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これはきちんとした自己紹介だよ(2024/12/31追記)

さちんぬさんの生まれ

えー、北海道の襟裳というマジで何もないただただ風が強く吹いている場所に生まれ落ちました。人間より馬とか牛の方が多い印象。隣の家がない。てか遠すぎて見えない。そんな感じの場所です。

そんな場所に両親・親族ともにカルトにかなり依存している家に生まれた一人っ子です。何よりも優先すべきは宗教で、全てのお金はその宗教に入れる、みたいな家でした。

3歳で父親が航空自衛官のため転勤が多く、静岡の浜松に引越しまして。
静岡っていい場所ですね。温暖で人柄も優しい人が多かったイメージで。

10歳で秋田県に引っ越しました。
えーーー、非常に言いづらいのですが、たまたまでしょうけど、私が引っ越したエリアはですね、非常にー、まあはっきりいうとあんまり良くない人間共が多くて←

いや!もちろん全ての人ではありませんよ。実際そこで出会えた友達にかなり救われて今でも仲の良い友人もいて。

ただなんというか閉塞感があるエリアだったので自分には合わなかったんでしょうね。
大好きな祖母のいたエリアは同じ秋田県内でも好きなので。

この頃には暴言・暴力が両親ともに酷くなり、包丁で刺されたり、金槌で後頭部を殴打されたりして病院に搬送されたりしています。

夜も安心して眠れなくなったので野宿も始めました。
ご飯は友人の家にお世話になったりして空腹を誤魔化したりしてましたね。
本当にきつかったです。

で、秋田県の中でも数回転校しまして。
で、15歳でまた北海道に引っ越します。千歳ですね。空港がありますからね。
北海道も好きですね!寒いけど、東京より暖かいんです。家の作りが違うのと、エアコンじゃなくてストーブですからね。

食べ物もなんもかんも美味しくて。最高です。毎朝の冬の雪かきを除けば。笑

マンガで描いている通り、絵の学校に受かったんですが、親の信仰する宗教系以外の学校は認められなかったので独学でその頃から絵を描き続けています。


高校が夜学なので暇な授業中に描いた絵(先生ごめん)


最近展示とかした絵


今年はANIMAL2024にも掲載されました!

夜学卒業後は研究職に就く

で、親に高校行きたいと言ったら自分で勝手にいけよって言われたので(ブチ切れ)自分で行けるのは学費を稼いで行ける高校、夜学しか当時選択肢がなくて定時制に行ったんですが、結果、良かったです。先生たちに恵まれたんです。
40過ぎた今でも交流があったりして。

いや、めちゃくちゃ辛かったですけどね、リウマチ痛い中フルタイム勤務して夜は学校で、家では殴られる生活。私ストレスから10歳の時に若年性のリウマチになってまして。

医療費と学費払った残りを上京資金としてちまちま貯めてました。毎月通帳眺めてましたね。早くこの家から出るぞって。

定時制は4年生なので10代の自分にはとてつもなく長く感じました。
全日制の生徒が羨ましかったこともありましたね。
子供のころから結構勉強は好きな方だったのできちんと学びたかったのです。

いよいよ4年間がすぎ、卒業式終わったその足で新千歳空港に行き、飛行機に乗って上京しました。
当然卒業式までに何度か東京に行き、家も契約してました。

親は相当呆気に取られてて私は爽快で面白かったです。あはは←

色々ありつつも上京してきちんと就いた仕事は研究職でした。
私は共感覚が幼少期からかなり強く感じることが多くて、困ることも多かったのですが、数字とアルファベットがとにかく綺麗な色でして。

なので絵と同じスタンスで理数が大好きで、それで研究職についたわけです。

初めは東京女子医科大学で遺伝子研究補助。
次は慶應義塾大学の解剖学教室で遺伝子改変マウスを作製して脳の観察を。
次は日大板橋病院の循環器内科で大動物の心臓を解剖して病理切片を見たり。


ガスマスクは好きですw


顕微鏡が子供の頃から好き!

