中学3年生、ムーミンとの出会い
『ムーミン、好きなんです。』
そう言うと、ちょっと年配の人は「私、カルピスこども名作劇場の世代なのよ」と小鼻を広げ、ちょっと若めの人は「だからスマホケースがミイなんですね」とオタク心をくすぐってくれる。
ほんとうは『どうしてムーミンが好きなのかというと…』と続けたいのだけど、ちょっとした立ち話では到底足りない。だから、じっくりと、言葉を紡ために、このnoteを立ち上げた。
これから読む人にお伝えしたいのですが、あくまでこの文章はわたしがムーミン谷を彷徨うなかで手に入れた「経験」です。あなたのムーミン谷を破壊したいわけではありません。むしろあなたのムーミン谷にも耳を傾けたいです。ぜひ、語り合いましょう。
記念すべき第一弾は、わたしがムーミンと出会った経緯をお伝えします。
1. ムーミン谷に一歩踏み入れる
中学3年の秋、図書館で雑誌『ユリイカ』を手に取った。やけにこざっぱりした表紙だとしげしげ眺めてみると、どうやらムーミンの特集号らしい。太っちょな妖精さんについてこんなに紙幅を割くなんて、青土社ものっぴきならない事情があるもんだとページを繰ったところ、一本の論考に脳天が吹っ飛んだ。
中丸禎子先生の「北の孤島の家族の形 海、自分だけの部屋、モラン」という論文である*。ウッフキャハハの桃源郷というムーミンワールドのイメージが瓦解し、ジェンダーや家族の解体という、人間臭くてどぎまぎするテーマがぬっと立ち現れたことが、脳天ぶっ飛びポイントだった。
その年は作者トーベ・ヤンソンの生誕100周年であった。つまり、ムーミンカンパニーと出版社の策略にまんまと引っかかったのである。だが、すでに遅かった。わたしの足は、ムーミン谷から引っこ抜くことができなくなっていたのだ。図書館に新装版が出るやいなや、ジャイアン顔負けの強欲ぶりで全巻を借りしめた。
暇くさい冬休みをつかって彷徨ったムーミン谷は、涼やかな摩訶不思議と艶やかな人間の匂いに満ちていた。
とはいえ、当時はムーミンシリーズの読後感を言語化しようと試みていたわけではない。むしろ、ヤンソンが手がける挿絵に魅了されていた。ペン一本が生み出す表情豊かな闇を真似しようと、ルーズリーフの端っこにせっせとムーミンママを描いていた。大抵は、むっちり太ったトドみたいな仕上がりだったけれど。
以上が、わたしとムーミンとの出会いである。
*中丸禎子「北の孤島の家族の形 海、自分だけの部屋、モラン」『ユリイカ詩と批評』2014年8月号、青土社、pp.128-142
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次回の投稿は
~大学生になったさちこ、ムーミンパパにビンタはたかれる(仮)〜