されていた為、不整脈改善に水泳をはじめ、体力をつける為空手をはじめ、高校生まで続けたことにより体質改善された事で、人生ターニングポイントが高校デビューだ。
学生時代
中学生まで身長160センチ80キロのなかなかの体型をしており、選んだ部活が空手部という功を奏したザ・昭和の体育会系。何か粗相をすると部活の顧問である西先生から「一本拳だぁー」と脳天に喝をいれられた。初日に部室に行くと鉄下駄履いた主将が出てきた時は驚きだった。いい意味で社会を知る素晴らしい機会だった。
そんなこんなで、血尿が出るほどの過酷な環境で80キロだった体重が、夏休みに60キロに変わり、まさに高校生デビューとなった。そこから運動に目覚めた。空手の大会では、高校空手道総体東海大会ベスト8、同大会団体戦3位まにはいり、あの当時から空手部の先生が自腹でトレーニング機材を購入しトレーニン室を持っていた為、筋トレと技術鍛錬という最高の環境で練習をしていた。
また偶然、社会科の冨永先生がパワーリフティングの選手だったことから、筋トレの時間はトレーナー付きの練習に勝手になっていた。そんなことから空手部だがパワーリフティングの大会に出るのが、諸先輩からの伝統となり筆者の年はその担当となった。
これも謎だが高校総体パワーリフティング選手権の愛知県大会優勝し、中部地区大会優勝だ時は、冗談かと思った。全国大会は出場し失格となったが、その前までの記録が大会優勝記録だったことで、強豪大学から声をかけことになる。
未来への一歩
大学は県内の法学部の大学に通い警察官になりたいと考えていたが、色弱と判明し断念した。そんな際にまたターニングポイントがやってくる。父親の知り合いがカンボジアでスタッフを探していると。若さは素晴らしいと思う。
カンボジアなんて教科書の端で見たことあるくらいの国で、何の思い入れもない街だったが、就職ない→家にいるしかない→絶対無理が勝利した瞬間だった。即決し行ったこともないカンボジアの飛行機に乗った。20年前の話である。
カンボジアの首都プノンペン空港に降りた時の事は忘れない。はじめての海外で降り立ったカンボジアの空港にいた、モトドップ(カブタクシー)の人たちの眼差しはギラギラしており、もちろん英語もましてはカンボジア語すら話せない筆者は今思えば格好のカモだったろう。
この時はまだ何の仕事をするかもあまり聞かされていなかったが、カンボジアの街に信号機を取り付ける許可をとる仕事だと知ったのは着いて一週間程度経って、パクチーが食べられないことに気がついた頃だった。
学び
カンボジアで一番学んだ事は多かった。まずゼロからイチを作ることの大変さ。日本はとても豊かな国であること。そして、健康の大切さである。しばらくして、信号機をつけるのも国との仕事となり難航していた為、セントラルマーケット近くのホテルを買いそこを運営してほしいという話になった。もちろん筆者が社長ではない為、カンボジア人の神成社長と共に取り組むことになる。
日本の豊かさ
衝撃だったことは、扉がない食堂にはテーブルの横までソムロイ(お金頂戴)とボロボロの服を着た子連れのママが付いてくること。もちろんお金渡すまで帰らない。食べてる途中もお構いなしでやってくる。内戦後だったことから、内戦記念館には本物の遺骨が展示してあること。
一番はベトナム戦争の影響だ。地雷により片足がない、片腕がない方が道端で寝ている。枯葉剤の後遺症で肌が爛れてしまっている子どもたちを見ることは本当に辛かった。日本に生まれてよかった。生まれたからにはよく生きたい。持続可能な健康を世界に伝えたいそう思う。
希望と挫折
一階のテナントが和食と何かを入れると言う事で、日本から製麺機が送られてきた。「ラーメン売ったらええやん」関西人の社長が言った鶴の一言で作った事もないラーメンづくりスタート。マーケットで豚の骨だの、粉だのを買い込んで作る。1ヶ月の準備期間を経て、まさかの美味いラーメンができてカンボジア初となるラーメン屋を開店。
誰も来ない。ここではじめてマーケティングを知る。日本人向けのラーメンをカンボジア人が好むか。金額。告知。すべてが甘かったのを今でも覚えている。よし、ここからお客さん集めをしていこうとしていた開店後、カンボジア人の社長と日本の出資側の意見が合わず、カンボジアを撤退することが決まる。やむなく帰国することになり、無職の転職人生となった。
トイレから覗いた人生観
カンボジアに住んでいた際に、お腹を壊すことが多々あった。今思い返せば、アンコールワットがラベリングされていたミネラルウォーター?とカンボジア語で書いてある水を飲んでいたこと。カンボジアの同僚と一緒に一食三円程度の定食屋で食べていたこと。この二点だと気づくた頃には遅かった。赤痢になった。3日程トイレと仲良くしている際に、健康の大切さを改めて感じていた。
カンボジアの空
運動療法で人生のターニングポイントを迎えた高校時代。食事やライフスタイルで健康を害してしまったカンボジア時代この両点から、健康に関わる仕事をしたいと心から思い、蒸し暑い扇風機の音がうるさい、カンボジアのインターネットカフェで検索し、オーストラリアのトレーナーの学校を見つけた。
英語でしか検索できなかったあの時代に、パーソナルトレーナーカレッジを見つけられたこは奇跡だ。ネットカフェから出た後の、転職に出会うワクワク感を持って見上げたカンボジアの空の色は今でも忘れない。最後まで読んでいただきありがとうございました。
下敷きとオーストラリアの海へ続く→
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