「物事の本質を見極めることが大事」「本質を見極めよ」って、よく言われますよね。 私自身も「本質」を見極めることが大事だと思っているクチです。 では、そもそも「本質」って何なのか?について、あなたは考えたことはありますか? ……と書きながらも、私自身あえて言語化したことがなかったので、この場を借りて皆さんと考えてみたいと思います。 (ちなみに「本質」とは、「物事の根本的な性質・要素」) 「本質」の基準とは?「物事の本質を見極める」という言葉には、物事はそもそも「本質」
私は現在、書籍編集者と一緒に出版企画書をつくるサービスを提供しています(詳しくはこちら)。 このサービスを通じていろいろな方とお話ししていると、私の口から「それ、おもしろいですね!」というセリフが思わず出てくる瞬間があることに気づきました。 改めて、どんなときに私が「おもしろい!」と感じたのかを振り返ってみようと思います。 「王道だからダメ」ではない本の企画として最初に思いつくものって、王道のテーマであることが多いです。 すでにたくさんの本が出ているテーマで、名著もザ
一般的に、編集者ってそもそも何をする人なのかよくわからない、という人が大半だと思います。 強いていうなら、「文章を添削する人」というイメージがあるくらいでしょうか。 赤ペンを握って、人の文章に赤字を入れる人。 最終的な成果物である本や記事などのコンテンツに、編集者としてどう関わったのか、いちばんわかりやすいのが「文章の添削」なので、「まぁ、そうですよね」と私も思います。 もちろん、見出しを調整したり、内容を整理したり、文章を磨いて伝わりやすくするのは編集者の重要な仕事
文字であれ、動画であれ、音声であれ、発信する媒体も人も爆発的に増えましたよね。 次から次へと生み出されるコンテンツ。 絶え間なく流れてくるコンテンツに浮き輪でプカプカと漂っていると、深く物事を考えないままいつまでもどこまででも流され続けることができます。 まるで流れるプールに身をまかせるように。 それはそれで自動的に景色が変わって楽しいですし、少なからず情報がインプットされて、自分をアップデートできたような気分に(多少は)なれます。 ただ、何も考えずに流され続けてい
本をつくり始めるときや、出版企画書の内容を詰めていくとき、 「編集者である私がやっていることって、片づけのアドバイザーさんがやっていることと近いのでは?」 と、先日ふと気づきました。 本づくりと片づけって、けっこう共通点があるんです。 テーマに沿って質問する(片づける場所を決めて中身を出す)企画を詰めていくとき、私はまず、書いていただくテーマに沿ってお話を聞いていきます。 著者さんの話の中に気になるポイントがあったら、すかさず質問、どんどん質問して、著者さんの持って
少し前、娘と2人で旅に出かけました。 飛行機で2時間の場所だったので、さらっと読める本を持っていこうかなと思い、未読だった三浦綾子さん(『氷点』を書いた小説家)の随筆集を手持ちのカバンに入れました。 さまざまな媒体に掲載された文章を一冊にまとめたもので、飛行機の行き帰りや、カフェで休んでいるときにポツポツ読むのにちょうどよかったです。 この本にあった「二つのやさしさ」という文章が印象に残ったので、ご紹介しますね。 この文章には2人の人物が出てきます。1人は、三浦さんの
自分が書いた文章を読んで 「なんか薄いな……」 「思わず太字にしたくなるようなパンチラインがないな……」 と思うことはありませんか? まずは文章を思い切り太らせる文章を整えるときの鉄則は、 「太らせてからぎゅーっと絞る」 です。 まずは、太らせましょう!(躊躇はいらない) 最初の段階では、細かいことを気にせず、頭に思い浮かんだことをひたすら文字に変換させていきます。 「同じことを何回も書いちゃった?」「内容がちょっと薄い?」と思っても、気にしなくてOK。 ち
ある情報を見聞きしたとき、頭の中にまず湧いてくるものってなんだと思いますか? あなたの考え? 意見? おそらく「感情」ではないかと思います。 反射的に湧く感情って、「好き」「嫌い」、「好ましい」「なんか嫌」といった極端なものになりがちです。 その感情自体はとても大切だと思いますし、自分自身を知る手がかりにもなります。 ただ、最初に湧いた「感情」をもとに、脊髄反射で世の中に発信してしまうことが、いわゆる「炎上」を生み出しているようにも感じます。 マイナスな感情だけで