遺伝子を見続けて思うこと

私の家は宗教に依存する親と暴力・暴言やネグレクトが酷くて様々な精神症状や生きづらさが限界を迎えていました。
20代後半で治療のため精神科で長期入院を自分で希望し、治療に取り組んだのですが、そこから長い長い時間をかけて今までゆっくりと回復を進めてきました。

今までの仕事を振り返った時、私は長く自分が苦しんでいた『親と同じ遺伝子が流れているこの血が気持ち悪い』という気持ちがすっかり無くなっていたことに気がついたんです。

遺伝するものは、確かにあります。
けれど、一人の人間として生まれて生きてきた。
それはもう完全にオリジナルなんですよね。

完全に完璧にオリジナルなんです。
あくまで私の感じたことですけどね。

複雑性PTSDの治療は大人になってからが本番

私が今年から漫画や新しいアカウントを作って虐待サバイバーのことを発信するようになったのは、かなり自分が回復をしてきて色んなお話ができるようになったこと、回復には本当に多くの人の支えがあってできたこと、また何より幼少期の虐待は問題として取り上げられやすいのに、大人になったサバイバーの生きづらさがまだまだ認知されていない現状がありありと見えるようになったからです。

正直、今私の身近にいる方は基本的にみんな健康的な家庭で育っている方が多く、あえてまた私は大変な人たちの渦中に入る必要はあるのか?とかなり自問自答しました。

ただ、こんなに苦しんでいる方がいて、それに気づいたのに何もしない自分という選択肢は私にはありませんでした。

なぜなら、勿論私自身がなんとか回復して幸せに生きてやる!と諦めなかった前提はありますが、良い人たちに出会えたからここまで回復出来たのだと、感謝の気持ちがあり、いつか社会に還元したいと思う気持ちが自然と芽生えていたからです。

自分にできることはまだまだ少ないかもしれませんが、これからも活動を地道に続けていこうと思っています。

現在はただ絵を描く人に

えー、今年の春にですね、ここ数年の大変な出来事が重なりすぎてうつ寄りの適応障害になりました
突然、本当に突然酷く体調を崩し、全く動けなくなってしまったのです。

去年は元夫の(離婚済み)借金返済を手伝ったりしていて、無一文で家が火災に巻き込まれて燃えてなくなったりね・・親族で唯一愛していた祖母の家も大雨で埋もれたりしてね・・他にも色んなことが続きすぎて、えーーマジかいなって本気で泣きました。苦笑。

研究の仕事も好きだったし、夜学高卒で基本全部独学で補ってきた自分にとって、ここまで頑張ってやってきたこの仕事を辞めるのか?という葛藤はとてもあり、かなりの時間考えました。

ただ、この症状はすぐに回復するものではないと言うことも自身の体験上わかっていたので休職後、そのまま退職手続きをして今は療養しつつ出来ることをしている状態です。

主治医はうつ病とお話ししているので、まあうつなんだなとは思うのですが、20歳で体験した初めてのうつ病に比べると楽ではあります。
ただ比べるものでもないし、そうやって気付かぬうちに無理をしていたのでとにかく今は無理をせず、出来ることをできる範囲で、をモットーに生きています。

宣伝しますよ

えーここで突然宣伝しますね。
なぜかというと生活苦だからです。笑

私が描いた作品はありがたいことに原画が売れることもあるのですが(とても嬉しい)そうするともうその絵って人の目に触れることがなくなるのってちょっと寂しいな、なんて思うこともあったりして。

で、友人の工房でグッズを作ってみました!
本当に真剣に、丁寧に作ったのでぜひみてもらえたら嬉しいです!

アクリルキーホルダーや



ハンカチ、マグカップ、クリアファイルなど!

これはプロの友人のアドバイスをもとに作ったので自信があります。
ぜひいいなと思ったら手にとっていただけると嬉しいです♪

プロフィールからBASEにいけますので是非!!

また、板橋区にあるエコポリスセンターB1にある喫茶店コスモスさんに10年ほど絵を常設展示させていただいております。

定期的に絵の入れ替えをしています
本に載った原画なども展示しています

このコスモスさんはかなり穴場です!!
メニューも豊富ですし、Wi-Fiも使えますし、区の建物なので広く綺麗です!

ぜひ近くにお越しの際は絵を見ていただけたら嬉しく思います。

こんな私(さちんぬ)ですが今後とも色んな方と交流ができれば嬉しいと思っております。

改めてどうぞ宜しくお願いいたします!

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さちんぬ
大人になった虐待サバイバーの大変さや虐待後遺症について、また認知度向上の活動に使用させていただきます。宜しければ応援お願い致します!

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