クリスマスでもハロウィンでもないけれど【掌編小説】
兄ちゃん久しぶり。山の冬は長いよ。長いけど作業所の中は石油ストーブを焚いているから暖かいよ。今まであまり言わなかったけど、俺は石油の匂いが好きなんだ。
ホームで暮らしていると刺激はないけど、心が落ち着いていられるからいいよ。風邪? 引いてないよ。発作も起こしていないし、体はすこぶる順調だね。
そうそう、このあいだ知らない人がホームに来たんだ。五十代くらいの男の人で、あまり顔色が良くなかった。すり切れた灰色のツイードのコートを着てた。革の靴もぼろぼろだった。最初は新しいボランティアの人かと思っていたから、なんだか様子が変だなと思って。
でも何か訊こうとしてもさ。俺たち話せないじゃん、日本語。まあ何語だって話せないんだけど。しいて言うなら自分語? なら話せるけどね。だから俺も他の入居者も人も、その男を無視して好き勝手なことをしていた。いつも通りと言えばそれまでだけど。
そしたらさ、その男がコートのポケットからお菓子を取り出したんだ。灰色のほつれたコートのポケットから色とりどりのお菓子。チョコレートとかラムネとか、そういういかにも子供が好きそうな駄菓子系のやつ。俺たちは一斉に飛びついた。ちょうど当番のボランティアの人がちょっと用事で出かけていたから止める人がいなかったよ。男の人はどんどん食べなさいって感じで、次から次へとポケットからお菓子を出してくれた。五十を過ぎたおっさんから、三十を過ぎたおっさん達がお菓子をもらって喜んでいるんだから、ちょっと気持ち悪い絵だけど、その時はすっごく幸せだったなあ。小さければ確かな幸せってやつ? クリスマスでもハロウィンでもないのにね。
やがて男はポケットの中が空っぽになると、顔色の悪い顔をくるりとドアへと向けて出ていった。一体アレは誰だったのかよく分からないよ。今でも。玄関には色鮮やかなお菓子の包み紙の山ができていた。
その時のお菓子、一つだけ兄ちゃんの為に食べずに取っておいたから。今度来た時に渡すよ。それがいつになるか俺にも分からないけど。