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映画感想文「星くずの片隅で」世間と自分のズレを感じた映画。登場人物に共感できなかった
映画評論は大抵が5点満点だ。
残り少ない人生で、少しでも良い映画を観たい。だから、必ず映画評を観て観に行く優先順位を決める。
4点以上は文句なしに観に行く。ここは誰が観てもある程度楽しめること間違いなし。
3点台後半も観に行く。ここもあまり外れはない。
しかし3点台前半はこういうゾーンの人にははまるんだろうな、という対象限定。なので自分の好みが合わない限りは映画館に足を運ばない。
そして、3点以下は観に行かない。時間損したなーということになることがほとんどだから。
今回はそのセオリーでいうと世間の評価は3,8-3,9という、かなり良い作品。のはず、だが、私にはあまり刺さらなかった。
だから、なぜ刺さらないのか考えてみた。
コロナ禍の香港。
清掃会社を経営する中年に差し掛かる年齢(40歳前後)のザクは、夢を持って独立したものの資金繰りに追われ毎日カツカツの日々を送っている。
彼の母もまた、競馬や宝くじで一攫千金を夢見る貧乏暮らしだ。
そんな彼の元に派手な格好の若い女性(20歳前後に見える)キャンディが雇ってくれと現れる。カフェで働いていたがコロナで店が休業になり、職にあぶれてしまい生活に困っているという。
シングルマザーで幼い子供を抱える状況に、情にほだされた彼は結局彼女を雇うことになる。
しかしこれがまた、遅刻するわ、清掃先のものを盗むわ、清掃の洗剤を誤魔化そうとするわ、若くて可愛くなかったら速攻クビになるであろう働きぶり。
そんな彼女を叱りつつも、段々情が移っていき、気立の良いお人好しのザクは彼女に恋心を抱き、回りくどく同居を申し出ることにもなる。
しかし彼女は彼の好意に気づかないふりをして、かなりの塩対応。なのに彼の元を離れるでもなく好意に甘え続ける。
ざっくりいうと、以上、という物語。
主人公のザクには好感が持てる。確かにこの手の男性は世の中によくいる。
要領良いわけではなく気が回るわけでもないが、誠実で信頼できる良き良心を持った人。友人か隣人にいて欲しいタイプ。
よく周囲から、こういう人と結婚したら幸せになれるのに。と、言われるけど大抵は縁遠い。
彼の誠実さや我慢強さ、彼女を庇う男気には少し胸打たれた。
そしてだいぶ年上の彼が健気に頑張る、でも「至らない」キャンディに惹かれる気持ちもわかる。彼女には心くすぐる、教育の余地があるからだ。
そう、キャンディは、彼にも助けることができる相手だから。男女ともに、どうしたって人間は自分が助ける余地がある人を好きになるもんだ。
だから彼の気持ちはわかる。ような、気がする。
しかし、である。いかんせん、キャンディに対して共感ゼロだった。
お金がなければ店で万引きをして、家賃が払えなければ夜逃げする。だけどやたらと派手な服はたくさん持っており、案外派手に暮らしている。そんな刹那的な生き方に、いまはいいけど、10年後20年後どうするのか?と心配になる。
きっと、この暮らしでは彼女の娘も同じような人生を辿ってしまうだろう。そう、貧乏は連鎖するのだ。
たぶん、それが許せない。
私も刹那的な親に育てられ苦労したので、そういう無責任な親に必要以上に怒りを感じる(たぶん)。
そして、もう一つ。もしかしたら、刹那的に生きられる若さに嫉妬しているのかもしれない(そうかも)。
そんなふうに。
世間と自分のずれを確認し自分を悟るのも、私なりの映画の面白さである。そういう意味で考えさせられる映画だった。
そして映像や撮り方はいろいろおしゃれだし、移住相次ぐ香港の今がわかる、素敵な映画であることは改めて、付け加えておく。