以前の私は感謝出来ない人でした。
【私を成長させてくれた「心に刺さった」言葉シリーズ②】
『蛇口を捻ったら、水が出るの当たり前と思ってない?』
私:「思ってるよ」
当時の私は平気な顔で言いました。
この言葉は、端的に言うと、
「感謝が足りないんじゃないの?」って意味です。
それは私も分かってました。
でもあえて、そう答えました。
当時の私なりに考えはあって、
今の世の中、私達のいる先進国では、蛇口を捻ったら水が出ます。それはもちろん"当たり前"の事実。
もちろん災害とかあって、そうじゃなくなって初めて有り難みに気がつくことがある、ということも分かってる。
さらに言うと、遡ること何百年前(?)初めて水道というものを作ってくれた先人たち、
またさらに遡ると、"こんなものがあったらみんなが便利になるんじゃないか?"って考えて「水道」というアイディアを浮かべてくれた人が居たからこそ。
そして現代も水道業者さんやそれに関わる人がいるから成り立ってる、ということも全部分かってる。
その人達への感謝が無いかと言うと、無くはないです。
が、当時の私の考えは、
"水が出る当たり前"の中で生きていけるのは、今の時代に生まれた私たちの特権だから、その時代の人はそういう運命だったんだし、別に今私がありがとうとか思わなくていいよね?それとこれとは別じゃない?
それに仕事にしてる人達はそれでお金貰ってるんだから当たり前でしょ?
って思ってました。
上から目線でした。
そんな風に、上から目線で、ひねくれた考えの自分を間違っているとも思っていなくて、
"水が出て当たり前"と思うことについても
「なんで当たり前って思っちゃいけないの?私のどこが間違ってるの?」
ってずっと考えてました。
考えれば考えるほど、
「けど」とか「でも」とかの否定系と、
「私は正しい!」という考え。
失って初めて気付くということはあるけど、私は失ったことないからその気持ち分からないし!
私が間違ってるみたいに言われた!私は間違ってないのに!
とか。
白黒ハッキリしたがるし、優劣や正誤を付けたがる。
私は自分を否定されるのが大嫌いだったから、相手が私を否定したと思うと、その相手に対して、まるで小型犬が全身使ってギャンギャン鳴き騒ぐように自分の意見を正当化しようとして、口が達者になってついつい論破しようとしてしまったり。
自分を正当化して、被害者面する行為。
そんな被害者面した私のせいで、相手は勝手に加害者に認定される。
振り返ると、自分でもイタイ女だったなと思います。笑
横柄というか傲慢というか、、、
いやもっとシンプルに、、、ダサイです。
そんな自分が大嫌いでもありました。
そんなに強気振っていたのに、そのあとなぜか落ち込んで、
「なんで私って感謝出来ないんだろう?」
「私ってサイテーだよね」
この2つの永遠の繰り返し。
負のループ。
すんごい自分責め。
(次回へ続きます)
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