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本当のやさしさは文脈で伝わる

少し前、娘と2人で旅に出かけました。

飛行機で2時間の場所だったので、さらっと読める本を持っていこうかなと思い、未読だった三浦綾子さん(『氷点』を書いた小説家)の随筆集を手持ちのカバンに入れました。

さまざまな媒体に掲載された文章を一冊にまとめたもので、飛行機の行き帰りや、カフェで休んでいるときにポツポツ読むのにちょうどよかったです。

この本にあった「二つのやさしさ」という文章が印象に残ったので、ご紹介しますね。

この文章には2人の人物が出てきます。1人は、三浦さんの母方の祖母。もう1人は、三浦さんの夫。

この2人の対照的なやさしさについて触れられている文章です。


祖母の「拒絶を知らぬやさしさ」

三浦さんは物心ついた頃、祖母といつも一緒に寝ていたそうです。

その際、祖母は、いつも三浦さんにねだられるままにおとぎ話を聞かせてくれたとのこと。

同じ話を毎晩語るということは、今考えてみると、大変なことであったと思う。が、祖母は一度として拒んだことはなかった。いや喜んで話してくれた。

私の背をなでる手が、時々ネルに引っかかった。水仕事で祖母の手は荒れていたのである。

ささくれた手が、ネルに引っかかるのはさぞ痛かったのではないか。

にもかかわらず、祖母は背をなでる手をとめることなく、同じ話を聞かせてくれたものだ。

(中略)

拒絶を知らない祖母であった。そうしたやさしさが、毛穴から沁み入るように、幼心にも沁みとおったものだ。

(中略)

だから、やさしい人とは祖母のことだと思って育ったのである。

【出典】『孤独のとなり』三浦綾子(角川文庫)

夫の「拒絶すべきことは拒絶するやさしさ」

戦後、三浦さんは肺結核と脊椎カリエスを患い、13年間もの療養生活を送ります。

その際、のちに夫となる三浦光世さんも定期的にお見舞いに来てくれたそうです。

毎日お見舞いに来てくれる友人や朝から晩まで時間を共にする友人もいる中、のちに夫となる光世さんは、週に1回、かつ誰よりも短い時間のお見舞いだったとのこと。

しかし、その短い時間しか滞在しない光世さんに、三浦さんは次第に心惹かれるようになっていったそうです。

短い時間のお見舞いが、最初は儀礼的に思えたものの、それは光世さんのやさしさゆえのものであると思うようになったとのこと。

彼は、とにかく三浦さんの体を一番に考えていた。疲れないようにと気づかっていた。

結婚を決めてからも、彼はお見舞いのペースを崩すことはなかったそうです。

祖母のやさしさが拒絶を知らぬやさしさだとすれば、三浦のやさしさは、拒絶すべきことは拒絶するやさしさであったと思う。

が、この二人に共通するのものは、一つだと思う。それは共に、意志的だということである。

(中略)

やさしさとは、相手の身になって考えると共に、そのやさしさを意志によって持続することにあると思う。

意志と知性に支えられないやさしさは、それはいわば、気まぐれであって、真のやさしさではないことを、私はこの二人に学んだのである。

【出典】『孤独のとなり』三浦綾子(角川文庫)

この文章を読んで、私は「やさしさも文脈なんだ」と気づきました。

意志をもって点を打ち、持続させて線にする。

ただし、そのやさしさが意志を伴わない気まぐれであれば、受け取る人は「やさしさ」と認識して点をつなぐことができない。

ああ、やさしさは意志なんだ。そうあり続けようという努力を伴った意志なんだ……。

そんなことにハッと気づき、この2つの「やさしさ」は見た目は正反対だけど、どちらも美しいな、と思いました。

そして、わが身を振り返り、私は自分なりの「やさしさ」を意志をもって持続できているか?と改めて考えさせられました。

旅行中の読書っていいものですね。また本を片手に旅に出たいです。

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