私は海外に家族で引っ越すにあたり、それまで勤めていた出版社をやめました。 当時は、毎日身体を会社に運ばなければならないという縛りがあったので、 日本を出る=会社員ではいられない という世界でした。 書籍の編集をやめていた理由会社をやめるという決断をして海外に渡ってからも、ありがたいことにかつての同僚で、別の版元に転職した編集者の方たちから 「書籍を企画してみないか」 「部分的に編集の仕事を請けてみないか」 と連絡をもらったりしました。 しかし当時の私は、次の2つ
最近、だいぶ前に読んで、心に引っかかっている本を再読するのにハマっています。 書くためのネタ探し、という側面も若干ありますが、前回はスルーしていた文章に心を打たれたり、膝を打ったり。 新たな発見があって、なかなか楽しい。 海外にまで(私は海外在住)わざわざ持ってこようと思った本なので、私の内面を刺激する何かが秘められていることは確か。 ハズレなしの読書体験が保証されているわけです。 年齢を重ねたからこそ受け取れるものがある今回再読したのは、こちらの本。 私が持って
以前、「自分のために書けばいい」というタイトルでnoteを書きました。 私は基本的に、自分のために書く文章であれば、自由に思うままに書くのがいちばんだと思っています。 必要以上に間違いを気にしなくても、「上手に書かなくちゃ」とプレッシャーを感じなくてもいい。 編集者をつける必要も(文章の完成度を高めるという意味では)基本的にはないと思います。 では、どういうときに、それこそ編集者にサポートしてもらって文章を磨き上げたほうがいいのか。 それは、誰かのために書くとき。
何人かが輪になって座っているところを思い浮かべてみてください。その真ん中に、りんごが1つ置いてあったとします。 そのりんごについて、ひとりずつ思い浮かんだことを述べていくとしたら、どんな言葉が出てくるでしょうか。 同じりんごを見たとしても、思い浮かぶ事柄は十人十色、全員バラバラ。 ただし、1つだけ全員に共通していることがあります。 それは、りんごを題材にしながらも、結局みんな「自分のこと」を話しているということ。 つまり、あるニュース、ある事柄、ある一冊の本、ある文
誰もが電子書籍を出そうと思えば出せる時代になりました。 「本」というスタイルでアウトプットするハードルが低くなり、チャレンジできる人が増えたのは、編集の仕事をしている私としても喜ばしいことだと思っています。 ただ、正直なところ、個人出版されている電子書籍は玉石混交なのが現状です。 商業出版の本が底本となっているものから、個人出版のライトなものまで、テーマもボリュームも値段も品質もさまざま。 それこそ「いつか商業出版したい」という思いを抱えている人ほど、「電子書籍を出す
今回は、一見そうは見えないのに「これ、本を書く人のために書かれているのでは!?」と思えるような、本づくりにドンピシャな一冊を読んだので、ご紹介しますね。 ちなみに、ここで対象とする「本」とは、自分の経験の集大成を過去の自分に似た人(同じ壁にぶつかっている人)に届ける本のことです。 ご紹介するのは、コピーライターである梅田悟司さんの『きみの人生に作戦名を。』(日本経済新聞出版)。 読んでみたら、「作戦名」を「書名」に変えてもいいくらい、作戦名を考えるプロセスが本のタイトル
先週、「書籍編集者でもある私と一緒に、出版企画書をつくりましょう!」と、この場をお借りしてお伝えしました。 実際に「出版企画書をつくりたい人を募集する」という行動を起こしてみて感じたのが、「いつか本を出したい」と思っている方は、やはりいらっしゃるんだな、ということ。 ただ、 に関しては、どこかふわっとしていて、具体的にイメージしにくいのかな?と感じました。 だから、自分が著者としてふさわしいのか、そうでないのかがわからない。今の自分に何を足したら、商業出版できるのかが
このnoteを読んでくださっている方の中には、「いつか本を書いてみたい」と思っている方もいらっしゃると思います。 その「いつか」がいつになるのかわからなくても、本を書きたい思いにある種の「根強さ」を感じている方は、出版企画書を書いてみることをおすすめします。 「本を書きたいなぁ」というぼんやりとした思いを出版企画書という目に見える形に落とし込むことで、発見できることがたくさんあるからです。 「私は本を書きたいのではなくて、本当は◯◯したかったんだ!」 と発見することだ